宮崎神青ブログ - 最新エントリー
「すみませ~ん!」
「○○神社ってこの辺にありますかぁ???」
「あ~こうこうこう行ったら着くわ。」
「何しにいくとな???」
所ジョージさんの番組の「ダーツの旅」を思わせるような光景ですが・・・
去る2月25日、1泊2日の日程で南那珂地区を宮巡。
南那珂に鎮座する神社は68社。
宮崎県の日南市方面といえば海。
朝日を浴びながら清々しく出発!
車を走らすこと十数分、
今回1社目の伊比井神社へ到着。(伊比井神社についてはこちら)
続いて2社目の富土神社へ。
宮巡の旅にはナビが欠かせないが、田舎に行けば行くほど神社の正確な位置が
表示されることはなく、ウロウロウロウロする始末。
さっそく冒頭の会話が近所の方と始まります。
これは分かりづらい・・・
2社目の参拝を終えて乗車。
「へっくしょん、へぇっくしょん、へぇぇぇっくしょん」
日南方面と言えば海のイメージだが、改めて見ると山山山。
今年も花粉症の始まりです(T_T)
その後も神社の近くに着いては、先ほどの会話を繰り返しながらこの日は
南郷町、串間市を中心に24社宮巡。
いやぁそれにしても、色んなところに鎮座されるものですね。
こんな道も
こんな道も宮巡隊は走ります。
調子にのるとこうゆうハメに・・・
この日最後の神社であった八幡神社では、道が狭すぎてUターンが難しく、車が石に
乗り上げ一時立ち往生、さらに車ごと落ちそうになるなど冷や汗モノ。
この日は日南市内泊。
夜には地元の会員と楽しく酒を酌み交わし、グッスリzzz
翌日には更なる恐怖を味わうことになろうとは露知らず・・・
どうなる宮巡隊!?
続く・・・
「けんぺいし」と読みます。
本日2月17日は多くの神社にて祈年祭が斎行されたことと思います。
(祈年祭についてはこちら)
神社には例祭、祈年祭、新嘗祭と特に重要なお祭りが3つあったのを覚えてるでしょうか?
献幣使は例祭の時に登場します。
「なんでウチの神社の祭によその神主さんが来て、祝詞を読んじょっとか~?」
と、思ったことありませんか???
その神主さんこそが「献幣使」なのです。
献幣使とは、神社本庁から所属の各神社に幣帛(へいはく)を捧げる使いのこと。
例祭には神社本庁幣(幣帛料)を供えます。
これを献幣と呼ぶので、その使いが献幣使ということになります。
ちなみに幣帛とは神に奉献するものの総称のことです。
じゃあ何をするの???
去る2月1日に鵜戸神宮(日南市鎮座)の例祭に、献幣使随員(ずいいん)として奉仕させて
いただきましたので書き記したいと思います。
多くの場合は、献幣使と献幣使随員(献幣使の付き人と思っていただいて結構です)の
2人で奉仕する神社に向かいます。
先ずは参籠(さんろう)の為、前日の夕刻に鵜戸神宮入り。
参籠とは神社に籠もり心身を清めることで、その神社の神主さんももちろん参籠されます。
先ずはお参り。
鳥居の後ろの空洞に、
ご社殿があります。
神主さん達が習礼(しゅらい=祭典のリハーサル)をされていました。
普段奉仕する神社とは勝手が違いますので、献幣使も入念に打ち合わせを致します。
有名な運玉!お参りの際は是非やってみて下さい。
打ち合わせを終えると夕食。
斎食(さいしょく)と言いまして、四つ足の動物は食しません。
斎食後は入浴、翌日に備えて早めに就寝ですzzz
翌朝は6時30分起床!
この光景は鵜戸さんならではですね~
朝食をすませ、祭典の準備準備。
時刻がせまってくると、献幣使の装束を準備し、着装(着付け)を行います。
その後、自分もあたふたしながら着装となります。
午前10時30分、祭典開始。
自分の神社より緊張するのは言うまでもありません・・・
ちなみに幣帛料は、唐櫃(からひつ)と言われる箱に入れて社殿まで運びます。
宮司祝詞奏上後、いよいよ献幣使の出番。
幣帛料を献幣使随員が、鵜戸神宮の神主さんにお渡しし、神前にお供えしていただきます。
その後に献幣使祭詞奏上(さいしそうじょう)、玉串を奉りて拝礼。
神社の神徳を顕揚し、斯道の興隆を祈願し、奉賛の誠を捧げます。
祭典終了後は直会(なおらい)。
直会とはお祭りにおける酒宴行事のことで、祭典を構成する一つの行事。
運転手の私はもちろんノンアルコール・・・
地元の神主さん、総代さんのお話を聞かせていただいたり、とても貴重な時間です。
以上になります。
文章にすると思いのほか、自分でも「ふ~ん」という感じになってしまいましたが、
なんとなくでもお分かりいただけたでしょうか???
