宮崎神青ブログ - officeさんのエントリ
去る4月20日、午後3時30分
宮崎神宮と護国神社へ
正式参拝の後、
午後4時30分より当会第67回定例総会を開催致しました。
開会に先立ち、今回の熊本地震にてお亡くなりになられた方々と、1月26日にご逝去された
野迫前会長をお悔やみ申し上げ黙祷を捧げました。
今回は約30名参加のもと、滞りなく全ての議事が承認されました。
本年度新入会員。
自分が歳を重ねたことをしみじみと実感いたしました・・・
会長挨拶
本日は当会第六十七回定例総会のご案内を致しましたところ、ご参加いただき誠にありがとうございます。
また、宮崎県神社庁庁長、鵜戸神宮宮司、当会第十代会長、本部雅裕様、同じく副庁長、今山八幡宮宮司、当会第十六代会長伊藤俊郁様には、ご多忙の中にも拘わりませずご列席を賜り誠にありがとうございます。
さて、ご承知のとおり野迫武士前会長が去る一月末に帰幽されました。本来であれば、本日で卒会、まだまだこれからやりたい事も多くあったでしょう、まだまだご指導を賜りたかったのですが、非常に残念で仕方ありません。これからは幽世から見守っていただけることと思います。謹んでお悔やみを申し上げるばかりでございます。
また去る四月十四日、熊本県益城町を震源として熊本地震は発生し、今なお余震が続いております。阿蘇神社をはじめ多数の神社においても、ご社殿、灯籠等の倒壊が相次いで報告されています。そんな中熊本大神宮では、月次祭が、社殿ではなく境内において、毎月通り四月十七日に斎行されたようです。
ここで、大東亜戦争終結当日の宮崎神宮日誌に書かれていたことを、ご紹介致したいと思います。日誌には次の様に書かれています。宮司は県より終戦の事実を知らされると全職員を集め「自分らが神職であることを自覚せよ、また、今後どのようにして大神さまの御心に添い奉るかを各々充分に考へてその結論を報告せよ」。私は最初にこの日誌を目にした時、恥ずかしながら、その結論に辿りつくことはできませんでした。しかしながら、昨年の大東亜戦争終結七十年事業や今回の熊本地震を通して、その結論は、やはり祭ではないかと考えるようになりました。
私の好きなテレビ番組に、毎週NHKで放送されている「プロフェッショナル~仕事の流儀」というものがあります。仕事で悩んでいる時に見ると、非常にやる気が湧いてくる番組です。大変オススメですので、是非ご覧いただければと思います。その番組では様々な仕事の方が登場され、その思い、そしてどのような職業に対しても高いプロ意識を感じることができます。
我々も、言わばプロ、プロの神職であります。つまりこの宮崎県神道青年会はプロの集団なのです。各々が組織の常識に染まった「良き組織人」になるのではなく、とがっていてもいい、自分の個性をなくさないでいただきたく存じます。個性を失った集団からは、新しいものは生まれません。全会員が遠慮せず本音をぶつけ合い、納得いくまで話しあい、様々なことに挑戦していきたく存じます。
私の大好きなサッカー選手、四十九歳を迎えた今もなお、現役でプレーを続けるキング・カズこと三浦知良選手の言葉があります。
「苦しまなければ、喜びはない」
共に苦しんでまいりましょう。
本年度もどうぞ宜しくお願い致します。
過去のブログを見ると、毎年この季節には恒例のブログが掲載されます。
安藤親子の宮崎神宮神事流鏑馬奉仕の写真です。
父(広瀬神社宮司)
息子(鵜戸神宮権禰宜)
親父は中々息子を認めてくれないかもしれませんが、今年は息子さんの方が、
的中率が良かったような・・・
父の背中を追って精進し、来年も是非お揃いで奉仕されてください。
ちなみに、昨年に結婚された息子さん。(ブログはこちら)
二世が誕生されたら、是非とも流鏑馬をご一緒に奉仕していただきたいものです。
史上初であろう三世代同時の奉仕もあり得るかも!?
