宮崎神青ブログ - 201506のエントリ
本年は大東亜戦争終結より七十年の節目にあたります。
畏くも天皇皇后両陛下におかせられましては、去る四月八日から二日間の日程で帛琉共和国を公式訪問されました。ご訪問に際し「太平洋に浮かぶ美しい島々で、悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と述べられ、全ての戦没者の御霊を慰められ平和を祈られました。
日本から三千キロ余り離れた帛琉共和国は、太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国であります。戦前約三十年に亘り日本の統治下であった為、多くの日本人が住んでおり、私の祖父もその一人にあたります。宮崎神宮旧社報「美あかし」を紐解くと、昭和十八年六月一日発刊の記事に、「新に官幣大社鵜戸神宮主典を命ぜられた氏は宮崎市の社家に出生、鵜戸神宮宮崎神宮の出仕より先年新に御鎭座の官幣大社南洋神社出仕に轉じ、南方第一戦に近き社頭に精勵奉仕今春退職歸鄕中であった」とあることからも、その事を伺い知ることができます。
官幣大社南洋神社は、南洋群島総鎮守として昭和十五年、紀元二千六百年記念事業の一環として帛琉共和国コロール島に創建され、天照大御神をお祀りし、敷地は九六、二四八坪にも及ぶ壮大なものでありました。日本人はもとより現地住民にも篤く崇敬され、また南方の戦地に赴く部隊、兵士が武運長久の最期の祈りを捧げた神社でしたが、本殿は戦後(昭和二十年九月十一日)に米国の了解の下、日本側の手で奉焼、その後平成九年に小さな祠として再建され現在に至ります。
本年六月には、神道青年全国協議会主催の海外慰霊祭が帛琉共和国にて斎行されます。参加が叶うのであれば、聞くことのできなかった、日本と歴史を共有した国において、祖父が如何なる思いで如何なる日々を過ごしたのか、空気、歴史、文化、人に触れ、その一端でも感じ取りたいものであります。
祖父が帰幽してから二十数年。
祖父のトンビコートは現在私が愛用しています。
身体だけは大きくなった私に、孫ではなく神職としての私に、今ならば人一倍大きかったあの声で何を語ってくれるのでしょうか・・・
本年五月発刊の宮崎県神道青年会に掲載したこの文書。
大変有難いことに参加が叶いました!
明日から行ってきます<(_ _)>
今月に入ってからというもの、雨雨雨・・・
晴れの日が2,3日しかないような月となっています。
そのような中の去る6月4日。
第13回九州各県神職親善ゴルフ大会が開催されました。
本年は宮崎県が当番! 於UMKカントリークラブ
私はこの日のウェアとして、テニスの全仏、錦織モデルを購入。
雨だと合羽でお披露目できない・・・
しかも天気予報は直前まで雨!
しかしながら前日になると急遽天気予報が晴れに変化!
これも神主のパワーなのでしょうか(笑)
優勝をはじめとした各種飛び賞の景品は地元の宮崎牛!
20個ほど準備したのですが、半分ほどは宮崎県参加者にあたるという何とも言えない
結果になってしまいました・・・
九州各県より64名のご参加をいただき、盛大に開催することができました。
遠路遙々ご来県いただき誠に有難うございました。
また、ご協力いただきました関係各位にも衷心より厚く御礼申し上げます。
来年は佐賀県で開催。
い・ち・お・う・参加予定ですので、皆様にお会いできますことを楽しみしております(^_^)/~
ちなみに景品の宮崎牛。
25位ながら当番県事務局の私も、おいしくいただきました・・・
去る5月27日第34回御田植祭を東諸県郡綾町にて斎行致しました。
前日より公民館に宿泊しましたので、素晴らしい朝の風景も拝めました。
各地区より1~2名の会員にご奉仕いただきました。
地元出身の斎主。
あの悪ん坊がこんなに立派になりおって!と地元の方々は思われたことでしょう・・・?
早乙女さんはトラックで運ばれてきました!
祭員も含めて総勢70名
祭典後、
地元の中学生にもご奉仕いただき、
全て手植えすることができました!
私が会長となって初めての事業。
歴代の会長は御田植時は上から眺めておられたイメージでした。
私も偉そうに眺めておりましたが、皆様の冷たい視線に堪えきらず・・・
作務衣を持参していませんでしたので、袴を脱ぎ捨てご奉仕!
この日遠い国インドでは道路が溶けるほどの熱波・・・
日本はさすがにそこまではありませんでしたが、最高気温は約30℃!
例年になく非常に暑い中での御田植祭となりましたが、御陰をもちまして
滞りなく斎行することができました。
関係各位にはご理解ご協力いただき誠にありがとうございました。
衷心より厚く御礼申し上げます。
田植えにテントは要らん!
ということで斎場には一切テントを設けませんでしたが、
抜穂祭の時は状況をみて考えたいと思います・・・
(当日の写真はこちら)