宮崎神青ブログ - 教えて神主さん!カテゴリのエントリ
ちょいと時期が遅れましたが、今日はお月さまのお話。
去る9月19日は中秋の名月でしたね。
中秋の名月とは旧暦の8月15日に見られる月。
本年の中秋の名月は、平成23年、24年に続き満月。
しかし毎年必ず満月というわけではなく、次に中秋の名月で満月が見られるのは
8年後になるそうです。
東京オリンピックの翌年。
私もその頃は4?歳です・・・
ところで、月の神様ってご存知ですか???
古来より日本人はありとあらゆるものに神さまが宿ると考えています。
月も例外ではありません。
月の神様は月讀命(つくよみのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、黄泉(よみ)の国より戻られて、罪と穢れを祓う為に
禊(みそぎ)をされました。
この際に多くの神様がお生まれになられましたが、禊の最後に
左目を洗われた際に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)
右目を洗われた際に、月讀命(つくよみのみこと)
鼻を洗われた際に、 須佐之男命(すさのをのみこと)
がお生まれになられ、
天照大御神は、高天の原(たかまのはら)
月讀命は、夜の食国(よるのおすくに)
須佐之男命は、海原(うなばら)
をお治めになるようにと、ご委任にされています。
天照大御神と月讀命。
つまりは太陽と月。
月の灯りは太陽の光があってのもの。
また人が生まれるのは満潮の時、亡くなるのは引き潮の時だと言われます。
月讀命と須佐之男命。
つまりは月と海原。
潮の満ち引きに関係するのは、月の満ち欠け。
もしかしたら、天照大御神の弟2人は、人の生死を司る神様なのかもしれませんね・・・
月と人との神秘的な繋がり。
今宵あなたは月を見上げて何を思われますか???
ワォ----ン!
(オオカミ男)
「神道にお盆はないっちゃろ?」
なんて質問をされることがありますが。
いやいや何をおっしゃる・・・
神道にもお盆はあります!
仏教の盂蘭盆会からきたものだと考えられているようですが、
仏教渡来以前からの日本の伝統的な先祖まつりの行事と考えられます。
意味はもちろんご先祖さまをお祀りすることです。
昔は旧暦7月15日(満月)の日を中心としていましたが、
明治6年に太陽暦に変わってからは、新暦の7月15日に行う地方と、
月遅れの8月15日に行う地方があります。
ご先祖さまが、家の前で焚く「迎え火」を目印に帰ってこられ、「送り火」によって帰られます。
現在ではお盆休み!などと言われ、大型連休のような意味で捉えられている方も
いらっしゃるでしょうが、ご先祖さまが家族と一緒に過ごされる大切な時期なのです。
小さい頃から
「お盆に泳ぎに行ったら引きずり込まれるぞ!」
などとよく言われていました。
だから私はお盆の時期に泳ぎに行ったことは、一度たりともありません・・・
このようなお盆にまつわる言葉は多数あり、その意味も諸説あると思いますが
結局は「ご先祖さまがお帰りになっているので、黙って家にいなさい」
ということになるのでしょうか?
私個人の話になりますが、2月に大好きなばあちゃんが亡くなり、今年は初盆。
ばあちゃんは大阪に住んでおり、小さい頃より母に連れられ、夏休みには毎年のように
遊びに行ってました。
小学生も高学年になると、覚えて入る人は覚えているでしょうが
ANAの「ジュニアパイロット」でガキンチョ男兄弟3人のみで行っていました。
胸につけてくれるバッチが大変嬉しかったものです。
大阪と言っても和歌山県との県境の山の中・・・
地元の駅よりバス、電車を乗り継ぎ約2時間をかけてばあちゃんが伊丹空港まで
迎えにきてくれていました。
その後進学につれ、夏休みは勉強?、部活、遊びやらなんやら。
社会人になると更に足は遠のくと思いつつも、関西への出張の合間にちょくちょく会いに
いったものです。
またばあちゃんも宮崎まで遊びにきてくれていたので、
特に最近ばあちゃんにそっくりになってきた娘、
年を重ねるごとに肥えてきた生意気な孫、
男4人、女2人、まだ腹の中にいた1人のかわいらしい曾孫の
成長はちゃんと見守ってくれていたと思います。
ばあちゃんの死は、これまでの私の人生の中で最も身近な人の死でした。
生前の絆が深ければ深いほど悲しみは大きいものですが、死後も続くこの絆は
より深いものとなります。
今の自分があるのは、間違いなく父母、祖父母をはじめ多くのご先祖さまのおかげ。
そのようなことを今まで以上に強く感じたお盆となりました。
皆様はどのようなお盆を過ごされましたか?
