宮崎神青ブログ - 20161120のエントリ
宮崎市内海鎮座の野島神社にて、神楽が奉納されます。
平成28年11月23日(水・勤労感謝の日)
正午~午後4時頃まで
(野島神社についてはこちら)
神楽番付
1番 |
神迎え | 神事。前日の深夜に宮司、神職、総代のみで執り行う。 |
2番 | 一番舞 | 祓いの舞。白装束にて舞う。神歌(浦島伝説)を唱える。 |
3番 | 二番舞 | 祓いの舞。白装束にて舞う。静けさがあり優雅な舞。 |
4番 | いれん鬼神 | 入れん鬼神が降臨し、神と人との遊びと別れ昇神の舞。 |
5番 | 星降ろし | 八百万の神々を招き迎える舞で、神庭の内外を祓い清める。 |
6番 | 花の手 | 面舞と小舞(小足にて舞)から成り小舞の基となる舞。 |
7番 | 素襖ぬき | 「たすき」を素襖にみたて、ぬいたり身につける所作の舞。 |
8番 | すだ舞 | 国生みから国譲りから天孫降臨までの国づくりの舞。 |
9番 | 地割り | 領地を分ける国づくりを表し、弓と矢で広さを測る舞。 |
10番 | 矢抜き | 争いの後、国づくりが終わり、矛を納める様を表した舞。 |
11番 | 鬼神舞 | 面を着けずに小学生が舞う七鬼神の舞。 |
12番 | 矛舞 | 「天の沼矛」による国づくりを表した勇壮且つ優雅な舞。 |
13番 | 人剣 | 国譲りにおいて、剣を前に大国主神と交渉した高天原の舞。 |
14番 | 岩潜り | 太刀の下を潜り、急流で水が岩の下を潜る様子を表す舞。 |
15番 | 七鬼神 |
鬼神(五神)とへぐろ面(二神)から成る七人の福徳の神の舞。 へぐろ面は、へぐろで厄を祓い健康で幸福な円満な生活を 祈念する舞。神社に伝わる「神面七面」すべて揃う神楽。 |
16番 | へぐろ面 | |
17番 | 杵舞 |
脱穀用の「杵」は男性を表し、脱穀用の「箕」は、その窪みから女性を表す。 この二つの舞は、生産祈願の神楽で「海幸・山幸」の大漁、豊作と子孫の 繁栄を祈念する舞。 |
18番 | 箕どり舞 | |
19番 | たちから | 天照大神が隠れた天の岩戸を、どう押し開くかを思案している舞。 |
20番 | 戸隠し | 天の岩戸を取って投げ、現れた天照大神の姿に目がくらむ舞。 |
21番 | たちから | 天照大神が出現し、この世の天も地も光明に満ちる様を表す舞。 |
22番 | 舞い開き | 神楽のフィナーレとなる天力雄命と八百万神たちの歓喜に満ちた舞。 |
●備考
当日は神社境内の駐車場は使用できませんので、臨時駐車場をご利用ください。
PDFファイルはこちら
当日は、境内の駐車場エリアにて、木花や檍地域の婦人会による料理のふるまいもございます。
神楽とあわせて、地域の味もお楽しみいただければと思います。
皆様のお参りを心からお待ち申し上げます<(_ _)>
11月19日、宮崎日日新聞をめくると何処かで見た顔が・・・
当会の佐師副会長が奉仕される日南市飫肥に鎮座される田ノ上八幡神社の
『ミニ弥五郎さま完成』と題した記事が掲載されていました。
普段、参拝者から「弥五郎さまはどちらですか?」とのお尋ねを多くいただいており、
「何とかしましょう」と弥五郎様保存会より、高さ2㍍の社殿内に収まる大きさの人形を
奉納いただいたそうです。
そもそも『弥五郎さま』とはどちら様???
隼人の叛乱と放生会
大和朝廷が全国の地方政治をより細かく行って行く為に制定した「養老律令」は、酋長を中心に強固な共同体を組織していた隼人にとっては、中央から派遣された官僚に支配されることは大変な屈辱であった。
そこで、養老四年(七二〇)二月二十九日大隈、日向の隼人らは初代大隈国守・陽候史麻呂を殺害、叛乱を起こしたが、圧倒的な兵力を持つ政府軍の前に隼人の城は次々に落ち最後迄抵抗し続けたが、ついには戦死、捕虜となった。
養老七年(七二三)宇佐の集団は隼人の首を持ち帰り、宇佐神宮の西五〇〇メートル程のところにある松隈に埋めたという。その後、宇佐地方では作物の不作、疫病が流行する。これは 「隼人の乱でたくさんの反乱軍を殺した報いだ」として、隼人族の怨霊を恐れた大和朝廷は全国で放生会を行わせた。その名残の一つが、「弥五郎さま」などの祭事である。
南九州に伝わる「弥五郎」まつり
現在、「弥五郎」にまつわる伝統行事は、
①都城市山之口町に鎮座する的野正八幡宮、
②鹿児島県曽於市大隈町に鎮座する岩川八幡神社、
③日南市飫肥に鎮座する田ノ上八幡神社
に伝えられている。(上写真は、宮崎神宮御神幸祭「神武さま」にて勢揃いした三兄弟)
それぞれ秋の例祭の浜下りに先祓いとして大人人形(弥五郎)が先導し、氏子崇敬者から畏敬されている。
この弥五郎さま(どん)は、放生会の南九州の人々が独自に創出した思いを託す巨大人形であると伝えられている。(上写真は本年の田ノ上八幡神社例祭)
弥五郎伝説
弥五郎伝説は、北は都農町、南は鹿児島県志布志市、西は鹿児島県霧島市まで分布され鹿児島県曽於市を中心に伝説跡地が広がっている。その中身は弥五郎が「山を削って一塚が出来た」、「霧島山に三歩で登った」、清武町の荒平山に腰かけて青島で手を洗った」など、弥五郎が大人(巨人)だったことがうかがえる。田上八幡神社では「日向地誌」によると、大隅国桑原郡に稲津弥五郎というものがおり、その地の一宮八幡(現在の鹿児島神宮)の御神体を背負い来て、飫肥の地に祀ったと伝えられている。
田ノ上八幡神社「弥五郎さま」
田ノ上八幡神社の例祭は、現在は十一月第二日曜日であるが、本来は十月二十五日、旧暦八月十五日の放生会の祭祀行事が移行したもので神社創始日にあたる。以前は、身の丈約八メートルある弥五郎さまを曳き浜下りを行っていたが、町並み事情が変わり困難になったが、平成元年に渡御用の弥五郎さまをつくり、浜下りを行うようになった。弥五郎さま本体は鳥居正面に立てられ、弥五郎さまの股を歳の数ほど潜ると無病息災の御神徳があると伝えられている。
田ノ上八幡神社は、高さ8㍍と5㍍の人形2体も所有されていますが、
常時拝見できるのは、今回奉納いただいた2㍍の人形です。
これからは終日、小っちゃい弥五郎様がお迎えしてくれるそうです。
しかしながら股を潜るのは、お控えください(笑)・・・