宮崎神青ブログ - 最新エントリー
去る10月24日、当会会員の那須武登くん(都農神社権禰宜)が結婚されました(^_^)/~
会場はもちろん神宮会館!
乾杯!
どこかで見たケーキですが・・・ どこかはこちら
奉職先の都農神社をはじめ、ご実家の十根川神社関係者等々多くの方が
お祝いにかけつけておられました。
過去に多くの披露宴に出席させていただきましたが、これほどまでにガチガチに緊張した
新郎を見たのは初めてのことでした・・・
さらに那須くんと言えば、かつてはプロゴルファーを目指していたほどで、その腕前は未だ健在!?
最近ご無沙汰ですので、久しぶりに一緒にラウンドしたいものですね(^_^)/~
お二人の末永いお幸せとご両家の益々のご繁栄をお祈り申し上げます。
弥栄!
去る10月27日当会御神田抜穂祭が斎行されました。
本年は台風、夏の日照不足等々で生育が心配されておりましたが、目出度くこの日を迎える
ことができました。
雲一つ無い晴天!
懸税(かけぢから)は斎主自ら苅り取ります。
この日は全部の稲穂を手で苅り取りました。
稲を干すまでさせていただきました。
神青会でここまですることは中々無く、貴重な経験となりました。
お陰をもちまして第34回の御神田行事を滞りなく終えることができました。
(御神田行事についてはこちら)
関係各位には多大なるご協力をいただきまして、誠に有り難うございました。
会員一同衷心より厚く御礼申し上げます。
(当日の写真はこちら)
さらに昨日は、
初穂米の仕分け作業を行いました。
収穫されたお米は伊勢の神宮、宮中、靖国神社をはじめとして
県内653社のお社へ奉納し、11月23日斎行の新嘗祭(にいなめさい=新穀感謝の祭)に
お供えさせていただきます。
来年は宮崎市支部担当のもと、御神田行事が斎行されます。
現在のところ、史上初となる綾の地で斎行予定です。
清々しい御神田行事となりますよう、皆で取り組んでいきたいと思います。
関係地区の皆様にはご多忙のこととは存じますが、何卒宜しくお願い致します<(_ _)>
下記の通りとなりますのでお知らせ致します。
第1日 11月1日(土) 御発輦祭 正午~ 於本宮
場所 | 先頭時間 | 最後尾時間 |
神宮出発 | 13:00 | 14:00 |
NHK前 | 13:05 | 14:10 |
一の鳥居 | 13:15 | 14:20 |
大盛うどん前 | 13:23 | 14:30 |
江平五差路 | 13:28 | 14:36 |
九州電力前 | 13:43 | 14:51 |
デパート前交差点 | 13:48 | 15:00 |
お菓子の日髙前 | 14:01 | 15:15 |
県庁西交差点 | 14:09 | 15:22 |
市役所前交差点 | 14:15 | 15:27 |
橘橋南詰交差点 | 14:30 | 15:40 |
中村一丁目交差点 | 14:36 |
15:48 |
大淀御旅所着 | 14:50 | 15:55 |
第2日 11月2日(日) 御旅所御発輦祭 於大淀御旅所
場所 | 先頭時間 | 最後尾時間 |
大淀御旅所 | 13:00 | |
鮮ど市場南宮崎店前 | 13:40 | |
大淀御旅所 | 14:00 | |
中村一丁目交差点 | 13:06 | 14:10 |
橘橋南詰交差点 | 13:13 | 14:20 |
市役所前交差点 | 13:23 | 14:40 |
県庁西交差点 | 13:27 | 14:50 |
お菓子の日髙前 | 13:41 | 15:05 |
デパート前交差点 | 13:50 | 15:17 |
九州電力前 | 14:03 | 15:22 |
