宮崎神青ブログ - officeさんのエントリ
あれから4ヶ月・・・
去る10月14日、午前10時より第36回献穀御神田行事抜穂祭を斎行致しました。
昨年に引き続き、またもや雨・・・
米良の地名は、米良神社のご祭神磐長姫命(いわながひめのみこと)が、
この地区でお米を作られた際に、よねよし、よねよし(米良し)と言われたことに
由来するそうであります。
今回収穫したお米は、先ずは10月15日~17日に伊勢の神宮にて斎行されます神嘗祭に
お供え致しました。
とは言っても、抜穂祭翌日の事でしたので、事前に抜き取った稲穂をお送り致しました。
この神嘗祭は、その年に収穫された新穀を最初に天照大御神にささげて、御恵みに感謝する
お祭りで、年間千五百回に及ぶ神宮の恒例のお祭りの中でも、最も重要なお祭りであります。
田長の上米良文吉様。
田長の「刈りませ~」の掛け声のもと、稲刈り開始!
全て手刈り、かけ干しまで予定をしていましたが、雨の影響により今回は一部を
苅り取るのみとなりました。
もしかして雨男???
直会!
おにぎりは田長様の田んぼで穫れたお米、通称「文ちゃん米」を使用とのこと!
11月23日には、各神社において新穀を神様にお供えし、感謝申し上げる
新嘗祭(にいなめさい)が斎行されます。
この祭は天皇陛下御自らも斎行されるもので、その日までは陛下は新米を口になさるのを
控えていらっしゃるとのことでございます。
物が溢れ、季節を問わずに色々なものを食することができる時代ではありますが、
陛下のお姿を見習い、神職として祭を通して、我が国の基である米作りや日本人の精神を
受け継いでいく覚悟を尚一層強くしたところでございます。
最後になりますが、本事業に対しまして、ご理解ご協力を賜りました田長の上米良文吉さまをはじめ地域住民の方々、準備等々お世話いただきました児湯地区会員の皆様に心から感謝を申し上げ、さらにはこの小川地区が氏神さまである米良神社を中心として弥益々にお栄えになりますことをご祈念申し上げます。
(当日の写真はこちら)
6月4日御田植祭
8月11日 出穂(しゅっすい)
夏休み~♪
10月10日 抜穂祭
宮崎神宮御神田稲穂の生長と、息子の成長の記録でした・・・
双方ともスクスクと育ち、何よりでございます!
当会の第36回献穀御神田行事も、本年は児湯郡西米良村小川地区に御神田を選び定め、
去る6月14日に御田植祭を斎行してより、はや4ヶ月・・・
来る10月14日(金)、午前10時から抜穂祭を斎行致します。
今のところは天気の心配も無く、清々しい秋晴れの中での抜穂となりそうです。
御神田は小川作小屋のすぐ近くです。
お時間がございましたら、是非足をお運びください<(_ _)>
去る9月13日、「知ろう学ぼう災害の歴史と氏神さま」と題して研修会を
日南市鵜戸神宮にて開催致しました。
趣旨
古より我が国は、自然と共存共栄し独自の文化を形成してきた。この自然との営み方は自然環境、生活様式が如何に変化しようとも決して忘れてはならないものである。
しかしながら、災害大国とも言われる我が国は、昨今の東日本大震災・熊本地震をはじめとした想像を超える自然の猛威により、幾度となく被害を受け多くの命が失われてきた歴史がある。
もとより、人の力では為す術のない自然に対して我々にできることは日々の祈りであり、地域の人々が祈りを捧げる場が氏神さまである。氏神さまと共にある地域の歴史を顧み、先人達より受け継がれてきた教訓を再認識し、防災や災害に対する意識向上への一助となるべく本研修会を開催する。
開会に先立ち正式参拝
研修内容
①各地区「災害の歴史調査報告会」
・宮 崎 外所地震被害について
・県 北 平成十七年台風十四号による高千穂鉄道廃線、水害について
・児 湯 平成十七年台風十四号による水害について