お参りがまだの方は、是非ご先祖さまに手を合わせていただき、先ずは感謝の気持ちを
お伝え下さい・・・
夏によくされる質問があります。
「神主さん、その恰好暑くないんですか???」
はい!暑いです・・・
世の中にはクールビズというものがありますが、神主さんにはあまり関係ありません
(T_T)
一応は夏用の装束、白衣、襦袢、袴もあります。
普段に身につけるものは
①下着
②襦袢(じゅばん)
③白衣(はくい)
④帯(おび) ※これがなかなかの曲者です・・・
⑤袴(はかま)
⑥足袋(たび)
さらに祭典や祈願となると
①装束(しょうぞく)
②烏帽子(えぼし)または冠(かんむり)
が追加されます。
しかし!そんな神主さんにも暑さ対策のグッズがあるんです。
①籐(とう)の腕抜き
これを腕にはめると風通しも良くなり、涼しくなる!そうです。
②汗取りシート
神主さんがかぶる烏帽子のおでこの部分に装着します。
他にもあるのかもしれませんが、思い当たるところでこれぐらいです。
あと装束の色で、参拝者の方に与える印象がだいぶ違うものだと最近感じました。
理想としては、どんなに暑くても涼しい顔をして奉仕することなんですが、
いかんせん私は汗かきですので、非常に難しいです。
しかし神様に対するにあたって、正装であることは当然であり、これは神主に限らず
参拝者の方も同じことなのです。
たまに祈願を受けられる方で、Tシャツ、短パン、サンダルの方がおられます。
う~ん・・・
自分より目上の方に挨拶等に出向く時、そのような恰好で行かれますか?
簡単に言えばそういうことです!
日々のお参りなど神社に参拝される時は常にとは言いませんが、せめてご社殿にて
祈願を受けられる際には、是非ともお気を付け下さい。
まだまだ暑い日が続きますが、ご健康に十分にご留意されまして、日々お健やかに
お過ごしになられますようお祈り申し上げます。
(汗かき男)
6月も半ば。
雨雨雨も気が滅入りますが、蒸し暑~い晴れの日もいかがなものかと思う
今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
気温もぐんぐん上がり、いよいよ”夏っ”といった感じですね。
日本の夏といえば、夏祭り!
今回は、六月灯(ろくがつとう)をご紹介致したいと思います。
六月灯は旧薩摩藩領内の夏祭行事のことです。
7月に入ると都城市・北諸地区の各所で行われており、神社へ灯ろうを奉献する光景が
一般的であります。
灯ろうには保育園・小学校の児童等が武者絵と思い思いの絵を描き、願い事を書いて
奉納されます。
六月灯の由来は一説には、島津光久(二十一代)の時代、
鹿児島の城山の裏にあった上山寺の観音堂を修造し、この竣工した6月18日に
光久公が灯籠を寄進し、また家臣もこれに習って灯籠を寄進したということ。
また、一説には島津忠久(初代)が
鎌倉で逝去したのが旧6月18日で、「御忌日」と称して島津家及びその家臣達が、
供養した事から起こったとも言われるそうです。
盆、正月しか休む事の出来なかった百姓達も、六月灯だけは公然と休む事が出来た。
年間農作業の中で、最も重要な「田植え」後の暑気きびしい時期に、朝から休む一手段
として日を設定したことで、一部の階級や格式ある社寺だけでなく、小祠でも六月灯を
行うこととなったそうです。
お祭りは、氏子地域住民の健康・安全、そして田植えを終えたばかりの稲の豊作・
病害虫の駆除を願って行われ、各神社にて奉納行事が予定されています。
お誘い合わせの上、ぜひお参りされてください!
