宮崎神青ブログ - 201509のエントリ
先日、とある神社へお参りさせていただきました。
それではgoogleストリートビューの感覚でご覧ください<(_ _)>
11:00 入口鳥居
11:02 鳥居をくぐると、いきなりの下り階段
待ってよ~お兄ちゃ~ん
11:04 次は橋を渡ります。
橋上からの景色。天気もよく清々しいものでした!
実は3人いたりして・・・
11:08 橋を渡り終えると、次は登りです。
11:11 3つ目の鳥居...
11:13 4つ目の鳥居....
11:14 5つ目の鳥居.....
11:18 6つ目の鳥居......
神社はまだかな~???
11:21 湧き水の手水舎
11:24 ガサガサガサ・・・ 森の奥に小さなイノシシ発見!!!
11:26 7つ目の鳥居の先には???
到着~!
再び手水で清めて
お参りさせていただました。
ご社殿横にもきれいな滝がありました。
お気づきの方もおられるでしょうが、今回のお参り先は
西都市鎮座の速川神社でした。(詳細はこちら)
合格のご利益もあり、多くの受験者がお参りになるようです。
ちなみにタイトルの意味は
こういうことでした。
これほどの長さの参道も珍しいですが、運動靴持参にて是非お参りされては如何でしょうか。
宮巡隊の歴史に新たな1ページが加わりました・・・
家族になろうよ♪ 作詞・作曲 福山雅治
百年たっても好きでいてね
みんなの前で困らせたり
それでも隣で笑ってくれて
選んでくれてありがとう
どれほど深く信じあっても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
愛するということかもしれないから
いつかお父さんみたいに大きな背中で
いつかお母さんみたいに静かな優しさで
どんなことも超えていける
家族になろうよ
いつかあなたの笑顔によく似た男の子と
いつかわたしと同じ泣き虫な女の子と
どんなことも超えていける
家族になろうよ
あなたとなら生きていける
幸せになろうよ
去る8月29日、当会会員の日南市鵜戸神宮の安藤祐一郎くんが目出度く結婚されました。
おふたりの末永いお幸せと、ご両家益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。
弥栄!
前回の続き(前回はこちら)
6月26日。
朝拝、朝食を済ませてペリリュー島へ向かいました。
約1時間の船旅でした。
到着後は明らかに日本で使用されていたと思われるバスで移動。
ペリリュー島は南北約9km、東西約3kmの小島であります。
日本はこの島を死守するために、歩兵第二連隊を含むおよそ一万人の部隊を派遣。
島中に洞窟陣地を張り巡らせていました。
旧日本軍はペリリュー島での無謀な突撃を禁じ、兵士らは洞窟に身を潜めて持久戦に
徹したといわれます。
アメリカ軍は火炎放射器や水陸両用戦車などの最新兵器を投入しましたが苦戦。
当初「3日以内で終わる」と予想した戦闘は、2ヶ月半に及びました。
アメリカ海兵隊の最精鋭部隊と言われる第一海兵師団第一連隊の死傷率は、
史上最も高い約60%。
そのあまりの犠牲者の多さと過酷さから、ほとんど語られることがなかったため、
「忘れられた戦場」と呼ばれています。
到着後は白衣白袴に改服し、
先ずは戦没者慰霊碑へ。
拝礼
パラオ諸島の守備隊の将兵であり、第二連隊隊長中川州男中将顕彰碑。
昭和19年11月24日午後4時。
「サクラサクラ」。
軍旗も機密書類も焼却したこと、つまりはペリリュー島守備隊全員が桜花のごとく
散ったことを意味する同氏最後の電文でありました。
大本営は昭和19年12月31日ペリリュー島守備隊全員戦死と認定しました。
しかし、命ある限り戦う決意に燃える将兵、山口少尉以下34名(陸軍22名、海軍8名
軍属4名)は分散ゲリラ活動を行い、終戦を信ずることなく持久戦に徹し遊撃戦を続行。
約2年6ヶ月湿地周辺の豪に潜伏していましたが、昭和20年8月15日、日本軍の終戦を
知り、昭和22年4月21日、米軍に帰順、昭和22年5月15日横浜港に34名生還した
そうであります。
日本軍司令部跡地。
天上の穴は爆撃よるものだそうです。
日本軍95式戦車。
他は撤去されたそうですが、戦争の歴史を忘れない為に一台だけ残したそうです。
パラオ諸島唯一の大型飛行機が着陸できる「東洋一」と言われた飛行場滑走路。
昭和19年9月15日、アメリカ軍が上陸を開始したオレンジビーチにて黙祷
西太平洋戦没者の碑
碑文
「さきの大戦において西太平洋の諸島及び海域で戦没した人々をしのび
平和への思いをこめてこの碑を建立する」
本年は大東亜戦争終結より七十年の節目を迎えますが、以前から戦争体験者、戦歿者遺族の
減少が叫ばれています。戦争を知らない世代が大半を占める現在において、我々神職の為すべ
き役割は何なのか、漠然とではなく明確に考える必要があると考えます。
今を生きる我々は、先人達への感謝の気持ちを決して忘れてはならないことは当然です。
そしてその思いを継承する為にも、先ずは何よりも現地へ足を運び、知ることが大切だと考えま
すので、今回の慰霊祭は非常に貴重な経験となりました。
我々神職は全国民が等しく英霊に慰霊の誠を捧げる日が来るよう、
諸活動に邁進するのみであると思います。
アンガウル島遙拝