宮崎神青ブログ - 文子の育児奮闘記カテゴリのエントリ
女子神職の育児奮闘記です。
約1年ぶりの投稿になります。(前回はこちら)
ではクリスマス問題編のはじまりはじまり・・・
早いもので、今年も残りわずかとなりました。
この時期にちょっと話題になることがある。
それは、『神主さんのクリスマス』
お坊さんのおうちでも同様だとか・・・
神社の子供の宿命とも言える、小さい頃からよく聞かれる質問がある。
「ふーちゃんちってクリスマスあると???」
「ツリーは、・・・あるよ(✧≖‿ゝ≖)ドヤァ」 (もらいもの・・・)
「ケーキも、・・・あるよ(✧≖‿ゝ≖)ドヤァ」 (毎年、親戚の関係で買っている・・・)
「え━━━(゚o゚〃)━━━!!!ふーちゃんち神社やろ!」
そして、この手の質問は母となった今も続く。
「おかあさ~ん、うちはクリスマスプレゼントなんでないと?」
「うちは神道だから(✧≖‿ゝ≖)ドヤァ」
と言うか、旦那さんの家も私の家もそういう習慣なかったし・・・
しかしながら、八百万の神々が坐します日本は海の外から来られた神様も尊び敬ってきた。
これは日本の文化だと思う。
お葬式でも、亡くなった方の信仰していた宗教にあわせ拝み故人を偲ぶ。
宗教はそれぞれだが偲ぶ心は同じ。
明治以前は「生きているうちは神社、おくりは仏」との言葉があり、
私の御先祖様も、明治以前は仏様のおちからによって黄泉の国へと旅立っただろう。
私が子供を宗教園に入園させたのも、どの宗教かというより、どの宗教でも敬い尊べるかが
人や物、目に見えぬもの全てに対する思いに繋がっていくのではないかなとの思いからである。
そしてさらに子供から、
「おかあさん、知ってる?サンタさんはお父さんとお母さんなんだよ!」
え!?
どうもお友達情報らしいが、もはや宗教がどうのこうのではない・・・
「へぇ~・・・そうなの?」
他の家庭に影響を及ぼしかねないので下手なことは言えない。
そんなこんなで、行き着いたクリスマスプレゼントの問いへの答えは、
「クリスマスは、イエスキリスト様のご聖誕を祝うものでプレゼントをもらうイベントではない、
教会にいってお祈りしてきなさい!」
どうやら納得してくれた様子(;≧∇≦) =3 ホッ
ついこの間、妹から相談がきた。
「お姉ちゃん、子供からなぜうちにクリスマスプレゼントが来ないか聞かれたけどなんて答えてる?」
逆に何と答えたのか聞いたところ、
「○○くんちはお金持ちだからクリスマスプレゼントあるけど、うちは貧乏だからないよ。」
と、答えてしまったらしい。
いっそのこと、
「よそはよそ、うちはうち」の方がマシだったね・・・
何はともあれ、メリークリスマス!
そして、良いお年を<(_ _)>
続く・・・
女子神職の育児奮闘記です。
おっぱい編はこちら
では第2子出産「余裕のよっちゃっん」遍のはじまりはじまり・・・
二人目の妊娠はつわりこそひどくない方だが、
横になっていると長子に起こされるので休むひまもなかった。
妊娠期間はわりと順調。
とうとうおしるしが来た。
長子と同じ午前0時フライングということもあるのでとりあえず寝た。zzz
が!
じくじく痛んでくる
午前2時病院に連絡、早目だが経産婦なので来てくださいとのこと。
準備して、4時ごろ家族3人で病院へ。
陣痛室へ通されるが、経産婦だから早く生まれるかもと分娩室へ通される。
最新型の大きさの違う丸が3つ、串団子のようなピンクのベッドの上で
点滴につながれ冷静に陣痛と向き合う。
「ひっひっふー」
ラマーズ法も完ぺき!
