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宮崎神青ブログ - 活動報告カテゴリのエントリ

来年は宮崎に来てくれるかな?

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活動報告
執筆 : 
kuroki-kou 2017-9-8 9:09

昨月のこと、8月24日・25日に大分県にて野球大会と研修会に参加してきました。

各県に神道青年会が御座いますが、九州・沖縄を合わせて九州地区協議会と組織されており、今回はその九州地区協議会による親善野球大会と研修会でした。

宮崎からも優勝をさらうべく?有志が参加して参りました。

 

結果はというと・・・

残念ながら4位( ;∀;)

強い宮崎の時代もあったそうですが、ここ数年はいい結果を残せません。

 

いやしかし、野球経験者でない私からみれば、

「いや こんなの反則やろ・・・ 神主なの?」

っていう球を投げるピッチャーとかいたり、各県強豪ばかりで、上位入賞はなかなか厳しいですよね。

 

当会現会長は野球大好きです。もしかしたら、来年こそは・・野球の神様が・・・なんて思ったところです。

しかし、親善ということで、当会会員も猛暑に関わらず見事なプレーを見せ、大健闘しました。他県との交流も深まりました。運営された大分県の皆様ありがとうございました。

 

 

野球の翌日は、神職としてしっかり研修会にて講演を拝聴し、学びをさせていただきました。

 

 

さて、この野球大会と研修会、来年は宮崎が当番となり運営をさせていただきます。 開催地はもちろん宮崎県です!

充実した実りある2日間になるよう、しっかりと準備させていただきます。

 

 

九州各県青年神職の皆さん、宮崎に来てくれるかな?

 

 

マンゴー!

 

よく分かりませんが、当会会長が気合いれてお待ちしてます。 皆さんお楽しみに(^^)/

 

 

 

事務局長は鋭いバッティングで優秀賞ゲット!暑い中お疲れ様でした!

返還への祈り

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活動報告
執筆 : 
kuroki-kou 2017-8-28 9:43

 

去る8月20日~21日、北方領土返還要求の「九州・沖縄ブロック会議」「青少年研修会」が執り行われました。 どんな会議なのかというのは、まず各県に「北方領土返還要求○○県民会議」という団体が存在します。

毎年、その団体の代表が九州各県より集まり、日本・ロシア間の北方領土問題に関する関係現状や昨年今年どのような活動を行ったか、また教育の現場では子供たちにどうやって北方領土問題を知ってもらうかを報告し、今後の領土問題解決に向けた活動に活かす場であります。

 

本年はその当番県が宮崎県ということで、両日とも宮崎観光ホテルにて開催されました。

北方領土は「択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島」からなる、我が国固有の領土でございます。 しかし日本の領土でありながら、大東亜戦争終結後にソビエト連邦(現ロシア)により不法な占拠が続いております。

昭和36年、日ソ共同宣言が署名され両国間の国交が回復され60年が経過しましたが、今なお領土返還の交渉への進展は見られません。

 

日本でありながら、その地に住んでいた人は未だに故郷へ帰ることができない現状は、自身のことと置き換えると、あまりにも悲しいことではないでしょうか。我々神道青年会員も一日も早い返還に向けて活動を行っておりますので、そのような活動が行われていることを知って頂けると有難いと思っております。

 

21日の青少年研修会では、宮崎市立宮崎東大宮中学校2年生が152名参加(参加者総数約200名)のもと、元島民山本忠平様(択捉島蘂取出身)の講演を拝聴させていただきました。

講演の中でお話頂いた、敗戦数日後ソ連軍が島に侵攻した際の恐怖や、生まれ育った島を武力により支配される屈辱感は計り知れないものがあったと思います。

 

現在、北方領土が我が国の領土であると認識している国民は多いと思いますが、問題意識を持っている方は少ないと聞いております。 この青少年研修会に参加した少年少女が学んだことを生かし、自分たちで解決策を考え、この領土問題解決のための活動を展開してくれることを切に願います。将来、子供たちが大人になったとき、すべての島に自由に往来でき、領土問題が過去のものとなっていることを祈り、ご報告といたします。

 

夏だ!稔りだ!!