・都 城 新燃岳噴火(享保噴火、平成噴火)について
・南那珂 外所地震による飫肥城の被害について 鵜戸神宮台風被害について
本研修は、各地区の過去の災害の歴史を調査していただき、発表していただくことに重点を
置きました。講義で得る知識とは違い、自らが調査して得る知識では一味違ったものがあると
思いこのような形式を取りました。
②熊本地震について 内村泰彰氏(熊本県神道青年会会長)
小林雄彦氏(熊本県神道青年会事務局長)
本来であれば私たちが熊本へ足を運び、話を伺うところですが、ご無理をお願いして、
宮崎へお越し頂き貴重なお話を聞くことができました。
復興へはまだまだ時間を要するようですが、少しでも力になれればと感じました。
阿蘇神社ホームページはこちら
木山神宮フェイスブックはこちら
③災害時の保険の対応について JA共済保険担当者
④災害後の事務手続きについて 伊東健治氏(鵜戸神宮禰宜・当会第十八代会長)
研修会を終えて感じたことは、やはり人間忘れるものだと・・・
数年前の台風の被害ですら、そんな事あったっけ?と思った自分がいました。
いつまでも忘れないこと。
簡単そうで非常に難しいことでありますが、先ずはそこからです。
その上で、会員の皆様には災害への備え、災害後の対応はもとより、神社人として如何に
あるべきかを十分に考えていただき、その答えを見出していただければと思います。
最後になりますが、研修会開催にあたり、ご協力を賜りました鵜戸神宮様、準備等々
お世話いただきました南那珂地区会員の皆様に心から感謝を申し上げます。
当日の写真はこちら
去る9月20日、当県にも台風が来襲しました。
大きな被害がでた地域の方々に、心からお見舞い申し上げますとともに
一日も早い復興を心からご祈念申し上げるばかりであります。
当会会員の奉仕神社では、倒木等の被害はあったようですが、今のところ大きな被害の報告は
受けておりませんので、とりあえず一安心です。
宮崎神宮
吉村町八幡神社
宮崎県護國神社
青島神社
青島神社
田上八幡神社
とは言っても多くの会員が、奉仕神社の清掃に追われたことと思います。
私の実家は神社でありましたが、台風の翌日がとても嫌いでした。
理由はもちろん後片付け!
台風一過の晴天の中、遊びにいく友達をうらやましく思いながら朝から夕方まで
手伝っていたことを覚えています。
しかしながら、これも神社の息子の宿命。
遊んじょらんで、日々の御礼と思ってしっかり清掃してくださいね・・・
去る8月15日、当会の大東亜戦争終結七十年記念事業として準備を進めておりました
『大東亜戦争終結七十年記念誌~守ルベキモノ、伝ユベキモノ。~』を上梓することができました。
殊に本書内の県内慰霊碑等につきましては、各会員が現地へ足を運び調査撮影を行い、また各遺族会関係者にお話を伺うことで、心のどこかで遠い昔に遠い国で起こったかのように感じていた先の大戦を、より身近に感じるようになりました。
各々が得たものを、これから先の英霊顕彰はもとより諸活動に生かして参る所存でございます。
機会がございましたら、是非ご高覧いただければ幸甚に存じます。
【発刊趣意書】
昭和三十年三月十一日の宮崎神宮日誌を紐解くと、次のよう書かれています。
昭和三十年三月十一日 金曜日 晴れ
一、護国神社鎮座奉祝祭 午前十時
宮司以下奉仕(齋服) 伶人(笛、篳篥二管立、笙、鞨鼓、太鼓)七人外ニ琴
縣神社庁支部長九名参列(齋服)
奉賛会総裁田中縣知事、奉賛会長日髙県議会議長、宮崎縣遺族会長外市町村関係者、遺族壱萬伍阡名参列 社前廣場を埋む、歡喜に沸く
一、祭典終了後、宮司、知事、縣議長、縣遺族会長の挨拶あり、一同隨喜の涙をながす
一、神職退下後遺族に本殿石階下まで参入参拜を許す、遺族の感激一入なり