「さすが経産婦さんね、うまいわね」と言われ
隣は初産婦さん、痛い痛いと泣いている。
「隣の初産婦さんより先に生まれるかもね~」と言われていたが、
あれよあれよと言う間に彼女は出産。
私、感動(T_T)
徐々に陣痛がきつくなる
「さすがね、経産婦さん落ち着いてるわね」
「おかあさんがんばれぇ~」
頭の傍で主人と長子がついていてくれる。
でもきつい・・・
主人いわくまだ「余裕ぶっこいて」たらしい。
子宮口6㎝ここから進まない。
おなかのややは陣痛の痛みを助長するようにぐるぐる動く、
い・だ・い。
でも外の世界に顔を出すのをためらっているようで
私のメンタルも徐々に
「いたいいぃいいたいよぉもういや~」
泣いた。
ずっと「痛い」しかいってない。
母登場!
「おかあさあぁあん」泣く、励まされる。
そしてとうとう半泣きで
「無痛分娩にしてくださあい」
・・・
「ないのよ~」
とあっさりいわれ、しくしく(T_T)
助産師さんが「ずっとトイレいってないよね?」
膀胱に尿が溜まっていると赤ちゃんが産道を通る邪魔になるらしく、尿道管挿入初体験。
女性の方が痛いとのうわさを聞いていたが、おしもは麻痺しているらしくどうもなかった
ボーっとしてきた。
助産師さんが
「食事もとってないよね?御主人ウィ○ーインゼリーとチョコレーと買ってきて」
黒いチョコレート苦手なのにと思いながら口にすると、目がカッと開き視界が明るくなった。
どうも餌切れしていたらしい。
そうこうしているうちに長子、お母さんを応援することにも飽きてきて
「ねえまだぁ~?まだ産まれないのぉ?」と退屈しだした・・・
「そうっすよねー!はやく産みたいんすけどねー!」
とうとう私のメンタルも限界。
促進剤は使いたくなかったが、母子共の体力を考えてのことだったので了解した。
ここで数日前に高熱を出した時に診ていただいた研修医の先生登場。
「見学させてもらって、いいですか?」といわれ、さあどうぞどうぞ。
きたーーーーーーーーーーー!!!!!!
促進剤いたぁぁぁぁぁい
陣痛は痛みが徐々にきて最高潮になって、また徐々に治まって間休を繰り返すが、
いたみがガッツンガッツン来る!
「これか、促進剤いたいってこれか」と半泣きで耐える。
もう助産師さんの声かけなんか聞いてない。
若干パニック!
もうイヤ!死ぬかも・・・
「はやく産まれてえええええ」と思っていたら
「いきみたくなってきた」
助産師さんらが慌てて準備。
「いきみをのがしてまだよ、ゆっくり」
んなの聞いてられない!
もう無理、と思った瞬間「パンっ」と音がして
羊水が助産師さんの顔に直撃。
破水しました。ごめんなさい・・・。
もうここらからは、総合病院で規律も厳しいのに経産婦が取り乱したので
どうにか正気をと思ったか母、妹親子までも分娩室に。
いきみ、あっさりプリンと子供誕生。
私ぐったり
長子が処置されている赤ちゃんを見て
「かわいい、鳥原ベイビー(名前が決まってないとそうよばれるれる)かわいい」
と、それがなにより嬉しかった。
そんな長子は大暴れして実家に連れて行かれたことを
未だに覚えていて話してくれる。
そして研修医の先生、私のお股越しに満面の笑みで親指を立て
「グッジョブ!」と言わんばかり。
なんか、、、半狂乱の自分が日常にもどった。
陣痛の間休の間、当然休む。
ぐったりでウトウトとする。
主人は私が意識を失ったと思ったのか、間休のたびほっぺをぱしぱしたたいて
「大丈夫?」と起こす。
ありがとう。
心配してくれてありがとう。
もう気力がなくて、何も言えなかったけど殺意が芽生えたよ(怒)
続く・・・
女子神職の育児奮闘記です。
お食い初め編はこちら
ではおっぱい編のはじまりはじまり・・・
出産前、パパママ教室に。
そこでおっぱい指導がある。
授乳について一通り話があった後、個室へ。
おっぱいと一括りに言ってもいろんな乳房や乳首があり、助産師さんや保健婦さんに
みてもらいおっぱいマッサージを教えてもらう。
乳首が固いと赤ちゃんは力が弱いので飲みにくいので、指導に従って
まずは伸ばしたり戻したり、あとは乳首をつまんでこりこり・・・
ま、こんなもんでしょと思ってたら
「ちょっとまってこうやるのよ・・・」
えっ!?
