宮崎神青ブログ - 201408のエントリ
去る8月19日、福岡県に於いて第40回九州各県神道青年親善野球大会、
また翌日の20日は、神道青年九州地区協議会研修会が行われました。
(野球大会についてはこちら)
野球大会は宮崎県が現在3連覇中!
残念ながら生憎の雨の為、体育館での3角ベースとなりましたが、競技は何でもいい!
4連覇に向けて、熱戦が繰り広げられました!
王者の余裕(✧≖‿ゝ≖)ドヤァ
宣誓!我々選手一同は、外で思い切り野球したかった!カキーーン (*・ω・)_/彡° ヾ(・ω・;)
1回戦 宮崎6-0鹿児島
2回戦 宮崎3?-1?熊本
そして決勝戦!
ゆず/♪栄光の架橋
誰にも見せない泪(ナミダ)があった (相手は??年振りの優勝を狙う大分県)
人知れず流した泪があった ((ρ≧□≦)ノ…コラーっ!!!)
決して平らな道ではなかった (初回のピンチをファインプレ-により無失点で切り抜ける)
けれど確かに歩んで来た道だ (秘技消える魔球ならぬ消えるバット???)
あの時想い描いた夢の途中に今も (2回を終わって0対0の投手戦)
何度も何度もあきらめかけた夢の途中 (しかし大分の猛攻にあい3点を追う苦しい展開に)
いくつもの日々を越えて (反撃開始!)
辿り着いた今がある (大分県さん、タイムアウトのない試合の面白さを教えてあげますよ!)
だからもう迷わずに進めばいい (あきらめたらそこで試合終了ですよ。そしてついに・・・)
栄光の架橋へと… (・・・・・・)
0-3の完敗。
惜しくも4連覇の夢は絶たれました。
大分県さん優勝おめでとうございます<(_ _)>
今回ご担当いただいた福岡県神青会の皆様には、大変なご苦労だったことと思います。
御陰をもちまして、大変楽しい有意義なひとときとなりました。
衷心より厚く御礼申し上げます。
さて来年は長崎県で開催!
やられたらやり返す!倍返しだ!(しつこい?)
一丸となってV奪還へ向けて頑張りましょう┗(`・ω・´)┛フンヌッ!
お疲れっした~・・・
本日は終戦69回目の終戦記念日。
宮崎県護国神社についてお話致します。
宮崎県護国神社の御祭神は、正殿に明治戊申の役以降国家公共に尽くした人の神霊四万一千八百十八柱、相殿に公務殉職者の神霊五十四柱がお祀りされています。現在お祀りされている神霊は、総じて四万一千八百七十二柱(平成二十六年三月現在)となっております。現在でも合祀される神霊があり、本年(平成二十六年)も四月十日の例大祭の前夜祭に併せて、合祀祭が斎行されます。また、皆さまもご存じかと思いますが、護国神社の御祭神と靖國神社の御祭神は同じでありまして、靖國神社の神霊二百四十六万六千余柱の中に宮崎県護国神社の神霊も含まれているのです。
【ご社殿の造営】
全国道府県の護国神社は殆ど明治維新の際に招魂社として創立され、戦前より慰霊の祭儀が行われていました。しかし、宮崎県は当時、小藩分立の状態等の事情もありまして、県内全域の神霊を祀る招魂社は創立されていませんでした。そこで県としては移設のできる小さな社殿を造り、毎年祭場を設営して県下全戦没者の招魂祭を執り行っていました。
昭和十六年十二月大東亜戦争の勃発により戦没者の数が急増し、護国の英霊に対する県民の感謝と敬揚の念が次第に深まりました。そこで県民の要望に応えるため、当時の知事をはじめ各界の代表者が設立者となって、宮崎県護国神社建設奉賛会を組織されました。
昭和十八年四月二十三日に内務大臣の許可を得て、鎮座地を宮崎市下北方の高台(現宮崎市立大宮中学校)に定め、同年五月十日に地鎮祭を斎行、建設工事に着手しました。
創建予定地地図
しかし、昭和二十年三月十七日には硫黄島が玉砕、ついに宮崎県下もアメリカの戦艦機の編成による空襲をうけ、建設は思うように進みませんでした。連日の空襲により、同年五月三十一日を以て建設工事を中止し、そのまま昭和二十年八月十五日終戦を迎えました。終戦後は神道指令により、宮崎市内では学校等の神棚を宮崎神宮に集めて消却し、また護国神社におきましても創建奉賛会の解散を命じられ、当時の宮崎軍民生部長官マスマン少佐の厳命により建設途中の社殿は解体、土地を手放すこととなり、建設の放棄を余儀なくされました。
しかしその後、講和条約の発効を見るに至り、護国神社再建の要望が澎湃(ほうはい)として起こったので、昭和二十八年四月に宮崎県護国神社政権奉賛会を組織して、県民の浄財をつのり神社の再建に着手し、現在地に昭和三十年三月竣工、同日鎮座祭を斎行し今日に至るのであります。
【護国神社と宮崎神宮】
宮崎神宮の西の森に創建された当初は、宮崎神宮と一体の運営がなされていました。
当時の宮崎神宮片岡宮司は「戦没された人々は、宮崎神宮をはじめ、それぞれの産土神社に武運長久を祈願して出征されたのであり、その神霊をお祀りする護国神社は、県下六百余の神社を代表して宮崎神宮が宮司以下全員無報酬により護持する。大祭には県下の全神職が奉仕する精神を以て神社庁支部長も奉仕する。時代の変革あるも宮崎神宮の現存する限り護国神社の祭祀を欠かさないようにする。」との方針をもって維持運営されていました。