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活動報告
執筆 : 
kuroki-kou 2017-7-31 6:37

去る平成29年7月25日、午前10時より串間市崎田地区にて当会抜穂祭を斎行致しました。

御神田行事についてはこちら

 

 3月16日の御田植祭から約4か月、田長・田主をはじ地元の皆様のおかげをもって、素晴らしい実りとなりましたこと、本当にありがたく感謝致します。

早期米につき、先日の台風の影響も受けず収穫できました。みなさまの田にも台風の影響ないことを願います。

 

 

 

 

 

私事ですが、今年から個人の田んぼを管理しなくてはならなくなり、訳も分からないまま毎日田んぼに足を運んでます。

 

へたくその極みにつき、毎日猛暑のなか雑草と格闘しております。

 

実際に水田管理をするのは人生初めてですが、こんなにも大変であることを改めて、身に染みて実感しているところです。自然と向き合い、苗を愛で、只ひたすらに稔りを祈る。少しずつですが、稔りに感謝するということが分かってきたような気がします。

 

改めて、この夏の実りに、そして管理いただいた田長様、田主様、そして串間市崎田地区の皆様に感謝申し上げます!ありがとうございました!!

 

みなさまの田にも素晴らしい稔りがありますように・・・。

試された覚悟

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活動報告
執筆 : 
office 2017-6-3 18:20

4月末のこと、東京出張中に後輩からとある文書を受け取ったと連絡が入った。

 

なんでも平成28年8月15日に当会が発刊致した

「大東亜戦争終結七十年誌~守ルベキモノ、伝ユベキモノ。~」を

恐れ多くも表彰してくださるとのことであった。

 

このことには素直に喜んだ。

 

ご理解ご協力をいただいた多くの方々、さらには尽力いただいた会員の想いの結晶が

目に見える一つの結果として表れ、そして何よりもご英霊より「まぁそれなりによくやったよ」との

お言葉を賜ったような気がしたからである。

 

とうことで、去る5月26日

空路東京へ。

 

東京大神宮マツヤサロンにて開催された表彰式に出席した。 

 

当会を含めて5名の方が表彰され、その中には長野県神道青年会も含まれていた。

 

その表彰内容は、当会と同じ趣意。

調査開始より十年を経て、発刊に至ったそうである。

長野県神道青年会は、去る4月26日に開催された神道青年全国協議会総会において

めでたく”最優秀”広報賞を受賞された。(ちなみに当会は”優秀”広報賞・・・)

どちらが上だっただの何なのはさておき、同時期に同じ想いで発刊した両会である。

これを契機に情報交換等を行い、共に英霊顕彰はもとより諸活動に邁進していければと思う

ばかりである。

 

と、ここで終わりそうな今回のブログであるが、私には心にひっかかることがあった。

 

奇しくもそれは表彰式の数日前、とあるご相談を受けたことにある。

実家の庭に戦没者の慰霊碑があり、この度家を取り壊すこととなり、この慰霊碑を

如何すれば宜しいかとのことであった。

当初慰霊碑は近くのお寺に建立されていたようだが、その後お寺から離れることになり、

これを哀れに思われた相談された方のお父様が引き取り、現地に移設され個人的に

護ってこられたそうだ。

役所に相談されたところ、遺族会所有の慰霊碑付近に移設しても構わないが、移設費用は

自己負担とのことで、ご英霊への想いと板挟みになりその対応に苦慮されていた。

 

私には答えが出せなかった。

 

今回の様な場合を含め、これまでに様々な理由で消滅してしまった慰霊碑等、

そしてそれに刻まれていたご英霊の名はどれほどあるのだろうか。

 

冊子のあとがきにはこう記している。

我々は覚悟を持って氏神さまの祭を通して日本人の心を守り、次世代へと伝える使命が

あるのだと思います。

各地域の祈りが、ご英霊が願って止まなかった美しい祖国の繁栄はもとより世界の

共存共栄へと繋がりますことを節に祈念致します。

 

もちろん発刊した事が全てではなく、これから先が重要なことは分かっていた。

しかしながら、気の緩みがあったのだろう。

 

さっそく、その覚悟というものを試されたような気がしたのだ。 

基本

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活動報告
執筆 : 
office 2017-5-13 20:56

去る5月4日、当会宮崎市支部恒例となっております「おいらん道中」においての

雅楽演奏を執り行いました。

 

本番前の着替え・・・

「やっべぇ!足袋忘れた!!どんげしよぉ!!!」

「僕、予備で持ってきてますよ!」

「マジで!ありがとう!あっ、でもサイズ何cm?」

「とりあえず履いてみてください。」

「おーーーピッタリやん!」

 

さすがに7回目ともなると忘れ物する人もいないかと思われましたが、
まさかのまさか。

しかしながら、どうにか無事本番を迎えることができました。
 

この日は初めての雨天の為、アートセンターでの開催となりました。

曲目は①越殿楽、②陪臚

 

そして・・・

 


不安げに出番を待つ人・・・

 

まだかな~まだかな~ 
 


今年デビューの中武会員による

 

朝日舞(✧≖‿ゝ≖)ドヤァ

 

練習ではダメだしの連続でしたが、頼りがいのある川村先輩から基本からみっちりと

指導を受けたかいがありましたね。


終了後のバラバラの一礼。

基本的に拝の角度は皆同じのはずですが???