※各神社六月灯のご案内
○御年神社(三股町)
平成25年7月7日(日) 午後5時30分 ~ 午後9時
○狭野神社(都城市)
平成25年7月15日(月・祝日)
午後5時~祭典
午後6時30分から9時 六月灯(演芸)
○豊幡神社(都城市)
平成25年7月20日(土) 午後5時~午後8時
○諏訪神社(都城市)
平成25年7月28日(日) 午後6時~午後9時
本日19時から放送された
「もてナイ!」
見ました???
TBSで放送されている「もてもてナインティナイン」のことです。
今日は伊勢神宮の式年遷宮についての内容でした!
式年遷宮とは20年に一度の国をあげての大祭。
平成17年から始まった第六十二回式年遷宮の諸祭と準備は着々と進められ、
いよいよ今秋、「遷御の儀」(せんぎょのぎ)を迎えます。
分かりやすく言うと、神様のお住まいのお引っ越しです。(※詳細はこちら)
遷宮といえば、一般的には殿舎の損傷がはなはだしいか、また災害等に遭ったとき殿舎を
建て替えるものと考えがちです。
しかし神宮の式年遷宮はそれらとは異なり二十年に一つの区切りとして定期的に行われます。
遷御の日時を天皇陛下より
内宮10月2日、外宮10月5日と御治定(ごじじょう)賜りました。
遷御の儀は、天皇陛下が決められるのですよ!
ちなみに出雲大社の遷宮は60年に一度。
平成25年5月10日に遷座祭が斎行されます。
遷宮は新しく殿舎を建て替え、神様にお遷りいただくことに深い祈りがこめられています。
これを機会に日本の総氏神さまである「天照皇大御神」、伊勢神宮のことについて
関心を持っていただければと思います。
神事の一切が滞りなく斎行されますことをお祈り申し上げます。
また神青協より
「神主さんが教えたい伊勢神宮」という電子書籍も出されています。
神宮初心者から上級者まで楽しめるものを目指し、神職ならではの視点で神宮・遷宮の
魅力を考えたそうです。
ガイドブックとは一味違う、クイズや紙芝居など様々なコンテンツを盛り込み遷宮・伊勢が
多角的に紹介されています。
書籍を通じて今まで知らなかった新たな発見があるかも!?
是非ご覧になられて下さい<(_ _)>
去る4月10日宮崎県護国神社にて例大祭が斎行されました。
境内には多くの遺族、参列者の方々
「みたま慰めの舞」奉奏
本年より護国神社前にて行われた一般財団法人宮崎県遺族連合会主催による宮崎県
遺族大会までの一切を滞りなく終えられました。
さて、例年通り当日は当会会員も奉仕させていただきました。
他の神社の祭典の手伝いをすることを助勤(じょきん)と言います。
祭典の奉仕だけでなく、裏方と言ってなんですが受付、準備等々も行います。
祭典前には本殿の準備、また習礼(しゅらい)を行います。
習礼って何のことでしょう???
なんとなんとリハーサルのことなんです。
あまりご存知ないと思いますが、祭典にもリハーサルがあるんです!
祭典を滞りなく斎行する上で欠かせないことなんですよ。
準備が終わると、続いて着装を始めます。
装束には1人で着付けしたり、手伝いを必要とするものがあります。
この着装の手伝いを行う人のことを、衣紋者(えもんじゃ)と言います。
※衣紋者は正式には2人です・・・
できあがり!
神前に向かう上で、綺麗に着装するのは当然のことです。
列立(れつりゅう=整列のこと)前には手と口を清める手水を行います。
列立。もちろん並ぶ順番も決まっています。
そして本殿へと向かい祭典の開始となるのです。
以上、簡単ではありますがこのような形となります。
祭典によっては、
毎日のこと、
毎月のこと、
毎年のこと、
何十年に一度のこと、
一度きりのこと、
となりますが、祭典に対する気持ちはどれも同じです。
お祭りを続けていくことは、神職にとって最も重要な使命であります。
もちろん神職だけで成り立つものではなく、氏子崇敬者をはじめ関係各位のご協力は
欠かすことのできないものです。
お近くの神社でお祭り等ございましたら、少し足を運んでいただくだけでも結構ですので、
お力添えいただければ幸甚に存じます。
(助勤者)
皆さんは、神主さんのことを何と呼ばれますか???