さすがにそれはキビシイかな・・・(笑)
去る3月7日、
初めてピーチの飛行機に搭乗し、
大阪を経由し、
奈良県の
橿原神宮へ行って参りました。(橿原神宮についてはこちら)
本年は神武天皇様が橿原宮で御崩御されてより、二千六百年の節目にあたります。
その記念事業の一つとして、御創建にあたり明治天皇様より御下賜された京都御所の
内待所であった国の重要文化財である御本殿の御屋根葺替え工事をされたそうです。
工事中、神様はどうされてるの?なんて思いません??
工事中は仮の御殿にお遷りなさるのです。
この際のお祭りが、仮殿遷座祭(かりでんせんざさい)。
そして工事終了後、本殿に再びお遷りなさるのです。
この際のお祭りが、本殿遷座祭(ほんでんせんざさい)。
このお祭りの斎行にあたっての出向となりました。
しかも今回は参列のみではなく、
恐れ多くも、午後7時からの遷座の儀にご奉仕させていただきました。
当会の他にも奈良県神道青年会、大阪府神道青年会の方々が来られていました。
今回の奉仕は、神武天皇様ゆかりの奈良県、宮崎県の両神道青年会の間で締結された
姉妹神青がきっかけでありました。(姉妹神青についてはこちら)
橿原神宮様の格別なるお取り計らいをいただき、恐らくは一生に一度の、大変貴重な
ご奉仕をさせていただきました。
宮司様をはじめ、職員の方々に衷心より厚く御礼申し上げます。
浄闇のなかでの「本殿遷座祭遷座の儀」、
また、翌日の天皇陛下より御幣帛を大前に奠じての「本殿遷座祭奉幣の儀」が
恙なく斎行されましたこと、心からお慶び申し上げます。
また御崩御の日にあたる4月3日には、神武天皇二千六百年大祭が斎行されるようです。
祭典の御盛儀を祝し、謹んで大前を拝み奉ります。
このお祭りは、御祭神を同じくする当県の宮崎神宮においても斎行されます。
午後からは流鏑馬も斎行されるそうです。
宮崎神宮はもとより、県内には神武天皇ゆかりの神社が多数鎮座されています。
(詳細はこちら)
当日は、我が国建国の祖神様であります神武天皇様をお偲びし、現在の我々があることに
感謝の気持ちを持って、是非お参りいただければ幸甚に存じます。
昨日3月11日で、東日本大震災より5年の月日が流れました。
当会では、各地区に時間と場所を一任して、御霊をお慰めすると共に復興の祈りを捧げました。
宮崎市の会員は、午後7時より江田神社において斎行致しました。
大祓詞奏上 宮崎市は11名の参加でした。
また、福島県神道青年会様が平成27年に発行された冊子を拝見させていただきました。
福島県神道青年会様には、去る平成26年夏に宮崎県へお越しいただいております。
(様子はこちら)
冊子の中の「会員の四年間」という頁には、宮崎へお越しになられた会員さんも寄稿されており
じっくりと読ませていただきました。
あの時の笑顔の裏には、想像もつかない思いがあったことを実感致しました。
福島の子供達からいただいた、当時の絵日記も読み返しました。
あれから1年8ヶ月・・・
詞心ちゃん、結ちゃん、拓巳くん、天くん、心ちゃん、英梨香ちゃん、陽菜ちゃん、純樹くん、蒼平くん、
元気にしていますか?
なかなか、福島に行ってお手伝いすることができなくてごめんなさい。
おじちゃん達は、みんなのふるさとが一日も早くもとの姿に戻ることを遠くから祈っています。
神社界には様々な組織が存在しますが、その中において女性のみにて構成される団体が
あることはご存知でしょうか?
