宮崎神青ブログ - 201302のエントリ
昨日2月19日午後3時より、当会臨時総会を会員約30名出席のもと神宮会館にて開催致しました。
今回の主な議事は、現執行部の任期が平成25年3月31日までとなりますので、次期会長、監事の選考でしたが、滞りなく終えることができました。
次期執行部の任期は、平成25年4月1日から平成26年3月31までとなります。
また総会の後半では出席者1人1人に思いを語っていただきました。
同じ神職とは言え、皆それぞれに環境は異なりますが、それぞれに思いを持って青年会の
活動に取り組んでいくとのことでした。
やると言ったからにはやりましょう!今後とも宜しくお願い致します。
また議事が終わった後に「神道青年九州地区協議会会歌」を斉唱♪
朝日の直刺すこの郷に 我らは幸く人と成り 受くる恵みの幾春秋
夕日の日照る禊祓の濱に 波は太古の響きを傳へ 風は神代の調べに通ふ
※(雲に聳ゆる高千穂の)崇きは重暉我らが姿
※(空を涵すや日向灘) 浩きは宥和我らが心
赤誠熱く享け継ぎし 我ら九州若人神職
中今担ひ諸共に 神州道義の先駆なれ
※( )内は各県の歌詞を挿入
・沖縄県 御嶽守りし天降り蒲葵 ニライカナイや久高島
・福岡県 教へ導く宝満山 外つ国望む玄海の
・佐賀県 祈り修めし背振山 虹の松原唐津湾
・鹿児島県 気炎の狼煙や桜島 夜明けを告げし錦江湾
・長崎県 鎮めの美山雲仙の 世界交はる和ぎし海
・大分県 空に広がる九重山 昇りの潮や速吸の
・熊本県 火の国継ぎし阿蘇の山 宝の海や天草の
実はこの会歌、昨年できたばかりなのです。
さらになんと作詞は、当会の相談役である青島神社の宮司さん!さすがです<(_ _)>
「九州は一つ!」
県の枠を越えて、共に手を取り合って進んでいきたいと思います。
(議長( ̄Λ ̄))
「きねんさい」と読みます。
毎年2月17日に全国各地の神社で斎行されるお祭りのことです。
古くより我が国は、「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらながいほあきのみずのほくに)」と云われます。
豊葦原 = 豊に葦が生い茂る原
千五百秋= 限りなく長い年月=永遠
瑞穂国 = 瑞々しい稲穂が実る国ということで、日本国の美称です。
祈年祭は「としごひのみまつり」ともいい、年頭にあたり神々に五穀豊穣を祈ります。
祈年の「年」は、稲の意味で、お米がたくさんとれることが国の平安につながり、それが人々の実り多き暮らしに結びつくことから、新嘗祭とともに重大なお祭りとされてきました。
なぜそんなにお米が大事なの?
なぜ神社ではまずお米をお供えするの?と思う方もいらっしゃるでしょう。
天孫降臨に際し、天照大神より御子天忍穂耳尊(あめのおしほみみのこと)に与えられた「斎庭の稲穂の神勅」(ゆにわのいなほのしんちょく)という御言葉をみれば分かります。
吾(あ)が高天原に御(きこ)しめす斎庭の稲穂を以て、亦吾が児(みこ)に御(まかせ)せまつるべし。
高天原で大神自らの手により神聖な神田で作られた稲穂を、天孫自らが地上にもたらし広めなさい。また、天孫の子孫である天皇も同様にしなさいと言われています。
天皇陛下はこの神勅に基づき現在に至るまで手づから稲を育てられ、収穫された稲で神饌をはじめとする御供物を整えられて祭りを行われます。
このようなことから神社のお祭りの基本は「稲」に関係しています。
当会の封筒にも「米作りは我が国の基」と印字されているように、日本人とお米は非常に関わりが深いものなのです。
秋の新嘗祭には、お米をはじめとして御供物を横山の如くお供えして、厳しく美はしく奉仕できますように、諸産業、皇室の安泰、国家の繁栄、国民の幸福を共に祈りましょう。
去る2月5,6日、北方領土返還要求運動県内キャラバン隊が実施されました。
北方領土問題については、前回のブログのとおりです。(詳細はこちら)
このキャラバン隊は、毎年2月7日の北方領土の日付近に実施しております。
まずは、2月5日午前9時より県庁にて出発式を執り行いました。
河野知事、外山宮崎県議会議長より激励の言葉をいただきました!
当会からも毎年若い会員が2名程参加させていただいております。
しっかり頼むよ!
情宣車。まずは皆様にこの問題を知っていただくことが何よりと思います。
2月5日
宮崎市、新富町、高鍋町、都農町、川南町の役場を訪問し、内閣府、外務省、北対協メッセージ、啓発資料を交付。さらに赤江東中にて北方領土に関する公開授業を見学しました。
2月5日は川南町泊。夕刻より関係団体の情報交換会を開催。
四島の歯舞群島水晶島出身の柏原榮さんにもご参加いただきました。
2月6日
木城町、西都市、国富町の役場を訪問し、内閣府、外務省、北対協メッセージ、啓発資料を交付。また午後からは西都市の三納中学校にて柏原榮さんの講話を実施しました。
柏原さんからは、終戦の時、島を占領された時、見つかりにくい夜中を選んで脱出する時、脱出後の大変な生活の話等を聞かせていただきました。
生徒からの質問もあり、非常に有意義な時間となりました。
その後、県庁にて解散式を執り行い滞りなく全行程を終えることができました。
元島民の方も当然のことながら高齢化により減少し、また亡くなられる間際に「島に帰りたい」とおっしゃる方も多いようです。
自分が生まれ育った故郷に帰りたくても帰れない気持ち・・・
そんなこと考えたこともありませんでした。
皆様にも故郷を愛する気持ちを大事にしていただくとともに、一日も早い北方領土返還に向けてご尽力いただければと思います。
北方領土の日?
いつか分かりますか?
むしろそんな日があったの?
なんて声が聞こえてきそうですが・・・
北方領土の日は「2月7日」です。
「北方領土の日」をいつにするかについては、ソ連が択捉島への侵略を開始した8月28日などいくつかの候補があったそうですが、最終的には1855年(安政元年)に江戸幕府とロシア(当時は帝政ロシア)との間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれた2月7日に決まったそうです。
北方領土は北海道根室沖に連なる歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の4つの島で、父祖伝来の地として受け継いできた我が国固有の領土です。
第二次世界大戦終戦間近の1945年8月9日、ソ連は1941年に署名され、当時有効であった中立条約を無視して対日参戦しました。そして8月14日に日本がポツダム宣言を受諾し降伏の意図を明確に表明した後の8月18日ソ連軍は、千島列島への攻撃を開始し、同24日シュムシュ島、同26日マツア島、同31日ウルップ島、同28日択捉島、9月1日から4日の間に国後島、色丹島及び歯舞群島をそれぞれ武装解除し、遅くとも9月5日までに千島列島のみならず、北方領土をも占領したとされています。
以来67年が過ぎた今でも、ロシアによる不法占拠が続いています。
去る2月5,6日には、北方領土返還要求運動県内キャラバンが実施され当会会員も参加させていただきました。(その様子は、また後日のブログで紹介致します。)
「○○くん今日はどこに行ったん?」
「北方領土返還要求のキャラバン隊に行ったみたいよ」
「なんでそんなの行くん?」
「北方領土は日本のものやしよ・・・」
とある会員の家では、こんな会話があったそうです。
この会話を聞いて何を思いますか?
北方領土の他にも竹島、尖閣諸島と領土に関する問題はあります。
あなたは「領土」についてどう考えますか・・・?