宮崎神青ブログ - 201605のエントリ
平成7年1月17日、5時46分52秒。
何のことかお分かりでしょうか?
阪神・淡路大震災発生時刻です。
熊本地震と同じく多数の神社も倒壊し、全国の青年神職が復興支援活動へ
足を運んだそうです。
神青会報第43号 平成7年3月31日発行より
此の度の阪神大震災の甚大なる被害を鑑み被災神社の要請に基づいて、三月七・八日の両日神道青年全国協議会の支援活動が実施されました。
本会より戸高俊一副会長・黒木将浩常任委員・河野公俊会員・河野博文会員・伊東健治事務局長と宮田義和元会長にも参加頂き計六名で三月六日被災地へ向かいました。
本会は、長崎・佐賀・鹿児島・静岡と一緒に約五十名の会員で尼崎市の須佐男神社を担当しました。三月七日午前五時起床、六時半に現地集合しました。尼崎市街地の町並みは、メディアで流されていた被災地のイメージと違い、屋根にビニールシートがちらほら見えるくらいでした。
その様な町並みを眺め乍ら現地に到着してみると、本殿・拝殿は写真の様に屋根の部分のみ残し潰れていました。
我々の二日間の作業は、工作機械で取り崩す前に五頭天王の絵馬(江戸時代の作品)と棟札を取除く作業から始まり、土台の石の取り崩し並びに境内の整備をしました。
讀賣新聞 平成七年三月七日夕刊より
神職500人が倒壊神社撤去 神戸など16か所
全国の青年神職約五百人が七日、神戸、西宮、尼崎市などの神社十六ヶ所で、震災で倒壊した本殿や拝殿の撤去作業を始めた。
がれきの中に御神体などが埋まっている所もあり、自分たちで確かめながら処理しようと計画。神霊はあらかじめ仮座に移した。
境内のほとんどの建物が倒壊した尼崎市武庫元町の西武庫須佐男神社では、午前六時半から、九州や東海地方から駆けつけた四十三人が、重機や大型トラックで片づけた。
まるで熊本地震と同じ写真を見ているような気がしました。
先輩の話によると、重機は共に作業を行った静岡県の方々がトラックに積んできて、
重機は宮田先輩が扱い、また昼食時には、大変な時期にも拘わらず地元の方が
おにぎりやバナナ、飲料を差し入れしてくださったようです。
全国には3,500余名の青年神職がいます。
もちろん勢揃いなどということはあり得ず、親しくしている人でも会うのは年に数回。
お会いしたことない方が圧倒的に多いのが事実であります。
しかしながら、阪神・淡路大地震復興支援活動に集った会員は500人。
ふとANA機内誌の吉田修一さんの文を思い出す。
人とのつながりというのは、
どれくらい会ったかではなく、
どれくらい会いたいと思ったか、
なのだと。
なるほど。
今ある青年神職の絆も、こうやって受け継がれてきたのだと感じる今日この頃です・・・
あの日から1ヶ月。
去る5月12、13日、熊本地震復興支援活動の為、熊本県益城町の木山神宮へ
行ってまいりました。
作業前には黙祷を捧げ、修祓式を執り行い、
玉串を奉りて拝礼を行いました。
作業は2日間に亘って、倒壊した拝殿や楼門の解体を行いました。
1ヶ月前から止まっていたかのような境内の時間も、ようやく動き始めたように感じました。
木山神宮禰宜さんも、ようやく復興への光が見えたと仰っていました。
神青協役員、九州各県から、延べ約140名での作業となりました。
神青協長友会長の言葉にあったように、「微力ではあるが無力ではない」
御社殿等の倒壊など被害のあった神社は、相当数にのぼると聞いています。
皆で手を取り合って、復興への道を共に歩んでいかなければならないと思います。
作業中、地震前と変わっていないものにふと気付きました。
それは鎮守の森。
今回の地震で目の当たりにした自然の恐ろしさ。
しかしながら、我関せずといわんばかりに営みを続ける自然のたくましさとともに、
その美しさに清々しさを感じました。
地域住民の心の拠り所であるこの森に、以前のような穏やかな日が一日も早く訪れますことを
心からお祈り申し上げます。