その名も、と言いますかそのままですが、その名は「女子神職会」
神社の宮司に嫁いだ方、宮司の娘さんなど立場はそれぞれであります。
そんな女子神職会の祭式研修会が、去る3月9日~10日にかけて開催されました。
宮崎県が当番県となり、九州各地より約20名が受講されたようです。
祭式(さいしき)とは、つまり神社の祭典における作法のことです。
基本的な作法は男子とほぼ同じなのですが、場合によっては異なる点もあります。
当会会長宛に3月8日の開講式、懇親会にもご案内をいただいておりましたが、
あいにく出張中でしたので、3月9日の閉講式のみ参加をさせていただきました。
閉講式の雰囲気は、男だらけの会とは違って、非常に和やかな感じを受けました。
その中で当番県に対する感謝の言葉があり、その言葉を受けて、宮崎県の事務局さんが
涙ぐむ場面を目にしました。
比較的自由に動ける男子とは違い、神社はもとより家庭のことなど限られた時間の中での
準備であったことと思われます。
女子ならではの口調での温かい言葉に、ふと緊張の糸が解け、滞りなくやり終えたことへの
充実感があふれでてのことと思いました。
神職のほとんどは男子ですが、男子にはない細やかな気遣いなどは、どの世界においても
そうでしょうが、神社界にも欠かせない存在であることは言うまでのありません。
女子神職会の益々の発展と、皆様の氏神さまにおいてのご活躍を心からご祈念申し上げます。
二日間、誠にお疲れ様でした。
女子神職の歌
作詞 出雲井 晶
作曲 松田 敏江
一、悠久の 天地の理を いしずえに
据えて生れたる 日の本の
神に仕うる われは日女なり
二、天照 みおやの神の み光に
つつまれ生きる おほけなき
わが身の幸を 皆よろこばむ
三、古え由 いかなる闇の 世なりとも
光かかげて 祈りたり
まことの心 母ごころもて
四、澄み透る ゆたかな心 目見あげて
み親の教え ひとすじに
伝えてゆかむ 神います国
五、国と国 すべてを結び 和らげむ
さやけきつとめ 果たさばや
われら神つかさ 日女いざいざ
去る3月2日、大東亜戦争終結七十年事業として、県内の護国神社、慰霊碑を巡拝致しました。
趣旨
平成二十七年は大東亜戦争終結七十年の節目にあたり、全国において英霊顕彰事業が執り行われた。当会においても、県内護国神社並びに戦没者忠霊塔慰霊碑に、会員各々が現地に足を運び調査活動を行い、一冊の本にして発刊すべく準備を進めている。
この調査により、我々が住む地域からも家族と故郷を護るために戦地へ赴き、散華した御霊が数多おられることを改めて認識することとなった。また健在の遺族より、今なお忘れられない当時の記憶を聞くことができたのは、非常に貴重な経験となった。
しかしながら、終戦より七十年もの長き年月が流れた現在においては、遺族は減少し、戦争を知らない世代が大半を占め、御霊への慰霊と顕彰の念を継承することが困難になっている。今回の調査で地区慰霊祭の減少、中断、慰霊碑統合等の現状も垣間見ることができたのも事実である。
もとより神職の本分は祈りである。地区会員が一同に集い、巡拝を行うことで神職として祈ることの意義を再認識していただきたい。そしてさらには、遺族をはじめ地域住民の英霊に対する永遠の祈りに繋がることを願い、本事業を開催する。
当日は全員揃っての巡拝は難しいものがありますので、各地区において地区会員で
地区の慰霊碑等を巡拝していただきました。
県北地区 10ヶ所
児湯地区 10ヶ所
宮崎地区 25ヶ所
都城地区 18ヶ所
南那珂地区 18ヶ所
県内全慰霊碑とはいきませんでしたが、合計で81ヶ所をお参りさせていただきました。
日程は各地区に一任。早い地区は午前7時からの巡拝となったようです。
宮崎地区の昼食は、全員日の丸弁当。当然おかず無し!