お恥ずかしい・・・

 

何はともあれ滞りなく終えることができ、有難いことに早速次回の出演依頼もいただきました。

 

曲目どうこうではなく、基本練習をしっかりと重ねて更にパワーアップして

来年に臨みたいと思います。

 

その前に次回参加時の目標は、

 

忘れ物ゼロ!!!!

 

まさに基本ですね・・・

至福の一服

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活動報告
執筆 : 
office 2017-5-3 11:01

私が会長に就任した際に、とある方から少し高級なタバコをいただいた。
とは言っても、決して何千円もする代物ではない。
貧乏性な私はちびりちびりと吸っていたのだが、ある日
「最後の1本は会長の任を終えた時に吸おう」
何故か心にそう決めたのだ。

そしていよいよ任期最終日。
「総会挨拶」
私が当会第二十二代会長を仰せつかってより早二年。

御陰をもちまして任期最終日にあたる本日を、清々しく迎えることができました。

生まれながらの非才はおおうべくもなく、皆様方には多々ご迷惑をおかけし、

さらには当会の名を汚すことはあったかもしれませんが、次期へ襷を繋げるという最低限の

役目を果たすことができますこと、誠に有難く衷心より厚く御礼申し上げます。

神道青年会とは不思議な組織であります。

と、申しますのはこの二年間、会員の中で最も多くの時間を共に過ごしたであろう事務局長で

さえ、その日数は全体の一割程。役員ですらせいぜい月に一度二度、一般会員となると、

皆無に等しく顔を合わすことの方が珍しい組織であります。

では何故に戦後の混迷期にあって互いに連携して道を開かんとして結成され、再来年には

創立七十周年を迎える当会が、先輩諸賢の弛まぬ努力は言うまでもありませんが、何故に

現在まで継承されてきたのでしょうか。

昨年、「大東亜戦争終結七十年誌、守ルベキモノ、伝ユベキモノ」の発刊を致しました。

発刊にあたりましては、多くの会員が日々忙しい中におきまして、各地区慰霊碑に足を運び

調査、撮影、さらには地区遺族会関係者に直接話を聞いていただいたという発刊に至るまでの

過程こそが結果以上に非常に重要なものであったと考えたわけでございます。

ああ、なるほど。当会のつながりというのは、

同じ時間をどれくらい過ごしたかではなく、

時間軸の同異に拘わらず同じ目的を持った時間をどれくらい過ごしたか、

このことに尽きると思う次第でございます。

さらに、それを続けること。
私の大好きなサッカー選手、五十歳を迎えた今もなお、現役でプレーを続けるキング・カズこと

三浦知良選手。カズの代名詞の一つに挙げられるのが、カズダンス。このカズダンス、ただ

踊るだけはありません。ゴールを決めないと踊れないのです。

肉体的な衰えをものともせず、ひたすらにチームを勝利に導くゴールを追い続け、懸命に取り

組まれる姿に皆が感銘を受け、当初は、チャラチャラしている等の批判もあったダンスも、

 

会場が一体となった東日本大震災復興チャリティマッチでゴールを決めた後のダンスに

象徴されるように、今では多くの方に受け入れられ、

「何でもないことなのだが、続けてきて良かった」と仰っていました。

何においてもそうですが、目的や信念を持って事にあたり、それを継続することが非常に大切で

あり、それが如何に難しいことなのかと、この二年間で強く感じました。

さぁいよいよ会長以下役員も一新され、新しい二年間の始まりです。

卒会される方、新しく入会する方、役員になられる方、退く方、それぞれ立場は異なります。
最後までカズの話で申し訳ないのですが、一九九三年ドーハの悲劇を経験し、一九九八年

フランスワールド杯出場が叶うも、直前での代表落選。カズは自問自答したそうです。
「お前はここからどう生きるのか」
思えば「あの日からがサッカー人生の始まりだったかもしれない」と後に答えています。

私自身もそうですが、会員の皆様も、もしかしたら本当の意味での神主人生は未だ始まって

いないのかもしれません。各々が後に振り返って、あの時から始まったのだと実感できる年と

なりますよう、目的を持って毎日を大切にお過ごしいただければと思います。

最後になりますが、先ずは健康に十分ご留意いただき、皆様の今後の益々のご活躍を

心からご祈念申し上げます。

みんな!がんばれよ!

