宮崎神青ブログ - 最新エントリー
話は忘年会に遡る。
二次会の席にて、とある神主さんが
「俺たち兄弟、子役デビューしてたんですよ!」
「・・・?」
皆それぞれが様々な経歴を持っているのは当然のことだが、
今回の経歴の持ち主はそうそういない。
「なになに?ドラマ??映画???」
お酒のせいもあり、私のテンションは一気に最高潮に達した。
「いやいや!CMっすよ!」
「ふ~ん。地元のCMやろ?」
「いやいや!全国っすよ!」
下がりかけた私のテンションは再度急上昇。
「すげ~!何のCM?」
「キリンラガービール。大鶴義丹さんや財前直見さんと共演したんですよ!」
「共演!?というかそのCM知らんし・・・」
「YouTubeで検索して!」
20数年前の映像があっという間に見られる。
つくづく便利な世の中だと思いながら、検索結果を待つ。
検索中・・・
お二人の出演ドラマであった大鶴義丹さんの『俺たちのオーレ』、
財前直見さんの『お金がない』の話で盛り上がる。
そして数分後・・・
「あった~!ありました!これですよこれ!」
一同食い入るようにスマートフォンをのぞき込む。
確かにそこには大鶴義丹さんと財前直見さんが出演していた。
キリンラガービールCM1991年「再会扁」 映像はこちら
ご覧になられていかがでしょうか?
皆さんが首をかしげ、頭の上に?が浮かんでいる姿は想像に難くない。
事実その場に居合わせた皆が同じ状態だったからである。
では、舞台が都会から宮崎の海へ移り、日南線の電車、駅がでてくる
1分40秒あたりに注目して再度ご覧下さい。
キリンラガービールCM1991年「再会扁」 映像はこちら
お~い・・・
あっという間のこと。
これが本当にこの兄弟なのか調べる手立てはない、と言うか調べる気もしない。
宮崎では放送されていない、出演の御礼にキリンラガービールを貰っただのなんなの。
そもそもCMに出る子供は子役というのか?
発言でもあればまだしも、これじゃ~ね~・・・
まぁまぁ、そんな二人も今や慣れ親しんだ地元で日々神明奉仕。
神主、兄弟、青年会、日南。
あの2人しかいませんよね・・・
号外!と言いましても、だいぶ前の話になるのですが・・・
去る平成26年11月27日(木)、東京都の神社本庁におきまして、
神道青年全国協議会臨時総会が開催されました。
当会より代議員として、会長、副会長が出向致しました。
主な議題は次期会長、監事選出に関する件。
その中で当会相談役であります青島神社宮司長友安隆が会長に選出、
全会一致をもって承認されました。
平成26年11月27日神青協臨時総会 次期会長承認後挨拶 長友安隆
失礼を致します。只今は、次期会長監事人事案をご承認賜りまして、本当に有難う
御座います。私は、次期会長として選出を頂きました九州地区宮崎県神道青年会相
談役の長友安隆で御座います。楠木正成公が如き智将南坊城会長の後を受け、今般
の方今国事多端の秋、此の重任に当たるという事で、寔に恐懼に堪へない次第であ
ります。
私は、素より浅学非才の身の上であり、普段は宮崎の田舎青島にて島守を致して居
りますが藤山会長最終年に遷宮委員として初めて神青協に出向して以来、永井会長、
久富会長、春木会長、大野会長、そして現南坊城会長に其々お仕へをさせて頂きま
した。其々の会長の溢れんばかりの情熱と真摯なる覚悟を間近で見て参りました。
また各期役員の皆様より厳しきご指導とご厚誼を頂きましたのは、我が生涯の宝と
するところであります。私には返しきれぬ恩義と共に享け得た、我が身を尽くして
公に尽くさんとする、神道青年会の魂を次世代に伝へる責務があるという事を、強
く自覚しております。
~中略~
さて、明年は早くも先の大東亜戦争の終結より七十年の節目の年となります。漏れ
賜りますれば陛下に於かせられましても、前線戦跡への慰霊を強くお思召しとの事
で御座います。如何に年が変わり星が移ろうとも、我々には国事に殉じられた人々
を祀り、国民斉しく感謝と哀悼の誠を捧げるという、我が国の美しい国柄を次世代
へと伝へてゆく責務があります。即ち英霊顕彰は我らが使命なのであります。
次期監事にご指導を仰ぎながら、新役員予定者と共に、此れまで慣例の諸行事は基
より、会員相互の紐帯をより強固にし、時宜対応した諸施策を実践すべく準備を進
めて参ります。
代議員諸兄に於かれましては、其々の次期各県会長にお伝へ頂きたいと想います。
長友が宜しく頼むと!二年間を共に共に歩もうと!任期中に在っては、それは苦し
い事もあるだろう泣きたい事もあるだろう、だが我々は決して一人ではない。多く
の先達と斯くも多くの心強い友が全国に居る。その上で行く道を行くのが青年神職
の道であると、私は固く信じております。
代議員諸兄には、これまでと変わらぬご同意ご協力を賜りたいと存じます。結びに、
明治天皇御製を贈り次期会長監事選出に際しまして感謝の御挨拶とさせて頂きます。
もろともに たすけあいつつ くにのため 力を尽くせ ますらおの友
次期二年間何卒宜しくお願い致します。有難う御座いました。
熱く、そして力強い挨拶でした!