かんぬしさん、しんかんさん等々様々ですが、宮司(ぐうじ)さんと呼ばれる方がいらっしゃいます。
人によっては間違いではないのですが、宮司とは神職の職階の1つで、その神社の長のことをいいます。
つまりは1社に1人。簡単に言えば、宮司さんとは一般の会社でいう社長さんのことなんです。
一般的に宮司の他には
権宮司(ごんぐうじ)
禰宜(ねぎ)
権禰宜(ごんねぎ)
出仕(しゅっし)などがあります。
「権」には仮という意味があり、仮の宮司、仮の禰宜といった意味合いです。
「禰宜」とは、神の心を安んじ和め、その加護を願う「ねぐ」に由来するそうです。
「出仕」とは、「出仕は神職にあらず」という言葉もありますように、神職の見習いとでも考えていただければ結構かと思います。
ちなみに伊勢の神宮では、大宮司(だいぐうじ)、少宮司(しょうぐうじ)という職階もございます。
宮崎県には約650の神社があり、神職は約450名。
そのうちの約200名は宮司さんになります。
ほとんどの神主さんは権禰宜以上になり、また出仕は白い袴をはいていることが多いようです。
しかしただ単に白い袴をはいているから出仕と言うわけではありません。
お祭りの種類によって、白い袴をはく場合もありますのでご注意下さい!
つまりは何と呼ぶかという話ですが、どうなんでしょうね???
結局はその人の名前で呼ぶのが一番!
当たり前すぎてすみません<(_ _)>
名前が分からない場合は、神主さんと呼ぶのが無難と思われます。
宮司ではないのに、宮司と呼ばれることに関しては違和感がありますので、その点だけはお気を付け下さい!
(ごんねぎ)
お祭りの様子。皆が出仕というわけではありませんよ!
お祭りの種類によって袴が変わるというものです。
上の人から順番にと、並ぶ順番も決まっております。
「きねんさい」と読みます。
毎年2月17日に全国各地の神社で斎行されるお祭りのことです。
古くより我が国は、「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらながいほあきのみずのほくに)」と云われます。
豊葦原 = 豊に葦が生い茂る原
千五百秋= 限りなく長い年月=永遠
瑞穂国 = 瑞々しい稲穂が実る国ということで、日本国の美称です。
祈年祭は「としごひのみまつり」ともいい、年頭にあたり神々に五穀豊穣を祈ります。
祈年の「年」は、稲の意味で、お米がたくさんとれることが国の平安につながり、それが人々の実り多き暮らしに結びつくことから、新嘗祭とともに重大なお祭りとされてきました。
なぜそんなにお米が大事なの?
なぜ神社ではまずお米をお供えするの?と思う方もいらっしゃるでしょう。
天孫降臨に際し、天照大神より御子天忍穂耳尊(あめのおしほみみのこと)に与えられた「斎庭の稲穂の神勅」(ゆにわのいなほのしんちょく)という御言葉をみれば分かります。
吾(あ)が高天原に御(きこ)しめす斎庭の稲穂を以て、亦吾が児(みこ)に御(まかせ)せまつるべし。
高天原で大神自らの手により神聖な神田で作られた稲穂を、天孫自らが地上にもたらし広めなさい。また、天孫の子孫である天皇も同様にしなさいと言われています。
天皇陛下はこの神勅に基づき現在に至るまで手づから稲を育てられ、収穫された稲で神饌をはじめとする御供物を整えられて祭りを行われます。
このようなことから神社のお祭りの基本は「稲」に関係しています。
当会の封筒にも「米作りは我が国の基」と印字されているように、日本人とお米は非常に関わりが深いものなのです。
秋の新嘗祭には、お米をはじめとして御供物を横山の如くお供えして、厳しく美はしく奉仕できますように、諸産業、皇室の安泰、国家の繁栄、国民の幸福を共に祈りましょう。
北方領土の日?
いつか分かりますか?
むしろそんな日があったの?