早口、小声、さらに滑舌もあまり良くない、最悪の三拍子が揃った私にとって、
挨拶という最難関をどうにか突破。

そして、予定されていた議案も滞りなく承認され、ついにお役御免となったのである。

引き続き、場所を変えて新体制主導のもと卒会者、新入会員を交えての懇親会も
盛大のうちに終了し、後輩と談笑しながら徒歩で家路へついた。

後輩と別れ、自宅の前であのタバコに火を付けた。

大きく吸い込み、我が家の庭で夜空を元気に泳ぐ鯉のぼりを見上げながら、
大きく煙を吐き出した。

ゴホゴホゴホッ???

やはりまだまだ頑張りが足りなかったか、もしくはただ単に飲み過ぎたか。

思い描いていた至福の一服とはいかなった・・・

熊本の元気をみんなへ

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活動報告
執筆 : 
office 2017-4-22 12:32

前回の続き(前回はブログはこちら

 

第一部に引き続き、「熊本の元気をみんなへ」をテーマとして復興イベントを開催致しました。

 

学校法人加寿美学園熊本中央高等学校
明治36(1903)年10月1日創立され、「良妻賢母」と創立100周年を契機に、男女共学とし「高志躬行」を校訓と掲げ、本年で113周年を迎える伝統ある学校です。
貞明皇后陛下御歌(大正天皇の皇后) 大正11年9月20日御下賜
いとどしく降り積む雪を千代ふべき松はものともおもはざるらむ
しっかりと大地に根をおろし、長い歳月風雪に耐え抜いてきた松の姿に、いくたびの艱難辛苦を乗り越えて、今日がある学校を例えられたものであります。

皇室から直接お目をかけていただいた数少ない学校の一つです。

 

吹奏楽部による演奏

部員数15名。
「やるときはやる、楽しむときは楽しむ」のけじめをつけ、家族のように仲良く楽しく日々の練習に取り組んでいます。去る3月20日には、初めての試みとして「第一回定期演奏会」が開催されました。

 

書道部による書道パフォーマンス

部員数7名。
書くときは熱く!勉強は教え合い!あとはのんびり楽しく!をモットーに揮毫大会、高校書道展に向けての作品制作、校外でのパフォーマンス書道、諸作品展への出品を行っています。
それぞれの進路に向かって勉強し、また書道以外の習い事とも両立しながら頑張れる活力ある部活動です。
今年度7月に開催される全国高等学校総合文化祭宮城大会に出場されます。

 

肥後神楽奉納

肥後神楽は熊本県の主に北部地域に広まっており、その起源は詳らかではありませんが、室町時代にはその名称があったとの記録もあり、何百年かの歴史があると推察されます。

十二座からなる肥後神楽の中から、各神社のご神宝の刀で舞う一人舞であり、神様の御神徳を称え奉る宝剣(ほうけん)の舞を奉納していただきました。

 

交聲曲「海道東征」 グルッポ・ヴィーヴォ海道東征合唱団

海道東征は北原白秋作詞、信時潔作曲。日本書紀や古事記を基に日本の創世記を謳った日本初のオーケストラと声楽が一体となった交聲曲で、皇紀二千六百年記念の祝典で演奏されました。

戦後はタブーとしてほとんど演奏されなかった曲ですが、北原白秋の第二の故郷である熊本県でやろうと決心され、現在では様々な場所で演奏されています。

 

済々黌応援団OBによる応援!

明治12年に創設された同心学舎に源を発し、明治15年に済々黌として創立、今年創立130有余年を誇る伝統ある学校です。

済々黌の応援団は、日本有数の歴史を誇る熱きバンカラ応援団で、2013年には55年ぶりに第85回センバツ高校野球大会にて応援団賞優秀賞を受賞されました。

熊本はもとより東北、さらには日本全国へエールを送っていただきました!

 

応援団ではありません・・・(笑)

 

「熊本よ、弥栄、弥栄、弥栄」

本事業の〆として神道青年全国協議会 長友安隆会長先導のもと弥栄を三唱致し、

予定されていた全てを滞りなく終えることができました。

 

向後とも早期復興へ向けて、九州各地の会員が共に手を携えて微力を尽くしていく所存でございますので、

皆様方には少しでもお心寄せをいただければ幸甚に存じます。

 

最後になりますが、ご協力いただきました関係各位に衷心より厚く御礼申し上げます。

 

がんばるけん!くまもとけん!