神青協会長が当会から選出されたのは初めてのことです。
長友相談役におかれまして、今まで以上にご多忙になることと思いますが、
ご健康に十分注意いただき、益々ご活躍されますことをお祈り致します。
会員諸兄においては社務ご多忙の事とは思いますが、気を引き締め、全力で会長を
支援していこうではありませんか!
どうぞ宜しくお願い致します。
あらためまして明けましておめでとうございます。
今年の正月は大変冷え込みましたが、皆様にとりましては如何なお正月でありましたか?
大塚神社初日の出!
延岡市春日神社。
えびの市白鳥神社・・・わぉ!
各社ご社頭、大変賑わったことと思います。
多くのご参拝、誠にありがとうございました。衷心より厚く御礼申し上げます。
私自身はというと、何と家族水入らずのお正月・・・
勤め人、神主としてあるまじきお正月となってしまいました。
12月29日 長男感染(T_T)
12月30日 次男感染(T_T)(T_T)
12月31日 嫁感染(T_T)(T_T)(T_T)
1月 1日 三男感染(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)
1月 2日 私感染(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)
はい。家族揃ってインフルエンザ感染。
年末に長男が感染した際より、通常に増してかなり予防に努めたつもりでしたが、
大晦日より徐々に体調は悪化。
1日の勤務を終えて熱を測ると38.7℃。
2日の朝には、更に体調は悪化・・・39.2℃
後ろめたくも、周りへの感染も考慮して休暇をとることとなりました・・・
家族5人揃って家に監禁。
予防接種を受けて感染した際は、半額返金などと言う制度が確立されたらとか
くだらない事を考えたりもしました。
周囲との交わりを断っての正月は、大変寂しいものでした。
会ったのはお医者さんetc・・・
私のことを神主と知る宅配便のお兄さんも、
「あれ?何で正月に家にいるの??」と言わんばかりに不思議そうな顔で見られておりました。
世間のお正月気分から取り残された我が家。
しかしながら、ある日玄関にそっと差し入れの品が置かれていました。
妻の友人がこの状況を聞きつけ、置いてくれたようです。
妻は突然のことに感激の涙・・・
新年早々人の優しさ、温かさに触れることができた今年のお正月となりました。
さて冷え込みも一段落と思っていましたが、これからさらに冷え込むようです。
皆様方におかれましては、先ずは体調管理に十分にご注意いただきまして
幸多き素晴らしい年となりますよう心からお祈り申し上げます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。<(_ _)>
さぁ、いよいよ年末!