それゴリゴリなんですけど正確にいうと、ごぉりんっごぉりんっつなんですけどー!!
あまりの痛さに顔がゆがむ。
「それくらいやらないと赤ちゃんが飲みにくいからがんばってね~」
それはまだ序の口だった。
出産2日目おっぱいが張ってきた。
もうすぐでるのかなぁ?
そのうちリンパも卓球ボール位に腫れてきた。
結構痛い。
夜中、痛みで目がさめる、おしもの痛みや、後陣痛の痛みどこではない。
おっぱいカッチカチやでー!
なんじゃこりゃ~
まるでおっぱいin鉄板
分かりやすく言うと、乳房から乳首の先まで全体が炎症を起こしているような状態。
さらに発熱。
こんなにおっぱいが痛くなるなんて
産まれたらスッと出るもんだと思ってたのに・・・
そのうち乳汁が分泌しだし、赤ちゃんに乳首をふくませる。
おっぱいでちゅよーどうぞのんでくだちゃ・・・
い・・いったー・・・・・い!!!
今度は、乳首から血が滲みだす
おっぱい、ボロボロ
出産直後はおっぱいもつらいよ・・・
続く・・・
久々の女子神職の育児奮闘記です。
初宮詣編はこちら
今回は神職というよりも、歯科衛生士としての文子さんからのお話。
それではお食い初め編(番外編)の始まり始まり・・
歯固め・・・子供の口に、神社の境内等の石をつけ「石のように丈夫な歯が生えるように」と願う
歯の本数は生後5,6カ月から乳歯が生え始めその数20本。
永久歯は6歳頃から生え始め28~32本。生えかわる事はない。
「八百万の神様」(やおよろずのかみ)
日本には、ありとあらゆる物に神様ががいらっしゃると云われる。
「歯の神様」も例外ではない。
『「歯の神様」信仰が始まったのは江戸時代中期から後期であるといわれています。(中略)庶民は歯痛などの悩みにどう対処したのでしょうか。苦しい時の「神頼み」、「まじない」などが唯一の手段であり、これに頼らざるを得なかった。また、歯の痛みは人生において苦痛であると自刃したり、生きながらに土中に埋葬されたり(中略)歯の痛みはその当時の人々にとって生死にかかわる重要な問題だったのも信仰の理由であった~日本歯科医師会HPより~』
歯の知覚は「痛み」しかない。
熱いものが触れても「痛い」
冷たいものが触れても「痛い」
私も経験があるが、ひどい時には転げまわるほど痛い!とてつもなく痛い!!
最近、虫歯菌や歯周病菌は、親または家族から感染することが広く知られてきている。
もちろん我が家では菌の感染はゼロにはできないが、なるべく少なくと実行している。
菌が定着する2,3歳までは食器、スポンジの共用、キス禁止!
キスなんて毛頭するつもりもないが・・・
3歳過ぎても虫歯菌は定着しなくても、歯周病菌は感染するので未だにつけ箸もしない。
そこまで神経質になると体が弱くなる。
「虫歯で死にはしない」と耳にすることがあるが、
上記のとおりヒトは6歳から死ぬまで永久歯で食べ物を噛み砕く。
寿命は80歳、なるべくなら自分の歯で食事をしたい。
ケア次第で一生自分の歯で生涯過ごすことは可能である。
インプラントの需要が伸びている。
その訳は、入れ歯は使い心地が、”悪い”らしい・・・とのことから。
実際に患者さんがそうおっしゃるので、私は断言してもいいと思う。
更に女性は生理、妊娠、出産と、女性ホルモンの分泌が多くなるので歯周病に罹りやすい。
昔は「子供に栄養を取られて歯が抜けた」とよく言ったが、
骨は「日日変動」するが、歯は変動しないのでまずあり得ない。
できればかわいいわが子には、人生最後の食事まで自分の歯を使ってほしい。
そう願ってメンテナンスに歯科へ通院し、母はせっせと今日も仕上げ磨きをする。
仕上げ磨きは出来れば小学校高学年まで!