 


 

一年の節目に・・・

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活動報告
執筆 : 
office 2017-4-19 14:46

熊本地震発生より一年の節目にあたる4月14日、

熊本地震復興祈願祭を熊本県水前寺成趣園能楽殿にて斎行致しました。

 

主催 神道青年九州地区協議会

後援 九州各県神社庁連合会

 

協力 出水神社

神苑「成趣園」を境内とする出水神社は細川家歴代藩主を祀り、報恩の誠を捧げる有志により明治十一年に創建され、生活の守護神として御神徳を仰ぐ人々の参拝で終日賑わいをみせています。

 

趣旨

平成28年4月14日より発生した熊本県益城町を震源とした「熊本地震」より一年がたちます。今なお避難生活を余儀なくされ、様々な困難と隣り合わせで生活する被災者は数多く、元の生活に戻るには長い年月と多くの労力を要することが予想され、先行きの見えない未来に不安を感じられています。
しかしながら、当初は連日のように取り上げられていた現地の様子を伝える報道は日に日に減少し、同じ九州で生活している人々ですら、被災前と変わらない状況であるかのような錯覚を覚えてしまう現状にあります。
そこで、私たちは神職の本分である「まつり」によって、お亡くなりになられた御霊に対し慰霊の誠を捧げ、神々に対し祈りを捧げるべく「熊本地震復興祈願祭」を斎行することとなりました。また、これにあわせて「熊本の元気をみんなへ」をテーマとして音楽等の奉納演奏も行います。
本事業を通して、被災地の現状をより多くの人々に発信し、地震の記憶を風化させることなく、一人でも多くの人々が被災地に心を寄せ、復興への歩みを推し進める一助となることを心から願います。

 

第一部 午後1時 熊本地震復興祈願祭

参列者全員による大祓詞奏上

 

祭詞奏上

 

祭員一覧

氏名 単位会 奉務神社 所役
小野 眞一郎 大分県 早吸日女神社 斎主
平江 智仁 熊本県 松橋神社 陪膳 

戸川 健士

佐賀県 唐津神社 膳部 警蹕
貴島 吉紀 鹿児島県 花尾神社 祝詞後取 一の手長
佐師 正教 宮崎県 田ノ上八幡神社 斎主玉串後取 二の手長
幸山 慎太郎 熊本県 赤水白山比咩神社 前導 参列者玉串後取
西高辻 信宏 福岡県 太宰府天満宮 祓主
岩松 正高 長崎県 松島神社 大麻所役
村松 大輔 大分県 八幡朝見神社 塩湯所役
串間 慶士 宮崎県 宮崎神宮 典儀
内村 泰彰 熊本県 阿蘇神社 楽太鼓
秋永 一憲 大分県 雲八幡神社 鞨鼓
長友 貞治 福岡県 宗像大社 鉦鼓
山田 大輔 大分県 宇佐神宮 鳳笙
戸高 宗徳 福岡県 太宰府天満宮 鳳笙
是則 慶秀 福岡県 竃門神社 篳篥
野澤 佳穂子 長崎県 温泉神社 篳篥
吉武 誠礼 福岡県 宗像大社 龍笛
茶木 俊介 鹿児島県 鹿児島神宮 龍笛
磯畑 希充子   太宰府天満宮巫女 楽箏
今丑 いづみ 熊本県 健軍神社 舞人

 

 

浦安の舞

天地の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を(昭和天皇御製)

 

祭典では、九州各県の名水をお供え致しました。

 

場所 品名
福岡県宗像市 天の真名井(あめのまない)
佐賀県神埼市 金剛水(こんごうすい)
長崎県島原市 江里神社の湧水(えりじんじゃのわきみず)
熊本県阿蘇市 神の水(かみのみず)
宮崎県高千穂町 塩井川の湧水(しおいがわのゆうすい)
鹿児島県垂水市 財宝(ざいほう)
沖縄県南城市 受水走水(うきんじゅはいんじゅのみず)

大分県別府市

萬太郎清水(まんたろうしみず)

 

熊本地震では、出水神社も鳥居の損壊など大きな被害を受けられました。

 

さらに成趣園池の水量も著しく減少。

 

現在でも水量は地震前の三分の一程度しか戻っていないようです。

 

