宮崎神青ブログ - 201312のエントリ
平成26年の厄年、年祝いの一覧です。
節目の年に当たりますので、祈願をお受けいただきまして、これからも清々しくお過ごしになられますようお祈り申し上げます。(厄年についてはこちら)
◎平成26年厄年一覧
女 性 | 男 性 | ||||
前厄 | 本厄 | 後厄 | 前厄 | 本厄 | 後厄 |
平成9年生 18歳 |
平成8年生 19歳 |
平成7年生 20歳 |
平成3年生 24歳 |
平成2年生 25歳 |
昭和64年生 平成元年生 26歳 |
昭和58年生 32歳 |
昭和57年生 33歳 |
昭和56年 34歳 |
昭和49年生 41歳 |
昭和48年生 42歳 |
昭和47年生 43歳 |
昭和54年生 36歳 |
昭和53年生 37歳 |
昭和52年生 38歳 |
昭和30年生 60歳 |
昭和29年生 61歳 |
昭和28年生 62歳 |
※年齢は数え年です。(平成26年になる歳に1歳足して下さい。)
※誕生日に関わらず1年間が厄年にあたります。
※厄年の3年間を無事に過ごされたことを、神様に奉告し感謝する厄明奉斎(御礼参り) も受け付けています。
平成26年年祝い一覧
祝名 | 意味 | 年齢 | 生まれ年 |
還暦(かんれき) | 生まれた年と同じ干支が巡ってくる年 | 61歳 | 昭和29年生 |
古希(こき) | 杜甫の「人生七十古来稀なり」という一節にちなんだもの | 70歳 | 昭和20年生 |
喜寿(きじゅ) | 「喜」を略字で「七十七」と書くことから | 77歳 | 昭和13年生 |
傘寿(さんじゅ) | 「傘」を略字で「八十」と書くことから | 80歳 | 昭和10年生 |
米寿(べいじゅ) | 「米」を分解すると「八十八」と書くことから | 88歳 |
昭和2年 |
卒寿(そつじゅ) | 「卒」を略字で「卆」と書くことから | 90歳 | 大正14年生 |
白寿(はくじゅ) | 「百」から一を取ると「白」という字になることから | 99歳 | 大正5年生 |
お祝いの年を無事に迎えられたことに感謝し、これからも清々しくお過ごしになられますようお祈り致します。
国宝大神社展が下記により開催されます。
大変貴重な機会ですので、お繰り合わせの上ご覧になられて下さい。
記
期 間 平成26年1月15日(水)~3月9日(日) ※毎週月曜日は休館日
時 間 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
場 所 九州国立博物館
公式サイトはこちら
女子神職の育児奮闘記です。
ちなみに出産編はこちら
それでは命名編のはじまりはじまり・・・
今年は伊勢神宮の式年遷宮、出雲大社の遷宮と、巷で言う“ダブル遷宮”で日本中が湧いております。
20年前、奉務神社の宮司が遷宮の儀の御奉仕への道中、お伊勢の上は通らぬようにと電車と新幹線を乗り継ぎお伊勢へ上がった事、小学生だった私はお土産の美味しい赤福と丁度、陶芸のテレビ番組に熱心に視聴しており神宮の、赤土のかわらけ、たかつき等を目にして興奮したのを思い出しました。
それでは文子の育児奮闘記、厳か・・・ごちゃっと赤裸々にスタート
先生と談笑しながら局所麻酔下でおしもを縫合、開いた骨盤を締める為のさらしをまかれ、産後は生理様の「悪露(おろ)」が出るので、でっかいとしか言いようがない大判ナプキンをあてられ、
その後カンガルーケアを
肌と肌が触れ合うようにし乳首をふくませる。
あ、吸った!
人間の赤ちゃんは他の動物と比べ未熟児の状態で生まれてくる。
ある医療機関ではカンガルーケアの際、赤ちゃんが這っておっぱいまで移動するのを観察できたという。
未熟児で生まれてくるのだから自ら動くことができないという考えが覆されたらしい。
両脇を抱えられ病室へ、この時すでに子宮は収縮している。
子宮収縮の際の痛み、後陣痛がある。
一般的に第一子より第二子、と痛くなるらしいが私は既に痛かった。
この子宮収縮、目にはもちろん見えないがお腹を触ると子宮の上部が指に触れ、一日一日下がっていき退院する頃には触れなくなる。
そしてアドレナリン大放出の為、一睡もできず朝を迎えるが骨盤底筋が伸びてしまい排尿できず。
それより排便の方が懸念される。出産のいきみのせいもあり、脱腸することがある。
実際したが痛くはないがすっごい違和感
そして座ると切開した部分が痛い。
クッションがあっても痛い。耐えかね食事も行儀が悪いが立って食べたこともある。
3日目おっぱいが張ってくる。39.3℃の熱、おっぱい熱
おっぱいはガッチガチ、痛い
赤ちゃんがふくんでも痛い
助産師さんが絞って・・く・れ・・うんぬー!!いたいっ!!
なんじゃぁこりゃああああぁぁぁぁ
おしもとおっぱいが痛いなんて誰も教えてくれなかった!!
あ・・・、名前。なまえ
入院中は何となく忙しい
6日目助産師さんに授乳が不安と心配されるが悩んだ末、退院。
病院を出るとなんて眩しい。
子供を抱き歩く。
この眩しさが幸せで世界を包んでいるようなそんな感覚に一層させる。
生後7日目泣き声の嵐!!!
そして「お七夜」
諸説あるが、産まれて6日目まで赤ちゃんの生命は産土神(うぶすながみ)に委ねられ、
名前もつけず見守りつづけ、7日目に人の子として認められると考えられてきた。
医療技術が発達していないため生後2,3日で息絶える赤ちゃんも少なくなかったという。
赤ちゃんが生まれた家主は親戚を招き「命名式」、名付けを祝い行ったあと親戚や仲人さんを招いての祝宴をする古くからのならわし。
小学校の行事のお手伝いをした時の事、読めない名前の数々・・・
我が子の名前だけは誰もがよめる名前にしたいと思った16歳の夏、
それから10年程過ぎ生涯の伴侶と出合い、
初産の割にバビューンと産まれたわが子。
主人が考えに考えた末、名付けてくれた。
略式だが半紙に命名を書き両家、自宅に納め、ささやかながら家族でお祝いをした。
お伊勢さまの遷宮は20年ごと。
これは技術を残すためでもあるという。
現在はもうちょっと長いが出産も親と子で20年ごと、
祖母は姪と一つ違い。一緒に育ったという。
友人は自宅で弟が産まれてくるのをお湯を沸かして、お姉さん達と正座して待っていたという。
母は小学生のころ近所の農家の子供をおぶって子守をしていた。
こうして家庭の中で将来、産まれてくるであろう我が子の育児を、地域で子守をして自然に学び身近にいた助産師さんから指導を仰ぎ家族で、地域で子育てしてきたのであろう。
核家族化そして出産が施設へ移行した現代、自分が嫁ぐまでに出産、育児の場面に一緒に暮らす家族としては立ち会う事は少ない。
情報化社会になりインターネットで検索できるが、答えは画一化し、かえって悩んでしまう点もある。
過去には戻れないが時代とともにまた、別の解決法も見えてくる。
時代の流れである。
ただ、お伊勢さまの遷宮が変わらずあることと同じで時代は変われど大本は変わらない。
これを機に両親に私の名前の由来をきいた
「忘れた。文子はなんでやったかぁ~」
何度聞いても30年前に産まれた第一子の私だけ、どうも覚えてないらしい・・・
初宮詣編へ続く・・・