芸能人ならずとも、人は歯が命・・・
現場復帰はゼロに等しい歯科衛生士より
続く・・・
何年前かしら・・・???
女子神職の育児奮闘記です。
ちなみに命名編はこちら
それでは初宮詣編のはじまりはじまり・・・
産後の入院中、友人が感激の涙をいっぱいに浮かべ部屋に来てくれた。
が、私を見てふいに真顔になる。
「ふーちゃん・・・昨日・・・う、産んだよね?」
10ヶ月かけて膨らんだおなかはまだぽっこりしている。
赤ちゃん、胎盤、羊水、子宮や発達する乳腺、
増加する循環血液量合わせて6.5kg+必要な皮下脂肪。
必要・・・
17kg太ったしね!
お母さんの仕事は赤ちゃんのお世話と休養。
はじめおっぱいがあまりでなかったのでミルクと混合。
お母、妹、主人、挙句の果ては父まで動員して搾乳機で乳搾り。
いつでもどこでも何度でも出ているおっぱいに慣れた父は「ちゃんと飲めよ~」と
孫がかわいいあまり私のおっぱいをつまむ(出そうとしている) 。
おっぱいを飲ませると眠くなるのは、体を休める為とおっぱいをつくる為。
布おむつを使っていたが、そこは母にお願い・・・
普段眠れないことが多い私でさえ、しばらくの間は死んだように眠るzzz
気づいたらおっぱい丸出しで寝ていたり、夜間母に顎とおっぱいを支えられて授乳したと
後から聞き、夢でなかったのかとハッとする。
特に産後一ヶ月はしっかり休んでないと「産後の肥立ち」が悪く体調不良、ひどい場合は入院。
さらに更年期までも影響を及ぼすと言われているので、しっかり休むように助産師さんから
指導された。
海外の一部の働く女性は産後一週間ほどで職場復帰するらしいが、
日本人は体のつくりが違うので難しいらしい。
一ヶ月ほどで「床上げ」といって、無理しない程度に徐々に普段の生活にもどしていく。
授乳が不安で産後一ヶ月半ほど実家で過ごし、自宅へ戻るとサプラーイズ!
妊婦検診について行っても
「へー」とか
「ふーん」とか
「わからん」とか
言っていた主人が掃除をして迎えてくれた。
父親の第一歩!ちょっと感動。
数日後に初宮参り。
お母さんの体調も少し戻り、おっぱいも飲め、体重も増えて体力が少しついた頃に
わが子と氏神様に参るのが日本の慣わし。
神社にて御初穂料をお納めする。
熨斗には名前を筆と墨で上手い下手ではなく自分で書く(なければ筆ペンでも可)。
御神前へ進み、我が子を褥(しとね)に寝かせる。
朝から晩まで泣いている我が子が大人しく寝ている。
お宮参りで赤ちゃんがよく寝るのは、お腹の中にはない強い外の刺激をシャットダウンする為で、
太鼓の音で泣きやんだり落ち着くのは、お腹の中で聞いていたお母さんの心臓の鼓動の音と
似ているから。
祝詞奏上の間よく耳を澄ませてください。
神主さんが神様と願主の「仲執り持ち」となって奏上される祝詞は各神社、各神主共通では
ないのですべてに当てはまらないのですが
「若竹の如くすくすくと」「緑子のように」・・・と文言から分かるように
”親心”が込められています。
神様も国、子をお生みになられた親でありますので、子を慈しむ心は同じです。
母子共に健康で家族が無事であることを感謝し
事があれば大を中に、中を小に
神の御加護を賜り
育て 育ち 小さくておおきな幸せを。
すがすがしくてうれしくて・・・
こんな幸せほかにあっただろうか・・・
体重増加によりやっと留められたパンツのボタンが、今にも飛んでいきそうな不安の中、
大きな喜びに包まれた一日となりました。
次回へ続く・・・かな???