江平五差路 | 14:13 | 15:35 |
大盛うどん店前 | 14:18 | 15:40 |
一ノ鳥居 | 14:23 | 15:45 |
NHK前 | 14:30 | 15:55 |
宮崎神宮着 | 14:50 | 16:10 |
交通規制、雨天時中止時等についてはこちら
本年も七五三詣の季節が近づいてまいりました。
七五三詣は3歳の男女児、5歳の男児、7歳の女児のお祓いです。
各神社では、お子様のこれまでの無事なご成長を神様に感謝し、これからの健やかなるご成長を祈念する七五三詣祈願を受け付けております。
皆様お揃いで、どうぞお参り下さい。
※事前にお参りになる神社へお問い合わせ下さい。(県内の神社はこちら)
七五三詣の由来
昔は乳幼児も生存率が低く、子供が大人に成長するまでの幼児期は特に病気などの不慮の病に よって亡くなることが多くありました。「七歳までの神のうち」という先人の言葉も残されているように、七歳までは神様からの授かり者であるとの意識が強く ありました。故に成長の過程において、氏神さまに祈願し子供の無事成長することを祈念したのです。
・3歳男女 「髪置き(かみおき)」のお祝い
昔は三歳までは頭髪から病気が入ると信じられていたので、髪を伸ばさず剃り続けていました。よってこのお祝い以降に髪を伸ばす区切りとしました。
・5歳男児 「袴着(はかまぎ)」のお祝い
男の子が初めて袴を着るお祝いです。
・「帯解き(おびとき)」のお祝い 7歳女児
それまで紐で着ていた着物を、これ以降帯を締めるように替えました。
平成26年七五三詣早見表
7歳女児 | 5歳男児 | 3歳男女児 | |
満 | 平成19年生まれ | 平成21年生まれ | 平成23年生まれ |
数え | 平成20年生まれ | 平成22年生まれ | 平成24年生まれ |
※数え年で祈願するのが一般的ですが、満年齢で受けられても結構です。
来る11月1日、2日に恒例の宮崎神宮御神幸祭(神武さま)が斎行されます。
両日とも交通規制が行われますので、ご注意下さい。(詳細はこちら)
また夕刻17時45分からは、高千穂通りを「神武さま広場」として、様々な催し物があります。
是非お誘い合わせの上お越し下さい。
県内神社の神楽等のお知らせ
○場所 大同生命ビル前ステージ
18:10~伊勢神楽(加江田神社についてはこちら)
毎年3月3日の春の例大祭で五穀豊穣を祈願して舞われています。
一時は舞手が一人になってしまい廃絶の危機にありましたが、平成19年から地元の子供たち
への指導にあたるなど継承に努め、平成25年10月15日には伊勢の式年遷宮で奉納されました。
18:40~生目神楽(生目神社についてはこちら)
安全、無病息災、豊作を願い舞われます。
鬼神・荒神舞、剣舞、薙刀などで構成され、力強く勇壮な舞であることが特徴です。
平成24年に宮崎無形民俗文化財に指定されました。
19:20~船引神楽(船引神社についてはこちら)
江戸時代中期には既に独立した「船引神楽」として定着したと伝えられ、古来、春分の日に五穀
豊穣と子孫繁栄を祈願して奉納されています。里神楽であり日中に舞われ、一番太鼓や笛の
調子が違うのが特徴です。
20:00~野島神楽(野島神社についてはこちら)
500年の伝統を誇り、伊勢神楽の系統で「降臨の舞」と「里舞」とで成り立ちます。
古くより加江田神社と共演していましたが、寬文2年の外所地震以降、野島に残し継がれ、
33番のうち22番程伝承しています。
お誘いあわせの上、是非足を運ばれて下さい。
前回の続き・・・
奈良県神道青年会創立五十周年記念式典を終えた翌日。
どうにか集合時間の8時30分には準備を整え、予定通り奈良県宮巡へ出発!