まぁまぁ・・・
頭の片隅にでも留めていただければ有り難いです<(_ _)>
去る1月23日、青年神職として、福祉増進に努めることを目的として,
西都市にある社会福祉法人信和会「幸楽荘」を訪問させていただきました。
当日は午前9時に現地集合。
到着後は健康長寿祈願祭斎行の準備となりました。
3名ががりで本日の斎主の着装・・・ 大丈夫???
祭典開始前。
上三財神社、白鳥神社、門川神社、鵜戸神宮、都萬神社、宮崎神宮の
神主さん達のご奉仕でした。
まばゆい光を浴びて、清々しい祭典となりました。
多くの方にご参列いただきました。ご苦労さまでございました。
当会より長寿の象徴である鶴と亀を、
会長より贈呈させていただきました。
祭典終了後は、雅楽の演奏会。
越殿楽(えてんらく)、陪臚(ばいろ)の2曲を演奏させていただきました。
もっと練習しようねSくん!
北は高千穂町、南は南郷町、西はえびの市と、県内各地より会員18名の参加でした。
入所者の方より、
「お陰様でお祈りするこができました。」
「若いうちに皆様元気に頑張って下さい。」
との、御礼と励ましのお言葉をいただきました。
皆様が日々健やかにお過ごしなられますことを、心よりお祈り致します。
ちなみに
昼食は南方神社横にある入船さんにて!
昼食後には西都市約20社宮巡。
初めてお参りするお宮さんが多く、感動あり、笑いあり、恐怖ありの有意義な
宮巡となりました。
今回お参りした神社につきましては、随時掲載していきたいと思いますので、
是非ご覧になられて下さいm(_ _)m
旧宮崎郡を除く宮崎市には57社の神社が鎮座します。(神社本庁登録神社のみ)
このホームページに宮崎県の神社紹介ページがあり、現在まで宮崎市は56社が掲載されて
おりました。
その記念すべき57社目を掲載する日がついに!
去る1月21日。
幼稚園から午後2時過ぎに帰ってくる息子や家族を道連れに、
宮崎市鏡洲の双石山(ぼろいしやま)に鎮座する姥ヶ嶽神社へ!
双石山は宮崎市内にある509mの山であり、動物や植物も豊富で双石山自然林は
昭和44年国指定の天然記念物になっているそうです。
山の中腹に鎮座する神社ということで、気が引けてなかなか参拝できなかったのですが、
ようやく参拝できました。
さっそくナビに住所入力。
山の中ということで、もちろん神社の位置詳細は教えてくれませんでした・・・
とりあえず行けばどうにかなるだろう!
自宅より車を走らすこと約30分。
お~先ずは鳥居発見!
さぁ出発!と思いきや道が荒れており、ここからの進行は断念・・・
さらに車を走らすこと数分。
ぉお~新たな鳥居を発見!
これなら登れそうだ!え?でもどれくらい先に神社があるか分からない・・・
でも勢いで出発。
参道は舗装されており、登りやすかった。
どんどん進むも何も見あたらず、不安になっていく。
下で待つ奥さんに連絡をとろうにも圏外・・・
ぉぉおお~鳥居発見!
もう少し登れば神社がありそうな気配。がぜんやる気がでました。
ここからの道は舗装という舗装はされていないが、階段になっている。
歩くこと数分・・・
何も見えてこない。
山の頂上まで行くことになったりしないよね?
と、不安になりながらも、ここまできたらひたすら登る!
ぉぉぉおおお鳥居発見!
この鳥居の先もさらに参道かも!?
社殿の屋根らしきもが!
やった~!到着!かな?
ぉぉぉぉおおおおご社殿発見!