女子神職の育児奮闘記です。
ちなみに出産編はこちら
それでは命名編のはじまりはじまり・・・
今年は伊勢神宮の式年遷宮、出雲大社の遷宮と、巷で言う“ダブル遷宮”で日本中が湧いております。
20年前、奉務神社の宮司が遷宮の儀の御奉仕への道中、お伊勢の上は通らぬようにと電車と新幹線を乗り継ぎお伊勢へ上がった事、小学生だった私はお土産の美味しい赤福と丁度、陶芸のテレビ番組に熱心に視聴しており神宮の、赤土のかわらけ、たかつき等を目にして興奮したのを思い出しました。
それでは文子の育児奮闘記、厳か・・・ごちゃっと赤裸々にスタート
先生と談笑しながら局所麻酔下でおしもを縫合、開いた骨盤を締める為のさらしをまかれ、産後は生理様の「悪露(おろ)」が出るので、でっかいとしか言いようがない大判ナプキンをあてられ、
その後カンガルーケアを
肌と肌が触れ合うようにし乳首をふくませる。
あ、吸った!
人間の赤ちゃんは他の動物と比べ未熟児の状態で生まれてくる。
ある医療機関ではカンガルーケアの際、赤ちゃんが這っておっぱいまで移動するのを観察できたという。
未熟児で生まれてくるのだから自ら動くことができないという考えが覆されたらしい。
両脇を抱えられ病室へ、この時すでに子宮は収縮している。
子宮収縮の際の痛み、後陣痛がある。
一般的に第一子より第二子、と痛くなるらしいが私は既に痛かった。
この子宮収縮、目にはもちろん見えないがお腹を触ると子宮の上部が指に触れ、一日一日下がっていき退院する頃には触れなくなる。
そしてアドレナリン大放出の為、一睡もできず朝を迎えるが骨盤底筋が伸びてしまい排尿できず。
それより排便の方が懸念される。出産のいきみのせいもあり、脱腸することがある。
実際したが痛くはないがすっごい違和感
そして座ると切開した部分が痛い。
クッションがあっても痛い。耐えかね食事も行儀が悪いが立って食べたこともある。
3日目おっぱいが張ってくる。39.3℃の熱、おっぱい熱
おっぱいはガッチガチ、痛い
赤ちゃんがふくんでも痛い
助産師さんが絞って・・く・れ・・うんぬー!!いたいっ!!
なんじゃぁこりゃああああぁぁぁぁ
おしもとおっぱいが痛いなんて誰も教えてくれなかった!!
あ・・・、名前。なまえ
入院中は何となく忙しい
6日目助産師さんに授乳が不安と心配されるが悩んだ末、退院。
病院を出るとなんて眩しい。
子供を抱き歩く。
この眩しさが幸せで世界を包んでいるようなそんな感覚に一層させる。
生後7日目泣き声の嵐!!!
そして「お七夜」
諸説あるが、産まれて6日目まで赤ちゃんの生命は産土神(うぶすながみ)に委ねられ、
名前もつけず見守りつづけ、7日目に人の子として認められると考えられてきた。
医療技術が発達していないため生後2,3日で息絶える赤ちゃんも少なくなかったという。
赤ちゃんが生まれた家主は親戚を招き「命名式」、名付けを祝い行ったあと親戚や仲人さんを招いての祝宴をする古くからのならわし。
小学校の行事のお手伝いをした時の事、読めない名前の数々・・・
我が子の名前だけは誰もがよめる名前にしたいと思った16歳の夏、
それから10年程過ぎ生涯の伴侶と出合い、
初産の割にバビューンと産まれたわが子。
主人が考えに考えた末、名付けてくれた。
略式だが半紙に命名を書き両家、自宅に納め、ささやかながら家族でお祝いをした。
お伊勢さまの遷宮は20年ごと。
これは技術を残すためでもあるという。
現在はもうちょっと長いが出産も親と子で20年ごと、
祖母は姪と一つ違い。一緒に育ったという。
友人は自宅で弟が産まれてくるのをお湯を沸かして、お姉さん達と正座して待っていたという。
母は小学生のころ近所の農家の子供をおぶって子守をしていた。
こうして家庭の中で将来、産まれてくるであろう我が子の育児を、地域で子守をして自然に学び身近にいた助産師さんから指導を仰ぎ家族で、地域で子育てしてきたのであろう。
核家族化そして出産が施設へ移行した現代、自分が嫁ぐまでに出産、育児の場面に一緒に暮らす家族としては立ち会う事は少ない。
情報化社会になりインターネットで検索できるが、答えは画一化し、かえって悩んでしまう点もある。
過去には戻れないが時代とともにまた、別の解決法も見えてくる。
時代の流れである。
ただ、お伊勢さまの遷宮が変わらずあることと同じで時代は変われど大本は変わらない。
これを機に両親に私の名前の由来をきいた
「忘れた。文子はなんでやったかぁ~」
何度聞いても30年前に産まれた第一子の私だけ、どうも覚えてないらしい・・・
初宮詣編へ続く・・・
女子神職の出産時の奮闘記です!