一、午後西神苑にて、相撲、剣道、弓道の奉納試合あり、風もなく照りつけもせず暖き春日和に恵まれて、神苑は午後四時頃まで賑ふ
参列者一五,〇〇〇名とあることからも、県民が如何にこの日を待ち望んでいたか、護国神社の創建が県民の切なる願いであったことが伺えます。
また、宮崎県護國神社社務所には、昭和三十八年三月十日(現在は四月十日)例大祭の写真が飾ってあります。巫女が「みたま和め」の舞を奉奏しており、その後ろにはご遺族をはじめとした参列者が、境内を埋めつくしています。全員が立ったままでの参列であり、その多さは現在では想像もつかないものであります。
しかしながら、現在では遺族の高齢化とともに参拝者は年々減少の一途を辿り、さらには各地に点在する忠霊塔、慰霊碑においての祭典が滞っているとの話も耳にします。この状況に危機感を抱き、戦没者遺族の意思を継承をすべく、御英霊の孫、曾孫を中心とした組織が設立されるなど新たな活動も行われいるようです。
大東亜戦争終結七十年の節目にあたり、宮崎県神道青年会といたしまして、靖国神社をはじめ全国の指定護国神社、宮崎県内の慰霊碑を一冊の本に纏め発刊致したく存じます。期するところは、ご英霊の顕彰はもちろんのことながら、神職の本分である「祭り」を遺族の方々と共に、絶やすことなく、恙なく斎行していくための一助にならうものに他なりません。
【目次】
【あとがき】
その記事を目にしたのは、今から五年ほど前でありました。
宮司は県より終戦の事実を知らされると全職員を集め、
「自分らが神職であることを自覚せよ、また、今後どのようにして大神さまの御心に
添い奉るかを各々充分に考へてその結論を報告せよ」
宮崎神宮史に掲載されていた終戦当日の話であります。敗戦という国史上未曾有の危機に際しての問いに、当時の私は結論に至ることはできませんでした。
しかしながら、日々の奉仕や今回の大東亜戦争終結七十年の事業を通して、それはやはり祭なのではないかと考えるようになりました。神職の本分である祭、すぐにこの結論に至らなかった私が、如何に徒に時を重ねていたか、神職としての自覚の低さを唯々情けなく思うばかりであります。
神社新報の第一号「創刊の辞」にはこう記されていたそうです。
「一言にしていふならば、日本人の宗教的真心の結晶が神社として成立してゐるのである。」
神社を取り巻く環境が変化しようとも、我々は覚悟を持って氏神さまや祭を通して日本人の心を守り、次世代へと伝える使命があるのだと思います。各地域の祈りが、御英霊が願って止まなかった美しい祖国の繁栄はもとより世界の共存共栄へと繋がりますことを切に祈念致します。
最後に本誌発刊にあたりまして、ご理解とご協力を賜りました関係各位、尽力いただきました会員一同に対して、心から感謝を申し上げます。
平成二十八年八月十五日
宮崎県神道青年会会長 串 間 慶 士
家族になろうよ♪ 作詞・作曲 福山雅治
百年たっても好きでいてね
みんなの前で困らせたり
それでも隣で笑ってくれて
選んでくれてありがとう
どれほど深く信じあっても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
愛するということかもしれないから
いつかお父さんみたいに大きな背中で
いつかお母さんみたいに静かな優しさで
どんなことも超えていける
家族になろうよ
いつかあなたの笑顔によく似た男の子と
いつかわたしと同じ泣き虫な女の子と
どんなことも超えていける
家族になろうよ
あなたとなら生きていける
幸せになろうよ
去る9月4日、当会会員の宮崎市宮崎神宮の本部怜くんが目出度く結婚されました。
おふたりの末永いお幸せと、ご両家益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。
弥栄!
神職になるには資格が必要である。
○か×か?