山の一角にひっそりと鎮座されておりました。
この神社の宮司さんは毎日登っておられるそうです。頭が下がります・・・
姥ヶ嶽神社ご社殿。
途中で不安になりながらも、お参りさせていただいて非常に清々しい気持ちになりました。
下山後、車で爆睡していた弟と感動の再会・・・
これにて宮崎市内57社参り無事終了。
宮崎県の神社紹介ページ。
私自身昨年よりお参りした神社は約200社を数える。
先日とある宮司さんよりお電話をいただいた。
「ホームページに掲載されてるウチの神社の写真やけど・・・」
「え・・・申し訳ございません。何か不備があったでしょうか?」
「いやいやそれを見た氏子さんが、掲載する写真を自分で撮ったものにしてほしい
みたいやっちゃわ~」
大変大変有り難いお話、断る理由は何もない。
後日その氏子さんが写真を持って来られ、掲載に対する感謝のお言葉をいただき、
また色々なお話を聞かせていただききました。
写真ひとつのことではあるが、氏神さまに対する思いを感じることができた瞬間でした。
どの神社にお参りしても、社殿、境内の様子、そこにお参りされている方などから、
神社の歴史、宮司さんはもとより地域の方々の氏神さまに対する思いを感じることができます。
田舎の神社にお参りすると、よそからお参りに来た私達を不思議そうに見られる場合があります。
それもそのはず。
県内外より多くの方にお参りいただくことも、神道の教化、地域の発展には大切なことですが、
本来神社は地域とともにあり、地域の方々が祈りを捧げる場所だということを再認識できる
貴重な経験となります。
県内には650の神社が御鎮座されます。
まだまだ半分も掲載できていませんが、こつこつと宮巡りたいと思います。
(宮巡隊隊長)
付き合ってくれてありがとうね!(椿山森林公園にて)
行縢神社の1月10日は、
「商売繁盛~笹持ってこい!」
ではなく、
海上安全・大漁満足の祭である「十日恵比寿神楽祭」が行われました!
年々、原油高騰や水揚げ不足、また漁師の減少により船が減るなど組合としても
大変な時期に差し掛かりつつあります。
そんな事を全て忘れ、毎年1月10日の恵比寿神楽祭には、盛大にお祭りが行われます。
大神様に組合の益々の弥栄と大漁満足、海上安全、また船人の身体健全を祈りご奉仕。
また神楽も舞わせていただきました。
神人一体となり酒をいただき、歌い舞って神の御加護をいただきます。
本年もお陰をもちまして、盛大裡に斎行することができました。
これでようやく正月休み!?と思いきや、
2月の牛祭、特殊神事、春神楽祭等の準備が山のように待っています・・・
まだまだ休めそうにはございません。
とにかく、体調管理に十分に心がけるのみ!
あ~職員がいてくれたらな・・・
いかんいかん!
頑張ります(^^)/
(新米宮司)
じっかんじゅうにしと読みます。
平成26年は、
①紀元2674年
②西暦2014年
③甲午歳
④昭和89年
になります。
①については、「日本書紀」の記述を基にしたものです。
宮崎神宮のご祭神・神武天皇は15歳の時に皇太子になられ、宮崎に都を定められました。
しかし、この国の人々が豊かに暮らせるようにするには、四方を青い山にかこまれた大和
(奈良県)に都をおくのがよいと思われ、45歳の時に宮崎をおたちになり、大和へ向けて
すすまれました。そして、宮崎をおたちになって7年目の正月朔日(現在の2月11日)に
畝傍の橿原の地に宮殿を建て第一代の天皇にご即位されました。
この年を”紀元元年”(建国記念日)とし、平成26年は紀元2674年にあたります。
②、④については皆様ご存じと思います。
③については、言うまでもなく干支になります。
今年は甲午(きのえうま)歳になります。
※十干
干は幹の略字、十干または「え」「と」とも言います。
「え」は兄で陽性、「と」は弟で陰性を表します。
陽 | 甲(きのえ) | 丙(ひのえ) | 戊(つちのえ) | 庚(かのえ) | 壬(みずのえ) | |
陰 | 乙(きのと) | 丁(ひのと) | 己(つちのと) | 辛(かのと) | 癸(みずのと) |
※十二支
そもそも干支とは、古代中国で十二宮のおのおのに獣を充てたのに基づくと言われます。
支は枝の略字、十二種類あります。
陽性、陰性を表すと次の通りです。
陽 | 子(ね) | 寅(とら) | 辰(たつ) | 午(うま) | 申(さる) | 戌(いぬ) |
陰 | 丑(うし) | 卯(う) | 巳(み) | 未(ひつじ) | 酉(とり) | 亥(い) |
普通十干と十二支とは組み合わせて用いられ干支(かんし)を「えと」と称するに至ったそうです。