今年最後のブログになります。
鏡餅
門松
門松
雪国の門松
絵馬
絵馬
総代さんによる準備(青森県)
はやいもので本年も残すところあと3日・・・
一日が驚くほどあっという間に過ぎる今日この頃ですが、全国の神社でも初詣の準備に
追われ、同じ思いをされていることと思います。
平成27年を振り返ると・・・と書きたいところですが、準備の合間ということで、割愛させて
いただきたく存じます。
さて、予報によりますと年始はかなり冷え込みそうです。
皆様におかれましては、ご健康に十分にお気を付けいただきまして、恙なく越年されますよう
お祈り申し上げます。
また、年が明けましたら、お揃いでのご参拝をお待ちしております。
本年も何かとお世話になりました。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
平成27年の厄年、年祝いの一覧です。
節目の年に当たりますので、祈願をお受けいただきまして、これからも清々しくお過ごしになられますようお祈り申し上げます。(厄年についてはこちら)
◎平成27年厄年一覧
女 性 | 男 性 | ||||
前厄 | 本厄 | 後厄 | 前厄 | 本厄 | 後厄 |
平成10年生 18歳 |
平成9年生 19歳 |
平成8年生 20歳 |
平成4年生 24歳 |
平成3年生 25歳 |
平成2年生 26歳 |
昭和59年生 32歳 |
昭和58年生 33歳 |
昭和57年 34歳 |
昭和50年生 41歳 |
昭和49年生 42歳 |
昭和48年生 43歳 |
昭和55年生 36歳 |
昭和54年生 37歳 |
昭和53年生 38歳 |
昭和31年生 60歳 |
昭和30年生 61歳 |
昭和29年生 62歳 |
※年齢は数え年です。(平成27年になる歳に1歳足して下さい。)
※誕生日に関わらず1年間が厄年にあたります。
※厄年の3年間を無事に過ごされたことを、神様に奉告し感謝する厄明奉斎(御礼参り) も受け付けています。
平成27年年祝い一覧
祝名 | 意味 | 年齢 | 生まれ年 |
還暦(かんれき) | 生まれた年と同じ干支が巡ってくる年 | 61歳 | 昭和30年生 |
古希(こき) | 杜甫の「人生七十古来稀なり」という一節にちなんだもの | 70歳 | 昭和21年生 |
喜寿(きじゅ) | 「喜」を略字で「七十七」と書くことから | 77歳 | 昭和14年生 |
傘寿(さんじゅ) | 「傘」を略字で「八十」と書くことから | 80歳 | 昭和11年生 |
米寿(べいじゅ) | 「米」を分解すると「八十八」と書くことから | 88歳 |
昭和3年 |
卒寿(そつじゅ) | 「卒」を略字で「卆」と書くことから | 90歳 |
大正15年生 昭和元年 |
白寿(はくじゅ) | 「百」から一を取ると「白」という字になることから | 99歳 | 大正6年生 |
お祝いの年を無事に迎えられたことに感謝し、これからも清々しくお過ごしになられますようお祈り致します。
去る12月3日えびの市にて神宮大麻頒布を行いました。
(神宮大麻についてはこちら)
神宮大麻は、明治以前においては「御祓大麻」(おはらいたいま)と呼ばれ、伊勢の神職
(実際は師職、代官)によって全国頒布されていましたが、明治4年7月の神宮制度改正後、
同年12月22日の神祇省告論にある通り、頒布制度が一新せられ、翌5年4月1日、大宮司は
聖旨を奉じて頒布始め奉告祭を斎行しました。
これによって新制の神宮大麻頒布が「明治天皇の御聖慮による」ものであり、これを拝戴せしめ
る趣旨は「国民が朝夕天照皇大神を敬拝するための大御璽(ぎょじ)」たらしめるにある旨を
宣示せられました。
本年も伊勢の神宮では「神宮大麻頒布始祭」が9月17日に斎行されました。
祭典を斎行後に伊勢から全国各地に送られ、
続いて各県において「神宮大麻頒布始祭」。
そこから各支部へ送られ、
続いて各支部において「神宮大麻頒布始祭」
これらを終えて全国の神職はもちろんのこと、各地区の区長等を通して頒布が行われます。
と、いうことで
今回は白鳥神社の氏子区域への頒布のお手伝いをさせていただきました。
(白鳥神社についてはこちら)
宮崎市、日南市、小林市と地元会員併せて約10名の参加。
頒布開始前に、地元会員より頒布の現状説明を受けて、神宮大麻と白鳥神社の御札を
各々15体ずつ持参し出発となりました。
全国的に冷え込んだこの日は宮崎もこれに漏れず、少し雪がちらつくなど大変冷え込みました。
さらになかなかの強風・・・。
これも経験です。
私自身全くと言っていいほど知らない地域での頒布は初めての経験でした。
一人約50世帯を約3時間かけて廻らせていただきました。
もちろん全家庭に受けていただけるということは無く、反応は様々です。
「ウチは要らんわぁ~」
「お金が要るっちゃろ?」
「意味が分かりません。」
今回は回覧板で事前に頒布を告知していただいていたものの、玄関を開けたら
白衣白袴の人が立っていたら、「え?何?」と思われるのも当然のことかもしれません。
さらに色んな詐欺事件等が多発している現状にあっては中々難しいものです。
しかしながら、
「毎年のことなので受けます。」
「足が悪くてお参りに行けないので助かります。」
「受けます!こういうのしたかったんですねよね~。」
とのご家庭もあり、幸いにも私は9体頒布することができましたが、中には0体の会員も・・・
返答の中で
「初詣に神社へお参り行くのでその際に受けます。」
という方もおられます。
神宮大麻の頒布はもちろんのこと、氏神さまのことを知っていただき、氏神さまへのご参拝を
促すきっかけになったことは何よりの喜びでした。
先ずは氏神さまへお参りされ、そこで何かを感じ、神職、地域の交流を通して神社のこと、
伊勢の神宮のことを知っていただければと思います。(宮崎県内の神社はこちら)
はやいもので12月も中旬。
寒波の影響で冷え込む日が続いておりますが、体調管理には十分にご注意いただき、
「終わりよければ全て良し」との言葉もあるように、恙なき一年の締めくくりの月となりま
すようお祈り申し上げます。
この日は午前7時半出発!