方向音痴な私はどの方角に進んでいるのかもよく分からず、バスに揺られること数十分。
先ずは生駒郡三郷町鎮座の龍田大社へ。
天と地の間、即ち大気・生気・風力を司る神様で「風神」として有名な神社です。
ここでは正式参拝。
拝殿は四方から風が吹き抜け、非常に清々しい参拝となりました。
続いては北葛城郡河合町鎮座の廣瀬大社へ。
主祭神は水の守り神様で、大和盆地を流れる総ての河川が一点に合流する地に
鎮座されています。
各お社にて宮司様をはじめ職員の方々には、ご厚遇に預かりましたこと衷心より
厚く御礼申し上げます。
ちなみに龍田大社、廣瀬神社は『式内社』(しきないしゃ)であります。
式内社とは延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載された神社のこと。
延喜式とは、律・令・格の施行細則を集成した法典であり五十巻から成る書物で、醍醐天皇の
命によって延喜五年(905)八月に編纂を開始し、二十二年後の延長五年(927)十二月に
完成奏上されました。その後も修訂が加えられ、施行に移されたのは四十年後の康保四年
(967)十月でありました。
五十巻の内の巻一~十が神祇官(じんぎかん)関係の式であり、つまりは神社に関すること。
巻 | 内容 | 詳細 |
一・二 | 四時祭上下 |
恒例の祭祀の各々について、とくにその祭料の品目、数量を中心 とした規定 |
三 | 臨時祭 |
霹靂(へきれき)神祭以下の臨時の祭について、主として祭料に 関する規定 |
四 | 伊勢太神宮 | 伊勢の皇太神宮・豊受大神宮に関する諸規定 |
五 |
斎宮寮 (さいぐうりょう) |
伊勢太神宮の斎内親王、斎宮、斎宮寮などに関する規定 |
六 | 斎院司 | 賀茂大神の斎王関係 |
七 |
践祚大嘗祭 (せんそだいじょうさい) |
天皇即位後に行われる一世一度の践祚大嘗祭に関する細則 |
八 | 祝詞 | 二十七編の祝詞が集められている |
九・十 | 神名帳上下 | 当時の官社の一覧表 |
巻九・十に記載された神社が『式内社』であって、由緒ある神社としてその社格を誇ることができました。
その数は3,132座、2,861社。(座=神様の数、社=神社の数)
これらの神社は、少なくとも延喜式が完成した延長五年(927)には鎮座されていたということになります。
さらに式内社は以下の様に区分されます。
区分 | 数 | |
官幣大社 | 304座 198社 |
京畿内中心に全国に散在したが、現在の北海道はもちろん九州 にも置かれなかった |
官幣小社 | 433座 375社 | 畿内のみ |
国幣大社 | 188座 155社 | 畿外に分布 |
国幣小社 | 2207座 2133社 | 畿外に分布 |
(官幣社=神祇官から幣帛を受ける社 国幣社=その社のある国から幣帛を受ける社)
この分布からも分かるように、官幣社は神武天皇さまが宮崎よりご東遷の末、ご即位された
奈良県を中心に偏っており、地理的な要因が大きく関係していたと思われます。
その内の286座、216社が奈良県(大和国)に鎮座されます。
ちなみに宮崎県(日向国)には式内社は何社あるでしょうか???
①4社
②40社
③400社
答えは・・・
なんと①の4社。
霧島神社は霧島岑神社、東霧島神社、霧島東神社、霧島神宮のいずれかではないかと
言うことだそうです。
式内社は中世には官社の形骸化とともに実態は失われたのですが、名称自体は一種の社格として現在にも残っております。
長々とした説明となりましたが、お分かりいただけたでしょうか???
さて話は奈良県宮巡に戻りますが、その後一行は
法隆寺を最後にお参りし、伊丹空港にて解散となりました。
あっという間でしたが、非常に有意義な2日間となりました。
奈良県神青会の皆様には、ご多忙中にも拘わりませず終始お付き合いいただき
誠に有り難うございました。
来年は宮崎県高千穂町にて交流事業を開催予定です!