日や年を数えるための記号として使われています。
”10”干と”12”支
これが組み合わされるのですから、10と12の最小公倍数は”60”ですので、
前回の甲午年は、昭和29年になります。
つまり生まれた年と同じ干支の巡ってくる還暦とは、”暦が還る”という意味ですから、
満60歳をむかえる昭和29年生まれの方が本年これにあたります。
ちなみに平成27年は乙未歳(きのえひつじ)、平成28年は丙申(ひのえさる)歳となります。
さて「午」は季節でいえば六月、水無月の田植えの頃であります。
時間でいえば真昼(午前11字から午後1時)で、暑い日差しがさんさんと降り
そそいでいる頃にあたります。
いうならば、植物がむんむんとして成長する、そんな盛んな有様が午という字の
意味であります。
また午は十二支の第7位でありますが、方向は真南にあたります。
このような行動性と陽気さをあわせもつうま年は、個人にも国家にとっても、
極めて活気に溢れた年であると考えられます。
この年が皆様にとりまして幸多き年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
平成26年の厄年、年祝いの一覧です。
節目の年に当たりますので、祈願をお受けいただきまして、これからも清々しくお過ごしになられますようお祈り申し上げます。(厄年についてはこちら)
◎平成26年厄年一覧
女 性 | 男 性 | ||||
前厄 | 本厄 | 後厄 | 前厄 | 本厄 | 後厄 |
平成9年生 18歳 |
平成8年生 19歳 |
平成7年生 20歳 |
平成3年生 24歳 |
平成2年生 25歳 |
昭和64年生 平成元年生 26歳 |
昭和58年生 32歳 |
昭和57年生 33歳 |
昭和56年 34歳 |
昭和49年生 41歳 |
昭和48年生 42歳 |
昭和47年生 43歳 |
昭和54年生 36歳 |
昭和53年生 37歳 |
昭和52年生 38歳 |
昭和30年生 60歳 |
昭和29年生 61歳 |
昭和28年生 62歳 |
※年齢は数え年です。(平成26年になる歳に1歳足して下さい。)
※誕生日に関わらず1年間が厄年にあたります。
※厄年の3年間を無事に過ごされたことを、神様に奉告し感謝する厄明奉斎(御礼参り) も受け付けています。
平成26年年祝い一覧
祝名 | 意味 | 年齢 | 生まれ年 |
還暦(かんれき) | 生まれた年と同じ干支が巡ってくる年 | 61歳 | 昭和29年生 |
古希(こき) | 杜甫の「人生七十古来稀なり」という一節にちなんだもの | 70歳 | 昭和20年生 |
喜寿(きじゅ) | 「喜」を略字で「七十七」と書くことから | 77歳 | 昭和13年生 |
傘寿(さんじゅ) | 「傘」を略字で「八十」と書くことから | 80歳 | 昭和10年生 |
米寿(べいじゅ) | 「米」を分解すると「八十八」と書くことから | 88歳 |
昭和2年 |
卒寿(そつじゅ) | 「卒」を略字で「卆」と書くことから | 90歳 | 大正14年生 |
白寿(はくじゅ) | 「百」から一を取ると「白」という字になることから | 99歳 | 大正5年生 |
お祝いの年を無事に迎えられたことに感謝し、これからも清々しくお過ごしになられますようお祈り致します。
国宝大神社展が下記により開催されます。
大変貴重な機会ですので、お繰り合わせの上ご覧になられて下さい。
記
期 間 平成26年1月15日(水)~3月9日(日) ※毎週月曜日は休館日
時 間 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
場 所 九州国立博物館
公式サイトはこちら
女子神職の育児奮闘記です。
ちなみに出産編はこちら
それでは命名編のはじまりはじまり・・・
今年は伊勢神宮の式年遷宮、出雲大社の遷宮と、巷で言う“ダブル遷宮”で日本中が湧いております。
20年前、奉務神社の宮司が遷宮の儀の御奉仕への道中、お伊勢の上は通らぬようにと電車と新幹線を乗り継ぎお伊勢へ上がった事、小学生だった私はお土産の美味しい赤福と丁度、陶芸のテレビ番組に熱心に視聴しており神宮の、赤土のかわらけ、たかつき等を目にして興奮したのを思い出しました。
それでは文子の育児奮闘記、厳か・・・ごちゃっと赤裸々にスタート
先生と談笑しながら局所麻酔下でおしもを縫合、開いた骨盤を締める為のさらしをまかれ、産後は生理様の「悪露(おろ)」が出るので、でっかいとしか言いようがない大判ナプキンをあてられ、
その後カンガルーケアを
肌と肌が触れ合うようにし乳首をふくませる。
あ、吸った!
