宮崎神青ブログ - 至福の一服
私が会長に就任した際に、とある方から少し高級なタバコをいただいた。
とは言っても、決して何千円もする代物ではない。
貧乏性な私はちびりちびりと吸っていたのだが、ある日
「最後の1本は会長の任を終えた時に吸おう」
何故か心にそう決めたのだ。
そしていよいよ任期最終日。
「総会挨拶」
私が当会第二十二代会長を仰せつかってより早二年。
御陰をもちまして任期最終日にあたる本日を、清々しく迎えることができました。
生まれながらの非才はおおうべくもなく、皆様方には多々ご迷惑をおかけし、
さらには当会の名を汚すことはあったかもしれませんが、次期へ襷を繋げるという最低限の
役目を果たすことができますこと、誠に有難く衷心より厚く御礼申し上げます。
神道青年会とは不思議な組織であります。
と、申しますのはこの二年間、会員の中で最も多くの時間を共に過ごしたであろう事務局長で
さえ、その日数は全体の一割程。役員ですらせいぜい月に一度二度、一般会員となると、
皆無に等しく顔を合わすことの方が珍しい組織であります。
では何故に戦後の混迷期にあって互いに連携して道を開かんとして結成され、再来年には
創立七十周年を迎える当会が、先輩諸賢の弛まぬ努力は言うまでもありませんが、何故に
現在まで継承されてきたのでしょうか。
昨年、「大東亜戦争終結七十年誌、守ルベキモノ、伝ユベキモノ」の発刊を致しました。
発刊にあたりましては、多くの会員が日々忙しい中におきまして、各地区慰霊碑に足を運び
調査、撮影、さらには地区遺族会関係者に直接話を聞いていただいたという発刊に至るまでの
過程こそが結果以上に非常に重要なものであったと考えたわけでございます。
ああ、なるほど。当会のつながりというのは、
同じ時間をどれくらい過ごしたかではなく、
時間軸の同異に拘わらず同じ目的を持った時間をどれくらい過ごしたか、
このことに尽きると思う次第でございます。
さらに、それを続けること。
私の大好きなサッカー選手、五十歳を迎えた今もなお、現役でプレーを続けるキング・カズこと
三浦知良選手。カズの代名詞の一つに挙げられるのが、カズダンス。このカズダンス、ただ
踊るだけはありません。ゴールを決めないと踊れないのです。
肉体的な衰えをものともせず、ひたすらにチームを勝利に導くゴールを追い続け、懸命に取り
組まれる姿に皆が感銘を受け、当初は、チャラチャラしている等の批判もあったダンスも、
会場が一体となった東日本大震災復興チャリティマッチでゴールを決めた後のダンスに
象徴されるように、今では多くの方に受け入れられ、
「何でもないことなのだが、続けてきて良かった」と仰っていました。
何においてもそうですが、目的や信念を持って事にあたり、それを継続することが非常に大切で
あり、それが如何に難しいことなのかと、この二年間で強く感じました。
さぁいよいよ会長以下役員も一新され、新しい二年間の始まりです。
卒会される方、新しく入会する方、役員になられる方、退く方、それぞれ立場は異なります。
最後までカズの話で申し訳ないのですが、一九九三年ドーハの悲劇を経験し、一九九八年
フランスワールド杯出場が叶うも、直前での代表落選。カズは自問自答したそうです。
「お前はここからどう生きるのか」
思えば「あの日からがサッカー人生の始まりだったかもしれない」と後に答えています。
私自身もそうですが、会員の皆様も、もしかしたら本当の意味での神主人生は未だ始まって
いないのかもしれません。各々が後に振り返って、あの時から始まったのだと実感できる年と
なりますよう、目的を持って毎日を大切にお過ごしいただければと思います。
最後になりますが、先ずは健康に十分ご留意いただき、皆様の今後の益々のご活躍を
心からご祈念申し上げます。
みんな!がんばれよ!
早口、小声、さらに滑舌もあまり良くない、最悪の三拍子が揃った私にとって、
挨拶という最難関をどうにか突破。
そして、予定されていた議案も滞りなく承認され、ついにお役御免となったのである。
引き続き、場所を変えて新体制主導のもと卒会者、新入会員を交えての懇親会も
盛大のうちに終了し、後輩と談笑しながら徒歩で家路へついた。
後輩と別れ、自宅の前であのタバコに火を付けた。
大きく吸い込み、我が家の庭で夜空を元気に泳ぐ鯉のぼりを見上げながら、
大きく煙を吐き出した。
ゴホゴホゴホッ???
やはりまだまだ頑張りが足りなかったか、もしくはただ単に飲み過ぎたか。
思い描いていた至福の一服とはいかなった・・・