宮崎神青ブログ - 20130913のエントリ
去る9月2~3日奈良県神道青年会との姉妹神青交流事業を開催致しました。
(姉妹神青についてはこちら)
昨年は宮崎県から奈良県へ、本年は奈良県様に宮崎にお越しいただきました!
先ずは宮崎神宮を正式参拝。
奈良県より4名の参加。うち3名は初めての宮崎だったようです。
続いては教養研修会。
○ 「八紘一宇の大御心を学ぶ」と題し宮崎神宮黒岩権宮司よりご講義いただきました。
○研修趣旨は以下の通りです。
神武天皇は、御年四十五歳で日向国を御進発になり、六年の歳月をかけて艱難辛苦
のすえ大和国に入られて、畝傍山の東南橿原の地に皇居を営み、即位の礼を行わせ
られた。明治の御代になり、この橿原宮址に神宮創建の誓願が民間有志から起こり、
明治天皇にはこれを深く嘉せられ、元京都御所の賢所と神嘉殿を本殿及び拝殿とし
て下賜され、明治二十三年四月二日に官幣大社橿原神宮が創建されたのである。
それから五十年後の昭和十五年、いわゆる紀元二千六百年には、国を挙げての奉祝
記念事業が行われ、延べ百二十一万余人の勤労奉仕により、現在の宮域が形成され
るに至った。この紀元二千六百年には、橿原神宮のみならず全国津々浦々にて奉祝
行事が執り行われた年でもあり、宮崎県に於いても宮崎市内の日向灘を望む高台に
一億同胞の援助をもって「八紘之基柱」が建立された。この御幣の形を模した塔の
正面には、神武肇国の理念である「八紘一宇」の文字が刻まれている。
今この国家存亡の時に建国の古を顧みれば、爾来二千六百七十三年にわたり、万世
一系にして、連綿と受け継がれている皇室の尊厳を護持し、平成の大御代の弥栄を
ひたすらに祈り、祭祀を通して八紘一宇の大御心を氏子崇敬者に教化していく事は
神道人としての使命である。
我々宮崎神青は神武降誕の聖地に集う青年会であることを誇りに、神武創業の地で
ある奈良神青との誼みを深め、「八紘を掩いて宇と為む」の真の意味を自覚し国を
愛する正しき心を養う為、本事業を開催するものとする。
続いて現地へ(八紘之基柱、八紘一宇の塔、現在は平和の塔と言われています)
今回は特別に内部の見学までさせていただきました。
完成年月 昭和15年11月25日
紀元二千六百年奉祝事業の一環として「紀元二千六百年宮崎県奉祝会」に
よって建設。
塔の高さ 36.4メートル
揮 毫 八紘一宇の文字は昭和天皇弟宮・秩父宮雍仁親王殿下のご親筆
使用石材 世界各地より1,789個の石が寄せられた。
塔の形状 塔は世界中の罪穢れを祓う意味から御幣の形をしています。
内部については秘密です・・・
「八紘一宇」とは世界平和を願う意味の言葉でありましたが、
戦後は国威発揚のスローガンとされ使用禁止に・・・
さらに塔の正面の八紘一宇の文字は取り剥がされ、挙げ句の果てにはロッククライミングの
練習場になるなど荒廃の一途を辿りましたが、
昭和37年に武神像、昭和40年には「八紘一宇」の文字復元されました。
趣旨にもありますように、我々神職は「八紘一宇」の言葉の意味、歴史をしっかりと学び、
神職として守っていく使命を新にしました。
研修会終了後は懇親会!
「ほな、乾杯するでぇ~」
「明日は、ゆ~ても高千穂の峰登山やさかい、ほどほどにな」(関西弁は私の想像です<(_ _)>)
ちなみに左の方の奉仕神社は、奈良県の「葛木坐火雷神社 」
読めます?
読めるかい_(_^_)_
答えは、かつらきにいますほのいかづちじんじゃ。
長っ・・・ (ちなみに”現在作成中”のHPはこちら)
さらに長い名前の神社もあるとの噂も!
関西弁と宮崎弁が飛び交う、大変有意義なひとときとなりました(^^)
今日はおおきに!
ゆっくり休んでや~
ほなな!おやすみZZZ
翌日へ続く・・・