しかしその後、ご遺族を始め多くの県民から独立神社にふさわしい運営をとの願いにより、昭和四十七年四月より専任の職員を置くようになりました。
【例大祭】
護国神社では、県内神職の奉仕により毎年四月九日に前夜祭併せて合祀祭、四月十日に例大祭が斎行されていますが、本来の例祭日は三月十日でありました。これは昭和三十年三月十日に合祀鎮座祭が斎行されたことに由来します。しかしながら、宮崎県戦没者等慰霊奉賛会会長より、三月十日は例年定例の県議会開催中につき、慰霊奉賛会総裁(知事)、会長(県議会議長)の参列が困難であるとのことから、例祭日変更の申し出がありました。また、県下の一万二千人の遺族にとっても、時期的に肌寒いため参集が困難であるという事情も考慮して、例祭日は昭和五十三年に四月十日と改められ現在に至ります。
このような事情から例祭日が変更されたにもかかわらず、近年、例大祭総裁は祭典終了後にお参りされています。公私共にご多忙であり、社会情勢を踏まえての事と存じますが、県民を代表して日本国に命を捧げられた神霊に対して、堂々と参拝をされます事を切に願います。
【現在の護国神社】
現在、宮崎県内の御遺族は約一万人近くを数えます。しかし御遺族の高齢化とともに、参拝者は年々減少の一途をたどっているのが現状です。この状況に危機感を抱き、戦没者遺族の意思を継承をすべく、平成二十五年十一月には御英霊の孫、曾孫を中心に組織する「宮崎市遺族連合会青年部」が設立され、慰霊祭等の活動が行われています。
平成二十七年は終戦から七十年の節目にあたります。改めて先人達の尊い犠牲の上に、今の平和な国日本があることに感謝をするべきではないでしょうか。我々の使命は、祭祀を通して御英霊を顕彰することはもちろんのこと、平和な世の中と命の尊さを後世へと語り継ぐことだと思います。
昨日、宮崎県に再接近した台風11号。
台風時に特に心配に思う神社・・・
宮崎市の青島神社。
観光地としも有名で、多くの参拝者が来られます。
青島神社にも当会会員がいますので、台風時の状況を報告していただきました。
奥に見えるのが青島です。 青島に渡る橋付近。
鳥居付近。 狛犬前。
夜中には波が社務所前まで来たそうです。
どの写真を見ても、唖然とするばかりです。
先月末の福島県神青会との交流事業時に、足を運んだばかりでしたので
驚きも一入です・・・
しかしながら、本殿まで波が到達することはなかったようです。
県内の様々な神社をお参りさせていただきましたが、多くの神社は小高い丘の上など
人家より高い位置に鎮座されています。
地域全体が見渡せるのはもちろんのこと、過去の災害の歴史等から神様が被害に
遭わぬように考えられての事と思います。
お近くの神社の鎮座地と地域の災害の歴史。
調べてみると、何かが見えてくるのではないでしょうか・・・
また神社での台風後の掃除と言えば、倒木、落ち葉や枝の処理が一般的ですが、
青島神社では海からの漂流物の掃除がかなり大変のようです。
本日は、多くの神主さんが境内清掃に励まれたことと思います。
台風11号は各地に爪痕を残し、本日は関西方面を縦断したようです。
被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
さて2日目!(1日目の様子はこちら)
たしかなこと - 小田和正
雨上がりの空を見ていた
通り過ぎてゆく人の中で
哀しみは絶えないから
小さな幸せに気づかないんだろ
時を越えて君を愛せるか
ほんとうに君を守れるか
空を見て考えてた
君のために今何ができるか
忘れないでどんな時も
きっとそばにいるから
そのために僕らはこの場所で
同じ風に吹かれて
同じ時を生きてるんだ
いちばん大切なことは
特別なことではなく
ありふれた日々の中で君を
今の気持ちのまゝで
見つめていること
忘れないでどんな時も
きっとそばにいるから
そのために僕らはこの場所で
同じ風に吹かれて
同じ時を生きてるんだ
どんな時も
きっとそばにいるから
以上、福島県神道青年会との交流事業2日目の様子でした♪(写真はこちら)
懇親会の冒頭で、福島県神青会田村副会長が福島県の現状を話されました。
その中でこんな話が。
息子さんに将来の夢を聞いたことがあるそうです。
その答えは、
「トッキュージャー!」
「仮面ライダー鎧武!」
そして最後に、
「お父さんの神社の神主さんになること」
普通であれば、息子が跡を継いでくれるという大変嬉しい話です。
しかし現在、田村さんは避難生活をされており、自分のお社に戻ることができないそうです。
この子の夢が叶う日がくることを、心から祈るばかりであります。
(福島県の様子はこちらで伺い知ることができます)
詞心ちゃん、結ちゃん、拓巳くん、天くん、心ちゃん、英梨香ちゃん、
陽菜ちゃん、純樹くん、蒼平くん、直昌くん(笑)
心置きなく、目一杯楽しめたかな???
福島に戻っても、宮崎のみんなのことを忘れずに笑顔で頑張って下さいね!
遠く離れた宮崎から、応援しています。
困ったことがあったら、遠慮なく何でも言って下さいね(^_^)/~
今回の交流を通して生まれた新たな絆。
まだまだ小さなこの絆を絶やすことなく、より大きくして復興支援活動に繋げること。
それが私達に出来る、
たしかなこと・・・