皆様お揃いでのお越しを会員一同心待ちにしております(^_^)/~
おおきに! ほなな~(^^)/
去る9月25日、奈良県神道青年会創立50周年記念式典が開催されました。
奈良神青とは姉妹神青締結をしており、当会から5名が参加させていただきました。
出発間近まで台風の影響があり、無事に奈良県へ向かえるのか心配しましたが、
台風は熱帯低気圧へと変わり一安心しました。
初めてのJR奈良駅。
到着直前は土砂降りだったようです・・・
記念式典は午後3時からホテル日航奈良にて。
『大会宣言』
昭和三十九年八月十六日、県内若手神職が一致結束して奈良県神道青年会は結成され、
今年五十年の佳節を迎えた。
結成の頃の我が国は、戦後の混迷期を脱し高度経済成長へと突き進む時宜にあり、
当時から戦後施策による心の喪失が叫ばれていた。斯界を取り巻く環境はこの五十年で
劇的に変容し、経済成長と共に発展進化しつつも、それまで先賢が大切に培ってきた伝統
文化は荒廃の一途を辿り、明年終戦七十年を迎える今もなお、心は取り戻せずにいる。
今こそ我々は、神武帝創業の地この奈良県から日本古来の民族精神を呼び覚まし、この
美しい国風を未来へと継承するべく努力し、神々と共に在る信仰生活の原点に立ち返り
惟神の大道を宣揚し、拡く人類の福祉を増進すべく邁進することを茲に宣言する。
平成二十六年九月二十五日
奈良県神道青年会 創立五十周年記念大会
「稽古照今」(けいこしょうこん)の文字は、太安萬侶卿と御縁深き多坐彌志理都比古神社
宮司多忠記様にご揮毫賜ったそうです。
奈良県神道青年会様、誠にお目出度うございました<(_ _)>
益々のご活躍をお祈り申し上げます。
続いて第二部では神話紙芝居団かたりべまほろばの発表がございました。
「かたりべまほろば」とは、奈良県神青会創立四十周年記念事業の柱として平成十五年
十一月に立ち上げられ、初演から本年で十年と迎えたそうです。祖先から伝えられて
きた「神話」「民話」を題材に分かり易く語りかけることにより「神話」への正しい知識と、
忘れかけている日本の心を蘇らせ、次世代の子供達に継承させることを目的とされて
います。
脚本から絵画の制作、上演する舞台など全て手作りに拘り、会員神職はもとより奉務
神社の巫女、家族らが精力的に奉仕し、現在では地域への認識を広まり、神社での
祭礼を始め児童施設や各種催しなど年間を通じて公演を重ねているようです。
奈良県内のみの公演となるそうですが、興味がある方は是非お呼びになられて下さい。
続いて第三部は祝宴が催され、楽しいひとときを過ごすことができました。
さらに場所を変えての両県親睦会(*^_^*)
お疲れのところ深夜までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
翌日は交流事業の一環として、奈良県を宮巡予定。
午前8時30分出発とのこと・・・
起きられるかな???
続く・・・
去る平成26年9月7日、日南海岸の富土海水浴場にて南那珂地区ブロック会
「禊錬成会」を執り行いました。
宮崎市内より錬成会場に向かう道中雨がパラパラ・・・
到着後もパラパラ・・・
天気が心配されましたが、暫くすると雨も止み、9月上旬と言うことで気温も温かく、
海水浴?にはもってこいの気候。
しかし波がやや高い。
雨のせいか、はたまた奄美大島の東南東約210キロにある台風第14号の影響か・・・
定刻となり開会式。
道彦は吾田神社禰宜日髙輝久先輩。
今回の禊ぎは神青会員だけでなく一般の方も数名参加ということもあり作法を懇切丁寧に説明。
なにより心身共に清められているという気持ちが1番大切とのことでした。
小学校低学年?幼稚園児?も3名参加。かわいいですね(^_^)
褌鉢巻き姿に着替えた後浜辺に集合。
揃いも揃って、お腹ぽっこりの見事な体つきの男達の集団の中に、異質とも思える
引き締まった体の方が1名!
・・・サーファーの方・・・キレてます。
さて海に浸かる前に、まずは儀式。
円形に広がり
①鳥船行事(とりふねぎょうじ)
②雄健行事(おたけびぎょうじ)
③雄詰行事(おころびぎょうじ)
④気吹行事(いぶきぎょうじ)。
を行います。
そして、いざ波高き大海原へ。
高波に逆らいながら進む。
肩まで浸かり大祓詞奏上。
その間波に戻されないように耐える。
時々押し迫ってくる大きな波はジャンプして回避。
禊に集中できないのは私だけ・・・?