ちなみに陣痛編はこちら
それでは、出産編のはじまりはじまり・・・
心してお読みください
きれいごとでないありのままの出産記
出産は「そったく」(漢字がでません)である
出産のホイッスルを鳴らすのは赤ちゃん
お母さんとのタイミングが合わないとお産が進まない
「メス取って。会陰切開するね」
「痛かったら教えて麻酔するから」
(会陰切開・・・赤ちゃんが出てくるところを切開。
必要があるのにしないとあんなとこまで裂けたりなんだり・・・)
縦、横と切開。
私は陣痛の痛みと皮膚が伸びているからか痛くなかった
痛い人は痛い。
「う○ち出す感じ!う○ち出しても恥ずかしくないからがんばれー」
「ゔ~ん」
と今まで出したことのない声に、
冷静な自分が「変な声」と思う・・・
妹、到着
「あっ赤ちゃん産まれた!?」と妹の声
「私の声やが!」
「あははー ごっめーん」
・・・
パンっと音がして破水
羊水が飛んだ!
頭がでてきた!!(らしい・・・)
「最後思いっきりいきんで、せーのぉ」
ニュルッとした感覚
「元気な赤ちゃんですよ!」
「アッ赤ちゃん?」わたしの第一声。
母親教室でみたDVDの出産シーンはあんなに感動したのに
出産は、人それぞれ
スイカが出てくる、火の玉が出てくるかの如く痛い人もいる
わたしは、痛みより排便するようなすっきり爽快感が勝った。
そして後産(あとざん)後産
胎盤が出てくる
ここは安堵感からかあまり覚えていない
助産師さんがお腹おさえていたような???
出てこないと助産師さんが馬乗りになって、お腹を押さえたという話も聞く
宮崎県西都市の「児湯の池」
この池が児湯郡の地名になった。
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの御子三神がこの地で産湯につかったとされる
分娩台の上で赤ちゃんを胸に抱く
いわゆるカンガルーケア
おっぱいを探して手足を動かす
不思議、ほんとにお腹の中にいたのかなぁ???
・・・あれ血液?
産湯につかると赤ちゃんの体温を下げてしまうのでふきあげるのだという。
とチクチクおしもを縫合中の先生と談笑
昭和30年代には女性の死因第一位は出産であった
出産は死と隣り合わせ
今は医療が発達しているので多くの命が助かっている。
出産は安全ではない。
だから多くの言い伝えがあり、妊婦さん、産褥期のお母さんを大事にしてきた。
祖母は陣痛が来て赤ちゃんがなかなか産まれなかった、
当時若かった産婆さんが促進剤を知っていたので、兄弟が隣町まで調達に行き
やっと生まれたという
そのままだったら母体もどうなったかわからない
もう60年も前の話である
私達はなんと恵まれた時代に出産できるか
促進剤はそこにある
普通分娩ができなければ帝王切開もできる
100%ではないが、”もしも”があったら対応できる
安心して出産できる
同じ出産でも国で違う
日本は世界でも産科はトップクラスだという
自然分娩が主流、産後のケアの充実、死亡率も少ない、費用の助成、
衛生環境も良い・・・
こんなに環境が整っている
ゆえに軽んじてはいないか。
人伝えですが
財は残すな子孫を残せと言った先輩の言葉が今も心に残っている
命名編へ続く・・・
皆様この企画があったのを覚えていますでしょうか???
女子神職の出産時の奮闘記です!