普段は一口で食べてしまう梅干しも、この日ばかりはちびりちびりといただきました。
おそらく戦時中のお米は、今ほど美味しくなかったはず。
むしろ、お米すら食することが少なかったと思われます。
冷たいお米を噛みしめながら、改めて考えさせられる昼食となりました。
そして各地区巡拝を終え、午後6時に宮崎県護国神社に集合。
皆で御霊安かれと祈りを捧げました。
とある慰霊碑前の広場でサッカーをしている高校生に出会いました。
高校生達は、白衣で歩く私たちを見て「邪魔にならないですか?」と気遣ってくれました。
「大丈夫ですよ~」と言いながら、祈りを終えると、帰り際に高校生達が
「何の職業ですか?」と聞いてきました。
「どっからどう見ても神主やろ~!」と答えると、
「ふ~ん、そういう事をするのが仕事なんですね~」と不思議そうにしていました。
確かに仕事だ。
端から見れば、神主とは普段何をしているのか分かりづらい職業であります。
本事業の趣旨にもあるように、我々神職の本分は祈ることなのです。
戦時中においても神社の祭は執り行われていました。
空襲等の影響で予定されていた時間とは変わっても、欠かさず祭は行われており
言わば命がけで祈っていたのであります。
終戦当日のこんな話を聞いたことがあります。
宮司は県より終戦の事実を知らされると全職員を集め
「自分らが神職であることを自覚せよ、また、今後どのようにして大神さまの御心に
添い奉るかを各々充分に考へてその結論を報告せよ」
との話であります。
当時の神職がどのような答えを出したかは分かりませんが、この質問に答えることができる
青年神職が果たしてどれほどいるのであろうか・・・
これまでの、さらにはこれから先の奉仕を通して、その答えを見つけ出していただければと
思います。
日本の建国記念の日は、神武天皇が初代の天皇としてご即位された日
宮崎県西諸県郡高原町狭野にてお生まれになった「神武さま」
宮崎に都を定められましたが、人々がより豊かに暮らせるように「ご東遷」の途に
数々のご苦難の末、宮崎をお発ちより七年目の陰暦正月朔日(現在の二月十一日)
奈良県橿原の地にて初代の天皇としてご即位され、日本ははじまりました
建国より二六七六年を数え、世界で最も長く続いている国「日本」
国のお正月、国の誕生日とも申すべきめでたい本日は、地域の神社「氏神さま」へ
ご家族お揃いで、感謝の気持ちを込めてお参りしていただきたいと存じます
旧暦正月朔日に相当する建国記念の日も、元旦の初詣のように境内が多くの人で賑わい、
お互いが「おめでとう」と言い合えるようなそんな日であってほしいものです。
紀元祭についてはこちら
寒い日が続きますが、立春を過ぎ季節はいよいよ春へと移り変わろうとしています。
この季節といえば、受験。
去る1月16日、17日には大学入試センター試験も行われたようで、報道や新聞を見ながら
約20年前を思い出し、懐かしんでおりました。
神社では受験生をはじめ、親御さん等の合格祈願に来られる方々をよく見かけます。
学問の神様で全国的に有名であるのは、やはり「菅原道真公」。
菅原道真公は・・・
こちらをご覧ください<(_ _)>
宮崎県内の天満宮といえば、
宮崎市谷川に鎮座する
宮崎天満宮がございます。詳細はこちら
合格のお祈りした受験生も、多いことと思います。
宮崎県は1社だけ???
と、思われる方もいらっしゃるでしょうが、
県内には「天満宮」と名の付く神社はおそらく1社ですが、菅原道真公をお祀りする神社は
天満神社、天神社など多数ございます。
特に延岡市の北川町や北方町に多く鎮座されています。
何で地域地域に学問の神様?
と、宮巡隊視察時に思いましたが、もうひとつの御神徳をご存知でしょうか?
菅原道真公は、藤原時平らの策略により九州太宰府へ左遷されました。
菅原道真公がお亡くなりになられた後、洪水、疫病などが続いて起こり、左遷に関わった
人々が次々に亡くなったそうです。
さらには、都にある時平邸に雷が落ちる事件も起こり、人々は菅原道真公の怨霊が
雷になられたと恐れたそうです。
そのような事から、雷除けの御神徳もあるようです。
神様は同じでも、地域に根付いた御神徳をお持ちであることを忘れないでくださいね。
さて、いよいよ大学の2次試験、高校入試等が始まりますが、
是非とも、お住まいの地域の神社”氏神さま”にもお参りください。
神様はきっと
「お~小さい頃から見てきた、どこどこの誰々も、もう受験の歳か~」
などと思われ、自分が積み重ねてきたものの上に、そっとお力を与えてくれ、
見守っていただけることと思います。
「受ける前から落ちる話すんな!」
と思われるでしょうが、仮に受からずとも、そこから新たな人に出会い、新たな経験を積み
人生の糧になることは間違いありません。
私もあの頃は、偏差値の割に浪人したくない、受かりたーいの一心でしたが・・・
インフルエンザ流行とのことですが、受験生の皆様には先ずは十分に体調管理に留意されて
万全の状態で試験に臨み、それぞれに桜が咲くことお祈り致します。
最後になりますが、受験後にはお願いした神様のもとへ。
お願いするばかりではいけませんよ。
ちゃんと報告をしてください。
どちらにせよ、きっと笑顔で迎えてくれますよ・・・
去る1月24日から25日かけて、日本の上空には非常に強い寒気が入りました。
山間部の地域を除いて、雪とは無縁の宮崎県でも各地で雪が降るとの予報が!