まだまだ修行が足りない証拠ですかね。
兎にも角にも浜に上がり鳥船行事等を繰り返し行う。
終って道彦の先導により、一同相対して両手を拡げ、一拍手「おめでとうございます」と挨拶し、
禊は修了となりました。
私自身、禊は年に1度神社の禊ぎ場にて行っていますが、海という自然の中での禊は格段に
違ったものを感じました。大海原で波に打たれ、それと共に穢れが流れていく気がし、そして
自然の力は人間を遥かに超越し絶大と改めて感じました。
その後は着替えて直会会場へ。
直会会場は廃校となった旧潮小学校のある潮の杜にてバーベキュー。
校庭にBGMが流れ、そんな演出もしているのかとちょっと驚き!と思いきや元の教室には
タイ料理店があり、そこからの音楽でした♪
さらにはスナックも入ってるみたいです。
不思議な空間の中、非常に楽しいひとときとなりました!
去る8月19日、福岡県に於いて第40回九州各県神道青年親善野球大会、
また翌日の20日は、神道青年九州地区協議会研修会が行われました。
(野球大会についてはこちら)
野球大会は宮崎県が現在3連覇中!
残念ながら生憎の雨の為、体育館での3角ベースとなりましたが、競技は何でもいい!
4連覇に向けて、熱戦が繰り広げられました!
王者の余裕(✧≖‿ゝ≖)ドヤァ
宣誓!我々選手一同は、外で思い切り野球したかった!カキーーン (*・ω・)_/彡° ヾ(・ω・;)
1回戦 宮崎6-0鹿児島
2回戦 宮崎3?-1?熊本
そして決勝戦!
ゆず/♪栄光の架橋
誰にも見せない泪(ナミダ)があった (相手は??年振りの優勝を狙う大分県)
人知れず流した泪があった ((ρ≧□≦)ノ…コラーっ!!!)
決して平らな道ではなかった (初回のピンチをファインプレ-により無失点で切り抜ける)
けれど確かに歩んで来た道だ (秘技消える魔球ならぬ消えるバット???)
あの時想い描いた夢の途中に今も (2回を終わって0対0の投手戦)
何度も何度もあきらめかけた夢の途中 (しかし大分の猛攻にあい3点を追う苦しい展開に)
いくつもの日々を越えて (反撃開始!)
辿り着いた今がある (大分県さん、タイムアウトのない試合の面白さを教えてあげますよ!)
だからもう迷わずに進めばいい (あきらめたらそこで試合終了ですよ。そしてついに・・・)
栄光の架橋へと… (・・・・・・)
0-3の完敗。
惜しくも4連覇の夢は絶たれました。
大分県さん優勝おめでとうございます<(_ _)>
今回ご担当いただいた福岡県神青会の皆様には、大変なご苦労だったことと思います。
御陰をもちまして、大変楽しい有意義なひとときとなりました。
衷心より厚く御礼申し上げます。
さて来年は長崎県で開催!
やられたらやり返す!倍返しだ!(しつこい?)
一丸となってV奪還へ向けて頑張りましょう┗(`・ω・´)┛フンヌッ!
