宮崎神青ブログ - 教えて神主さん!⑲~式内社?~
前回の続き・・・
奈良県神道青年会創立五十周年記念式典を終えた翌日。
どうにか集合時間の8時30分には準備を整え、予定通り奈良県宮巡へ出発!
方向音痴な私はどの方角に進んでいるのかもよく分からず、バスに揺られること数十分。
先ずは生駒郡三郷町鎮座の龍田大社へ。
天と地の間、即ち大気・生気・風力を司る神様で「風神」として有名な神社です。
ここでは正式参拝。
拝殿は四方から風が吹き抜け、非常に清々しい参拝となりました。
続いては北葛城郡河合町鎮座の廣瀬大社へ。
主祭神は水の守り神様で、大和盆地を流れる総ての河川が一点に合流する地に
鎮座されています。
各お社にて宮司様をはじめ職員の方々には、ご厚遇に預かりましたこと衷心より
厚く御礼申し上げます。
ちなみに龍田大社、廣瀬神社は『式内社』(しきないしゃ)であります。
式内社とは延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載された神社のこと。
延喜式とは、律・令・格の施行細則を集成した法典であり五十巻から成る書物で、醍醐天皇の
命によって延喜五年(905)八月に編纂を開始し、二十二年後の延長五年(927)十二月に
完成奏上されました。その後も修訂が加えられ、施行に移されたのは四十年後の康保四年
(967)十月でありました。
五十巻の内の巻一~十が神祇官(じんぎかん)関係の式であり、つまりは神社に関すること。
巻 | 内容 | 詳細 |
一・二 | 四時祭上下 |
恒例の祭祀の各々について、とくにその祭料の品目、数量を中心 とした規定 |
三 | 臨時祭 |
霹靂(へきれき)神祭以下の臨時の祭について、主として祭料に 関する規定 |
四 | 伊勢太神宮 | 伊勢の皇太神宮・豊受大神宮に関する諸規定 |
五 |
斎宮寮 (さいぐうりょう) |
伊勢太神宮の斎内親王、斎宮、斎宮寮などに関する規定 |
六 | 斎院司 | 賀茂大神の斎王関係 |
七 |
践祚大嘗祭 (せんそだいじょうさい) |
天皇即位後に行われる一世一度の践祚大嘗祭に関する細則 |
八 | 祝詞 | 二十七編の祝詞が集められている |
九・十 | 神名帳上下 | 当時の官社の一覧表 |
巻九・十に記載された神社が『式内社』であって、由緒ある神社としてその社格を誇ることができました。
その数は3,132座、2,861社。(座=神様の数、社=神社の数)
これらの神社は、少なくとも延喜式が完成した延長五年(927)には鎮座されていたということになります。
さらに式内社は以下の様に区分されます。
区分 | 数 | |
官幣大社 | 304座 198社 |
京畿内中心に全国に散在したが、現在の北海道はもちろん九州 にも置かれなかった |
官幣小社 | 433座 375社 | 畿内のみ |
国幣大社 | 188座 155社 | 畿外に分布 |
国幣小社 | 2207座 2133社 | 畿外に分布 |
(官幣社=神祇官から幣帛を受ける社 国幣社=その社のある国から幣帛を受ける社)
この分布からも分かるように、官幣社は神武天皇さまが宮崎よりご東遷の末、ご即位された
奈良県を中心に偏っており、地理的な要因が大きく関係していたと思われます。
その内の286座、216社が奈良県(大和国)に鎮座されます。
ちなみに宮崎県(日向国)には式内社は何社あるでしょうか???
①4社
②40社
③400社
答えは・・・
なんと①の4社。
霧島神社は霧島岑神社、東霧島神社、霧島東神社、霧島神宮のいずれかではないかと
言うことだそうです。
式内社は中世には官社の形骸化とともに実態は失われたのですが、名称自体は一種の社格として現在にも残っております。
長々とした説明となりましたが、お分かりいただけたでしょうか???
さて話は奈良県宮巡に戻りますが、その後一行は
法隆寺を最後にお参りし、伊丹空港にて解散となりました。
あっという間でしたが、非常に有意義な2日間となりました。
奈良県神青会の皆様には、ご多忙中にも拘わりませず終始お付き合いいただき
誠に有り難うございました。
来年は宮崎県高千穂町にて交流事業を開催予定です!
皆様お揃いでのお越しを会員一同心待ちにしております(^_^)/~
おおきに! ほなな~(^^)/