その答えは「○」
資格が必要なのです。
ちなみに資格とは言わずに、「階位」(かいい)と言います。
階位は、
浄階(じょうかい)
明階(めいかい)
正階(せいかい)
権正階(ごんせいかい)
直階(ちょっかい)
があり、規定の定めるところにより検定し、授与されるものです。
それぞれの階位の事を申せば、とても書ききれませんので、
上記の五階等があると覚えていただければと思います。
本日は、去る7月11日から8月10日迄の1ヶ月間、宮崎県神社庁にて開催された「直階検定講習会」を
受講され、目出度く階位を取得された成り立てほやほやの神職さんに、講習会を終えての感想を寄稿して
いただきました。
社家に嫁ぎ、神職の妻となって七年の月日が流れました。
日々社務の手伝いを行うなかで、いつかは私も神職として神社を盛り上げたいという気持ちを抱くようになりました。そして今回、子供の保育園入園をきっかけに、ついに念願が叶い家族の後押しを受け受講させていただくこととなりました。
講習会は、自分の無知を自覚することから始まりました。
唯一の救いであった多少なりとも日々神社に携わってきた、という小さな自信はあっという間に吹き飛び、
改めて真剣に取り組まなければと気を引き締めることとなりました。
一ヶ月という短い期間で学んだことは、祭式や祝詞作文・購読を始め、神宮史、近代史、法規など多岐にわたりましたが、全ての授業が面白く、様々な分野に対して関心を高められました。特に、神職として奉仕する上で非常に重要である祭式は、最も関心が高い講義でした。一つ一つの所作に意味があり、その意味は全て神前にて奉仕するが故であるという事、神様と祈願者との“仲とりもち”である神職の在り方などを学びました。
そして何よりも、最終日の閉講奉告祭にて恐れ多くも斎主としてご奉仕させて頂きましたことは、
今後斎主を務める事がそう多くはない私にとって非常に貴重な経験となりました。
心地よい緊張感の中、粛々と神事が行われ、受講生代表として祝詞奏上、玉串奉奠をさせて
頂きました。
『祭』とは、祭員だけでなく、参列者も含め全員で奉仕するものだと感じることができました。
人生初の大役を果たした閉講奉告祭終了後には、たくさんの仲間や先生方のあたたかいお声に、
張り詰めていた緊張の糸が一気にほどけ、涙が止まりませんでした。
振り返るとあっという間の一ヶ月でした。
片道約一時間をかけての通学だったこともあり、体力的に追い込まれる事も多かったのですが、
応援し支えてくれた家族、そして共に切磋琢磨した仲間たちの存在があったからこそ、最後まで
やりきる事ができたと思います。
神職としてのスタートラインに立った今、講習で出会えた仲間たちとの繋がりを励みにしながら、
初志貫徹の決意で奉仕していきたいと思います。
最後になりますが、階位取得にあたりお力添えを賜りました多くの皆様に心から感謝申し上げます。
(3?歳、三児の母)
早いもので、明日8月7日は立秋。
暦の上では秋となりますが、まだまだ夏真っ盛りといった感じですね。
夏休みに入り約2週間が過ぎ、朝から晩まで毎日の様に子供がいる生活に
少々お疲れ気味の親御さんもいらっしゃることと思います・・・
我が家においても、賑やかさを超えて騒音ともとれる子供の声が響き渡っております。
夏休みの宿題、その一つに欠かせないのが「スケッチ」ですよね。
ある日の夕方、「お父さ~ん!見て見て~!」
宮崎神宮末社「五所稲荷神社」へ足を運び、
才能の片鱗をうかがわせる一枚の絵を披露してくれました。
かなりの親のひいき目であることは重々承知していますが・・・
まぁスケッチもするようになったものかと、息子の成長を実感するとともに、
中学の時だったか、通知表で美術「2」の評価をいただいた私の血筋ではないと
確信する瞬間となりました。
私の奉職先の境内でも、座り込みながら懸命にスケッチをする子供の姿を見かけます。
スケッチがお済みでない方は、是非ともお住まいの地域の守護神であります
氏神さまへ足を運んでみてはいかがでしょうか???
(氏神さまはこちら)
きっと神様も、皆さんの姿に目を細められることでしょう・・・
みたま祭について
宮崎県護國神社の御祭神は国家危急に際して、あらゆる職域、学舎から勇躍出征して国家永遠の繁栄のために散華された御英霊です。
終戦から七十余年という歳月を重ね、戦争を知らない世代が多数となり、やもすれば困難な時期があったことさえ忘れがちでありますが、今日の平和と繁栄がございますのは、二つとない尊い命を捧げて国の礎となられた御英霊のおかげに依る所に他なりません。
宮崎県護國神社では、宮崎県出身者四万一千余柱、ならびに公務殉職者五十余柱をお祀り申し上げ、毎年八月十四日、十五日の両日『みたま祭』を執り行い、慰霊顕彰の誠を捧げております。
みたま祭 献燈のお願い
神霊の奉慰安鎮に心をお寄せ頂き、年に一度のみたま祭に皆様の温かいご支援、
ご協賛を宜しくお願い申し上げます。
《献燈料》
・1燈 3,000円 ・2燈 5,000円 ・3燈 10,000円
※奉納された方には後日、記念品をお贈りさせて頂きます。
※掲載場所につきましては神社に御一任願います。
宮崎県護國神社についてはこちら