お疲れっした~・・・
本日は終戦69回目の終戦記念日。
宮崎県護国神社についてお話致します。
宮崎県護国神社の御祭神は、正殿に明治戊申の役以降国家公共に尽くした人の神霊四万一千八百十八柱、相殿に公務殉職者の神霊五十四柱がお祀りされています。現在お祀りされている神霊は、総じて四万一千八百七十二柱(平成二十六年三月現在)となっております。現在でも合祀される神霊があり、本年(平成二十六年)も四月十日の例大祭の前夜祭に併せて、合祀祭が斎行されます。また、皆さまもご存じかと思いますが、護国神社の御祭神と靖國神社の御祭神は同じでありまして、靖國神社の神霊二百四十六万六千余柱の中に宮崎県護国神社の神霊も含まれているのです。
【ご社殿の造営】
全国道府県の護国神社は殆ど明治維新の際に招魂社として創立され、戦前より慰霊の祭儀が行われていました。しかし、宮崎県は当時、小藩分立の状態等の事情もありまして、県内全域の神霊を祀る招魂社は創立されていませんでした。そこで県としては移設のできる小さな社殿を造り、毎年祭場を設営して県下全戦没者の招魂祭を執り行っていました。
昭和十六年十二月大東亜戦争の勃発により戦没者の数が急増し、護国の英霊に対する県民の感謝と敬揚の念が次第に深まりました。そこで県民の要望に応えるため、当時の知事をはじめ各界の代表者が設立者となって、宮崎県護国神社建設奉賛会を組織されました。
昭和十八年四月二十三日に内務大臣の許可を得て、鎮座地を宮崎市下北方の高台(現宮崎市立大宮中学校)に定め、同年五月十日に地鎮祭を斎行、建設工事に着手しました。
創建予定地地図
しかし、昭和二十年三月十七日には硫黄島が玉砕、ついに宮崎県下もアメリカの戦艦機の編成による空襲をうけ、建設は思うように進みませんでした。連日の空襲により、同年五月三十一日を以て建設工事を中止し、そのまま昭和二十年八月十五日終戦を迎えました。終戦後は神道指令により、宮崎市内では学校等の神棚を宮崎神宮に集めて消却し、また護国神社におきましても創建奉賛会の解散を命じられ、当時の宮崎軍民生部長官マスマン少佐の厳命により建設途中の社殿は解体、土地を手放すこととなり、建設の放棄を余儀なくされました。
しかしその後、講和条約の発効を見るに至り、護国神社再建の要望が澎湃(ほうはい)として起こったので、昭和二十八年四月に宮崎県護国神社政権奉賛会を組織して、県民の浄財をつのり神社の再建に着手し、現在地に昭和三十年三月竣工、同日鎮座祭を斎行し今日に至るのであります。
【護国神社と宮崎神宮】
宮崎神宮の西の森に創建された当初は、宮崎神宮と一体の運営がなされていました。
当時の宮崎神宮片岡宮司は「戦没された人々は、宮崎神宮をはじめ、それぞれの産土神社に武運長久を祈願して出征されたのであり、その神霊をお祀りする護国神社は、県下六百余の神社を代表して宮崎神宮が宮司以下全員無報酬により護持する。大祭には県下の全神職が奉仕する精神を以て神社庁支部長も奉仕する。時代の変革あるも宮崎神宮の現存する限り護国神社の祭祀を欠かさないようにする。」との方針をもって維持運営されていました。
しかしその後、ご遺族を始め多くの県民から独立神社にふさわしい運営をとの願いにより、昭和四十七年四月より専任の職員を置くようになりました。
【例大祭】
護国神社では、県内神職の奉仕により毎年四月九日に前夜祭併せて合祀祭、四月十日に例大祭が斎行されていますが、本来の例祭日は三月十日でありました。これは昭和三十年三月十日に合祀鎮座祭が斎行されたことに由来します。しかしながら、宮崎県戦没者等慰霊奉賛会会長より、三月十日は例年定例の県議会開催中につき、慰霊奉賛会総裁(知事)、会長(県議会議長)の参列が困難であるとのことから、例祭日変更の申し出がありました。また、県下の一万二千人の遺族にとっても、時期的に肌寒いため参集が困難であるという事情も考慮して、例祭日は昭和五十三年に四月十日と改められ現在に至ります。
このような事情から例祭日が変更されたにもかかわらず、近年、例大祭総裁は祭典終了後にお参りされています。公私共にご多忙であり、社会情勢を踏まえての事と存じますが、県民を代表して日本国に命を捧げられた神霊に対して、堂々と参拝をされます事を切に願います。
【現在の護国神社】
現在、宮崎県内の御遺族は約一万人近くを数えます。しかし御遺族の高齢化とともに、参拝者は年々減少の一途をたどっているのが現状です。この状況に危機感を抱き、戦没者遺族の意思を継承をすべく、平成二十五年十一月には御英霊の孫、曾孫を中心に組織する「宮崎市遺族連合会青年部」が設立され、慰霊祭等の活動が行われています。
平成二十七年は終戦から七十年の節目にあたります。改めて先人達の尊い犠牲の上に、今の平和な国日本があることに感謝をするべきではないでしょうか。我々の使命は、祭祀を通して御英霊を顕彰することはもちろんのこと、平和な世の中と命の尊さを後世へと語り継ぐことだと思います。