なんて声が聞こえてきそうですが・・・
北方領土の日は「2月7日」です。
「北方領土の日」をいつにするかについては、ソ連が択捉島への侵略を開始した8月28日などいくつかの候補があったそうですが、最終的には1855年(安政元年)に江戸幕府とロシア(当時は帝政ロシア)との間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれた2月7日に決まったそうです。
北方領土は北海道根室沖に連なる歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の4つの島で、父祖伝来の地として受け継いできた我が国固有の領土です。
第二次世界大戦終戦間近の1945年8月9日、ソ連は1941年に署名され、当時有効であった中立条約を無視して対日参戦しました。そして8月14日に日本がポツダム宣言を受諾し降伏の意図を明確に表明した後の8月18日ソ連軍は、千島列島への攻撃を開始し、同24日シュムシュ島、同26日マツア島、同31日ウルップ島、同28日択捉島、9月1日から4日の間に国後島、色丹島及び歯舞群島をそれぞれ武装解除し、遅くとも9月5日までに千島列島のみならず、北方領土をも占領したとされています。
以来67年が過ぎた今でも、ロシアによる不法占拠が続いています。
去る2月5,6日には、北方領土返還要求運動県内キャラバンが実施され当会会員も参加させていただきました。(その様子は、また後日のブログで紹介致します。)
「○○くん今日はどこに行ったん?」
「北方領土返還要求のキャラバン隊に行ったみたいよ」
「なんでそんなの行くん?」
「北方領土は日本のものやしよ・・・」
とある会員の家では、こんな会話があったそうです。
この会話を聞いて何を思いますか?
北方領土の他にも竹島、尖閣諸島と領土に関する問題はあります。
あなたは「領土」についてどう考えますか・・・?
「きげんさい」と読みます。
我が国の建国を祝うお祭りで、2月11日の建国記念の日に全国の神社で斎行されます。
姉妹神青を結びました奈良県の橿原神宮では、例祭(神社で最も重要な祭典)として斎行されます。
そもそも日本の建国っていつ???
日本には、元号、西暦(西紀)、紀元(皇紀)の3つの紀年法があります。
この3つの中で、「紀元」は殆どの方がご存知ないのではないでしょうか?
これは「日本書紀」の記述を基にしたものです。
宮崎神宮のご祭神・神武天皇は15歳の時に皇太子になられ、宮崎に都を定められました。
しかし、この国の人々が豊かに暮らせるようにするには、四方を青い山にかこまれた大和
(奈良県)に都をおくのがよいと思われ、45歳の時に宮崎をおたちになり、大和へ向けて
すすまれました。そして、宮崎をおたちになって7年目の正月朔日(現在の2月11日)に
畝傍の橿原の地に宮殿を建て第一代の天皇にご即位されました。
この年を”紀元元年”(建国記念日)とし、平成29年は紀元2677年にあたります。
神武天皇御即位の御聖勅(宮崎神宮蔵)
紀元表記が見直されたのは、明治以降のことです。
それは「神武創業ノ精神ニ原キ」との明治維新の原点回帰を見れば当然のことと思われます。
先に紹介しました「橿原神宮」は紀元2550年(明治23年)に創建。
また紀元2600年(昭和15年)は、国史上未だかつてない程に「紀元」が注目されました。
全国規模で奉祝事業が展開され、宮崎県にあっては、八紘之基柱(平和の塔)の建設や、
上代日向研究所の設立、神武天皇の聖蹟保存顕彰などが実施されました。
ところがその後、終戦による占領軍の神道弱体化を意図した「神道指令」(昭和21年12月
15日発令)や、西洋文化の流入・国際化の歩みの中で「紀元」は過去の遺物として忘れられ
つつあります。
世界にも、国の文化や歴史に根ざした様々な「紀元」が存在しています。
各々の国民が独自の紀元を尊重して、それを意識的に護持していきたいもです。
現在の日本人が忘れつつある「国を愛する心」を養うためにも、建国をしのぶことはとても
大切なことと考えます。
建国記念の日には、是非ともお近くの神社へお参りされて下さい。
橿原のとほつみおやの宮柱 たてそめしより国はうごかず (明治天皇御製)
紀元2677年(平成29年)
紀元2676年(平成28年)
紀元2675年(平成27年)
紀元2674年(平成26年)
紀元2673年(平成25年)