世界一の地下水都市とも云われる熊本県。

これからか先も我々の生活にとって重要な水が、絶え間なく流れ続けますよう祈りつつ

祭典終了後には、水前寺保育園園児が成趣園池に上記の名水を献水致しました。

 

神代の昔、イザナギノミコトとイザナミノミコトは、大八島(日本列島)をお生みになり、さらに海や川、木や山、自然の風や霧などの森羅万象を司る多くの神々をお生みになりました。
爾来、日本人は神社や祭を通して自然と共存共栄し独自の文化を紡いできました。
もとより、人の力では為す術の無い自然に対して人々に与えられたのは祈りのみであり、全身全霊で祈るその意志の力によって守られることは多くあります。
日本国内の彼方此方、隅々にまでひっそりと鎮座される氏神さまは八万社を数えます。
当たり前という有難い日々に感謝の気持ちを忘れることなく、氏神さまでの日々の祈りや節目のおまつりを通して一人一人の小さな祈りが、日本の安寧へと繋がりますことを切に願うばかりであります。

 

第二部へ続く・・・

 

心に染みる雨

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活動報告
執筆 : 
office 2017-4-10 17:29

本日、午前10時より宮崎県護国神社例大祭が斎行されました。

恒例により当会からも数名が祭典奉仕、またお手伝いをさせていただきました。

 

桜は満開ながらも、昨年に引き続き雨となりました。

 

県内各地より遺族が多数参列されていました。

県内各地の氏神さまで斎行される例祭ですが、おそらく参列者は最も多いと思われます。

 

みたま慰めの舞

 

辺りを見渡す限り、ご高齢の方が多数見受けられました。

私自身、宮崎県神道青年会会長として玉串奉奠をさせていただきましたが、

その中ではおそらく最年少だったのではないかと・・・

勝手ながら若者代表として思いの丈を捧げ、今後の神青会の役割を強く

認識致しました。

 

祭典後の宮崎県戦没者等慰霊奉賛会総裁であります河野知事の挨拶でも

ありましたように、御英霊にとっては雨とは如何なるものだったのしょうか。

 

行軍を妨げる雨、太陽の光を奪う雨、渇きを潤す雨。

 

御英霊にとっては生死を左右する非常に重要なものであったのだと

深く考えさせられました。

普段何気なく考える天気ですが、本日は心に染みる雨となりました・・・

 

土砂降りに加えて、非常に肌寒い中での祭典でしたが恙なく斎行されました。

 

昨年8月15日に、当会では大東亜戦争終結七十年記念誌

「守ルベキモノ、伝ユベキモノ」を発刊致しました。

 

本日ばかりは改めて読み返していただき、現在の日本の礎となられた

御英霊に対して感謝の気持ちを新たにされまして、謹んで哀悼の意を捧げて

いただければ幸甚に存じます。

 

記念誌詳細はこちら(HPトップページからもダウンロードできます。)

ありがたや

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活動報告
執筆 : 
office 2017-3-22 18:30

去る平成28年3月16日、午前10時より当会御田植祭を斎行致しました。

(御神田行事についてはこちら

 

本来であれば平成29年度の事業になるのですが、今回の担当地区である

南那珂は早場米!とうことで3月の斎行となりました。

 

37回目にして、史上初となる串間市に於いて斎行。

 

斎主は河野保彦会員。(本城神社宮司)

 

スミマセン、散髪行きます・・・

 

祭典奉仕者

 

今日一の笑顔!

 

今日一のドヤ顔!

 

約2時間をかけて全て手植えすることができました。

 

3月9日のことですが、熊本県へ足を運びました。

崩壊した阿蘇大橋。

 

あれから一年を経ようとしていますが、倒壊したお社が未だ再建されていない

氏神さまが多数あるようです。

 

このような中において、串間市大字崎田地区の氏神さまである稲荷神社のお膝元で

御田植祭が例年と変わらぬ形で斎行できましたことは、本当に有難いことでした。

 

人の力では為す術のない自然に対し、また当たり前という大変有難い毎日に常に感謝の

気持ちを忘れることなく、皆が日々氏神さまに祈りを捧げていただければと思います。

 

最後になりますが、田長をお引き受けいただきました森永様をはじめ地域住民の方々、

さらには担当の南那珂地区会員の皆様に衷心より厚く御礼を申し上げます。

 

早場米ということで実りの秋ではなく、実りの夏になるようですが、皆様お揃いで賑々しく

抜穂祭が斎行されますことを心からご祈念申し上げます。