ちなみに妊娠編はこちら
それでは、陣痛編のはじまりはじまり・・・
朝、念のために病院へ連絡
「前駆陣痛かもしれないので様子見ててください」
(前駆陣痛…子宮が出産に備えて陣痛様の子宮収縮を起こす)
外出してお腹の痛みをごまかそう
足つぼマッサージ・・・ 体があったまって痛みがやわらぐ
ショッピング・・・ ちょっと値段が頭に入ってこない
カフェでランチ・・・ オムライスの味がしない
スーパーへ・・・ カートが押し車 結構痛い
調理を始める・・・ 波が来ると立っていられない。
午後6時産院へ連絡
「食事をとって入浴して来院くださいね」
主人帰宅
「どどどどどうすればいい?」
その慌てよう。
私が産むんですけど・・・
午後8時半産院へ
満潮を確認する明日朝6時・・・
普段、生理痛が激しいから私は耐えれるという自信が崩れていく
口にする言葉は「いたい」のみ
ふと、ある人の言葉を思い出す
「人生の中のたった一日の痛みやから」
この言葉がどんなに励みになったことか
陣痛とはどんなものか?
海外で二人の男性が陣痛を体験、本当の陣痛より弱く設定してあったが
2時間でギブアップ。
拷問・・・
「本当に子供が欲しいか迷ってきた!?」
またサヴァン症候群の女性は出産の痛みを事細かに覚えているため
出産は一度だけの方が多いという。
とにかく人格が変わるほど痛い
私は二人目妊娠した時にふと「あの時痛みがまたくるのか」と思い出して
ちょっと怖くなった。
忘れたとは言うけど覚えている。
あんなかわいいわが子がまた生まれると思うと耐えれる。
・・・出産は途中でやめれない。
耐えざるをえない
そして耐えられる。
パンっとお腹の中で何かがはじけた
破水?
助産師さんの診察
「破水じゃなくて出血・・・もう子宮口全開分娩室に行こう」
分娩室にむかうが痛くて足が進まない。
「ひっひっふー ヒッヒッフー」
彼が一緒にしてくれるが
その息が・・・ 「寒いっ」
汗を”サワサワッ”と拭かれて
「もういいっ」
じっとして手を握っていてもらう。
これでいいのだ。
間もなく母到着
汗を”ギュッギュ”と拭いてくれる
「コレコレ!」
助産師さんが痛みでガチガチになった体をさすってくれる
「いきみそう」
Drが慌てて準備をしている
「初産婦さんだからまだまだと思ってたけど、これは今日中だ!」
「次でいきもうか」
出産編へ続く・・・
神職の資格をとって8年が経とうとしています。
その間にこんなちっぽけな私が結婚し、赤ちゃんを授かりました。
人生のうちの十月十日赤ちゃんとの共生、共存が始まります。
噂の「つわり」が始まりました。
終わりがないかのように感じる今まで経験したことのない悪心。
そして頭が上がらない。
いつおわるのか、なんでこんなに辛いのだろう
4カ月に入ると嘘のように気分も良くなり
5か月の戌の日、安産祈願祭をしました。
寒い冬のことでした。
戌の日というのは犬が安産であることにあやかってからだそう。
お初穂をお供えし、腹帯をお祓いしていただく
母子ともに健康で出産に臨めますように
あらためて祝詞を耳にすると、私達は親になるのだと、自分の親もこういう
想いでお腹の子の安泰、安産を願ったのだと思うと背筋が伸びた。
この腹帯、日本だけだそうです。
お腹を支える役目もあり、なによりあたたかい。
妊娠して寅さんが毎日腹巻をしていた気持ちがわかった。
妊娠後期になると更にお腹は大きくなり
夜間に膝が痛み、こむら返りで叫び、お腹では赤ちゃんが動き回る
…寝むれない
この10ヶ月間わたしたちの体の中で子宮は鶏卵くらいの大きさが臨月には
直径30cm以上になり、胎盤ができホルモンの分泌がなされ、背骨はお腹が
出てS字を描いていたものが伸び、おっぱいは乳腺が発達しおおきく、血液は
量が増え薄く水っぽくなる
ただ、変化するだけではない、それに伴い不快症状が出てくる。
そして臨月のある日とうとうやってきました「おしるし」
夜中トイレに起きた私はおしるしを確認し、とりあえず寝た。