人間の赤ちゃんは他の動物と比べ未熟児の状態で生まれてくる。
ある医療機関ではカンガルーケアの際、赤ちゃんが這っておっぱいまで移動するのを観察できたという。
未熟児で生まれてくるのだから自ら動くことができないという考えが覆されたらしい。
両脇を抱えられ病室へ、この時すでに子宮は収縮している。
子宮収縮の際の痛み、後陣痛がある。
一般的に第一子より第二子、と痛くなるらしいが私は既に痛かった。
この子宮収縮、目にはもちろん見えないがお腹を触ると子宮の上部が指に触れ、一日一日下がっていき退院する頃には触れなくなる。
そしてアドレナリン大放出の為、一睡もできず朝を迎えるが骨盤底筋が伸びてしまい排尿できず。
それより排便の方が懸念される。出産のいきみのせいもあり、脱腸することがある。
実際したが痛くはないがすっごい違和感
そして座ると切開した部分が痛い。
クッションがあっても痛い。耐えかね食事も行儀が悪いが立って食べたこともある。
3日目おっぱいが張ってくる。39.3℃の熱、おっぱい熱
おっぱいはガッチガチ、痛い
赤ちゃんがふくんでも痛い
助産師さんが絞って・・く・れ・・うんぬー!!いたいっ!!
なんじゃぁこりゃああああぁぁぁぁ
おしもとおっぱいが痛いなんて誰も教えてくれなかった!!
あ・・・、名前。なまえ
入院中は何となく忙しい
6日目助産師さんに授乳が不安と心配されるが悩んだ末、退院。
病院を出るとなんて眩しい。
子供を抱き歩く。
この眩しさが幸せで世界を包んでいるようなそんな感覚に一層させる。
生後7日目泣き声の嵐!!!
そして「お七夜」
諸説あるが、産まれて6日目まで赤ちゃんの生命は産土神(うぶすながみ)に委ねられ、
名前もつけず見守りつづけ、7日目に人の子として認められると考えられてきた。
医療技術が発達していないため生後2,3日で息絶える赤ちゃんも少なくなかったという。
赤ちゃんが生まれた家主は親戚を招き「命名式」、名付けを祝い行ったあと親戚や仲人さんを招いての祝宴をする古くからのならわし。
小学校の行事のお手伝いをした時の事、読めない名前の数々・・・
我が子の名前だけは誰もがよめる名前にしたいと思った16歳の夏、
それから10年程過ぎ生涯の伴侶と出合い、
初産の割にバビューンと産まれたわが子。
主人が考えに考えた末、名付けてくれた。
略式だが半紙に命名を書き両家、自宅に納め、ささやかながら家族でお祝いをした。
お伊勢さまの遷宮は20年ごと。
これは技術を残すためでもあるという。
現在はもうちょっと長いが出産も親と子で20年ごと、
祖母は姪と一つ違い。一緒に育ったという。
友人は自宅で弟が産まれてくるのをお湯を沸かして、お姉さん達と正座して待っていたという。
母は小学生のころ近所の農家の子供をおぶって子守をしていた。
こうして家庭の中で将来、産まれてくるであろう我が子の育児を、地域で子守をして自然に学び身近にいた助産師さんから指導を仰ぎ家族で、地域で子育てしてきたのであろう。
核家族化そして出産が施設へ移行した現代、自分が嫁ぐまでに出産、育児の場面に一緒に暮らす家族としては立ち会う事は少ない。
情報化社会になりインターネットで検索できるが、答えは画一化し、かえって悩んでしまう点もある。
過去には戻れないが時代とともにまた、別の解決法も見えてくる。
時代の流れである。
ただ、お伊勢さまの遷宮が変わらずあることと同じで時代は変われど大本は変わらない。
これを機に両親に私の名前の由来をきいた
「忘れた。文子はなんでやったかぁ~」
何度聞いても30年前に産まれた第一子の私だけ、どうも覚えてないらしい・・・
初宮詣編へ続く・・・