宮崎神青ブログ - 弥五郎さま
11月19日、宮崎日日新聞をめくると何処かで見た顔が・・・
当会の佐師副会長が奉仕される日南市飫肥に鎮座される田ノ上八幡神社の
『ミニ弥五郎さま完成』と題した記事が掲載されていました。
普段、参拝者から「弥五郎さまはどちらですか?」とのお尋ねを多くいただいており、
「何とかしましょう」と弥五郎様保存会より、高さ2㍍の社殿内に収まる大きさの人形を
奉納いただいたそうです。
そもそも『弥五郎さま』とはどちら様???
隼人の叛乱と放生会
大和朝廷が全国の地方政治をより細かく行って行く為に制定した「養老律令」は、酋長を中心に強固な共同体を組織していた隼人にとっては、中央から派遣された官僚に支配されることは大変な屈辱であった。
そこで、養老四年(七二〇)二月二十九日大隈、日向の隼人らは初代大隈国守・陽候史麻呂を殺害、叛乱を起こしたが、圧倒的な兵力を持つ政府軍の前に隼人の城は次々に落ち最後迄抵抗し続けたが、ついには戦死、捕虜となった。
養老七年(七二三)宇佐の集団は隼人の首を持ち帰り、宇佐神宮の西五〇〇メートル程のところにある松隈に埋めたという。その後、宇佐地方では作物の不作、疫病が流行する。これは 「隼人の乱でたくさんの反乱軍を殺した報いだ」として、隼人族の怨霊を恐れた大和朝廷は全国で放生会を行わせた。その名残の一つが、「弥五郎さま」などの祭事である。
南九州に伝わる「弥五郎」まつり
現在、「弥五郎」にまつわる伝統行事は、
①都城市山之口町に鎮座する的野正八幡宮、
②鹿児島県曽於市大隈町に鎮座する岩川八幡神社、
③日南市飫肥に鎮座する田ノ上八幡神社
に伝えられている。(上写真は、宮崎神宮御神幸祭「神武さま」にて勢揃いした三兄弟)
それぞれ秋の例祭の浜下りに先祓いとして大人人形(弥五郎)が先導し、氏子崇敬者から畏敬されている。
この弥五郎さま(どん)は、放生会の南九州の人々が独自に創出した思いを託す巨大人形であると伝えられている。(上写真は本年の田ノ上八幡神社例祭)
弥五郎伝説
弥五郎伝説は、北は都農町、南は鹿児島県志布志市、西は鹿児島県霧島市まで分布され鹿児島県曽於市を中心に伝説跡地が広がっている。その中身は弥五郎が「山を削って一塚が出来た」、「霧島山に三歩で登った」、清武町の荒平山に腰かけて青島で手を洗った」など、弥五郎が大人(巨人)だったことがうかがえる。田上八幡神社では「日向地誌」によると、大隅国桑原郡に稲津弥五郎というものがおり、その地の一宮八幡(現在の鹿児島神宮)の御神体を背負い来て、飫肥の地に祀ったと伝えられている。
田ノ上八幡神社「弥五郎さま」
田ノ上八幡神社の例祭は、現在は十一月第二日曜日であるが、本来は十月二十五日、旧暦八月十五日の放生会の祭祀行事が移行したもので神社創始日にあたる。以前は、身の丈約八メートルある弥五郎さまを曳き浜下りを行っていたが、町並み事情が変わり困難になったが、平成元年に渡御用の弥五郎さまをつくり、浜下りを行うようになった。弥五郎さま本体は鳥居正面に立てられ、弥五郎さまの股を歳の数ほど潜ると無病息災の御神徳があると伝えられている。
田ノ上八幡神社は、高さ8㍍と5㍍の人形2体も所有されていますが、
常時拝見できるのは、今回奉納いただいた2㍍の人形です。
これからは終日、小っちゃい弥五郎様がお迎えしてくれるそうです。
しかしながら股を潜るのは、お控えください(笑)・・・