こんなことは滅多にないので、
「雪景色を境内写真を送ってくれ!」
と、会員へ連絡。
えびの市鎮座の白鳥神社
高千穂町鎮座の天岩戸神社
都城市鎮座の神柱宮
三股町鎮座の御年神社
日南市鎮座の霧島神社
ここまでして撮影してくれた会員さんもおられました!
しかしながら、多くの神社の写真で溢れかえると思いましたが、
思いのほか雪は降らず・・・
日南市鎮座の鵜戸神宮
宮崎市鎮座の宮崎神宮
九州各地でもフェイスブック等で雪景色の神社を多く目にしましたが、
そこはさすが日本のひなた、宮崎県!
確かに非常に冷え込み、雪もちらつきましたが、いつもと変わらぬ景色の神社が、
そこにはありました。
明日からは2月。
春はもうそこまで来てますね。
季節の変わり目ですので、皆様方には健康にご注意いただき
穏やかな春をお迎えいただければと思います。
ひなたで育った少年は、ちらつく雪を嬉しそうにバケツで集めていました・・・
①シュッ。ボッ。
②カチッ。ボッ。
③チッチッチ。ボッ。
何の音を表現してるか分かりますか???
①マッチ ②ライター ③コンロ
そうなんです、答えは”火”
今日は火にまつわるお話です。
この時期の火に関するお祭りと言えば「どんと祭」
お正月のしめ飾りや古神符(古い御守や御札)等を焼納する神事であり、
ほぼ全国的に見られる神事で、左義長(さぎちょう)とも呼ばれます。
昨日は小戸神社に足を運んでまいりました。
火にとっての天敵と言えば”水”
昨日は終日生憎の雨模様でした。
午後5時祭典開始。
その後、火鑽(ひきり)神事。
先ずは夫婦で。
火種はすぐに起こり、あっという間に火がおこったかと思ったら残念ながら鎮火・・・
その後は上記の繰り返し、なかなか火はおこりません。
後ろで見守っていた宮司が業を煮やして登場!
親子での火鑽へとなりました。
しかしながら雨による湿気の影響か、火の神様のご機嫌か、うまくいかず・・・
簡単そうに見えますが、意外と腕にこたえるそうです。
あっという間に点いてしまうのも盛り上がりに欠けますが、あまりにも点かないと参拝者の
視線も冷たく感じます(笑)
そして時間は流れ、時刻は午後6時30分。
ようやく、ようやく、ようやくこの瞬間が訪れました。
社殿内は大きな歓声に包まれました。
長年この神事を見てきましたが、ここまで火が点かなかったことは記憶にありません・・・
御神火にて餅を焼いていただき、無病息災を祈ります。
火の神様はかぐつちのかみ。
「迦具土」「軻遇突智」とも書かれます。
文明の発達していなかった過去においては、今回の神事のように火をおこすのも
一苦労であったと思います。
また火は我々の生活に欠かせないものですが、一歩間違えると全てを焼き尽くす
恐ろしいもでもあります。
改めて火の有り難さを感じた次第であります。
まだまだ寒い日が続きますが、火の取り扱いには十分にご注意ください。
最後になりますが氏子総代をはじめ関係各位、また寒い中、雨の中、傘をさしながら
お待ちであった多くのご参拝の皆様本当にご苦労さまでした。
今日神主さんは筋肉痛のはずです・・・