先ずは、神武天皇御東遷の際の御船出の地である日向市美々津へと向かいました。
神武天皇御東遷についてはこちら
神武天皇は、国の最中である大和の国(奈良県)に都を遷されるため、美々津の港を
お舟出されたのであります。
はるか沖に向かって左の小島と右の燈台のある島との間をお舟出されたので、お舟出の
瀬戸と申します。このお舟出の瀬戸に永久に輝く燈台は「神のみあかし」と言われ
昭和九年に神武天皇の東遷二千六百年祭に全国協議会により建立されました。
港柱神社(日向市幸脇鎮座)
この地域をはじめ県内には神武天皇ゆかりのお社が多数あります。
機会がありましたら、是非お立ち寄りになられて下さい。(詳細はこちら)
日向市19社のお参りを終えて、続いては門川町、東郷町へ!
空へ通じる参道!(この神社はこちら)
この日も順調に?
順調に??
順調に???
線路を渡ってお参りする神社もございました・・・
この日最後のお参りとなった福瀬神社。
残念ながら日没により、美郷町西郷区の一部、南郷区へのお参りは叶いませんでしたが、
39社お参りすることができました。
帰路再びお舟出の地へ・・・
神武天皇様は如何なる思いで、この地をお舟出されたのでしょうか・・・
日本は平成27年には神武建国より2675年を迎え、これは世界で最も長く続いている国で
あることをご存知でしょうか???(建国についてはこちら)
神武さま御東遷のご功績を偲び、この国に生を受けたことに心から感謝し、
さらには日本が末永く弥栄えに栄えますことを改めて祈る一日となりました。
橿原のとほつみおやの宮柱 たてそめしより国はうごかず (明治天皇御製)
去る11月6.7日宮巡隊出動致しました。
当日は午前6時30分に出発!
先ずは日本唯一の干支の町、延岡市は北方町へと向かいました。
田舎へ行くと、ここは道路だろうと思って入ったら、その先は人家。
「すみません。道を間違えました。」と言って庭先で頭を下げてUターン。
地元住民からすれば、大変迷惑なこの光景は宮巡隊ではよくあることで、この経験から
ナビが示した場所に神社がない場合は、ウロウロするよりも地元住民に聞くのが一番。
ということで、さっそく
「すみませ~ん。○○神社はどこにありますか~?」
本日1社目の蔵田神社参拝。
紅葉も色づき始めていました。
この日も順調に・・・?
順調に・・・??
順調に・・・???
宮巡隊は進むことができました・・・
今回の北方町宮巡でよく目にしたのが廃校になった小学校でありました。
下鹿川小学校
上鹿川小学校(明治34年1月10日設立、平成17年3月31日閉校)
三椪小学校(明治21年4月10日設立、平成26年3月31日閉校)
三椪小学校せんだんの木。
児童の元気な声が聞こえなくなった今、せんだんは何を思うのでしょうか・・・
人口の都市流出、核家族化などの影響により廃校になった学校は多くありますが、
このことは神社にとって最重要である”まつり”を斎行する上においても非常に重要な
問題であります。
「昔のまつりは賑やかやったがな」などとよく耳にするように、多くの神社においてその規模の
縮小を余儀なくされ、さらには断絶に至るケースもあります。
以前にも書いた気がしますが、
神社があっての地域であり、
地域があっての神社であります。
如何なる形になろうとも続けるべきなのか、
本来の姿で行えないのなら止めてしまうべきなのか、
今後の神主人生の中で直面するであろう大きな課題だと感じました。
その時、如何なる判断ができるであろうか。
日々の奉仕を怠ることなく続けることで、何かが見えてくるのではないかと思います。
と、そんなことを考えながら北方町鎮座の16社をお参りし、続いては美郷町へ。
西郷区ではいただいたこの地図のお陰で、迷うことなく?神社へと辿り着けました。
警察官とお綺麗な奥様、誠に有り難うござました。
このブログをご覧いただいているでしょうか???
田代神社からの夕焼け。
この日は24社の宮巡となりました。
明日は日向市からスタートの予定!
続く・・・