宮崎神青ブログ - 最果てのウルマの島
ウルマとは沖縄の方言で珊瑚礁のことである。
北緯24度3分33秒 東経123度46分57秒
沖縄県の石垣島より南へ船で約1時間の所に、日本最南端の有人島「波照間島」がある。
去る平成25年10月10日、
神道青年全国協議会(以下神青協)創立65周年奉告祭が波照間島にて斎行された。
神青協では、昭和33年より沖縄県の本土復帰運動に取り組み、昭和47年には復帰記念として
全国の名石を持ち寄り、波照間島に波照間の碑、国旗掲揚塔、聖寿奉祝の碑の建立、
更に周年毎には奉告祭を斎行している。
前日に宮崎空港から那覇空港を経由し、石垣島へと降り立った。
宮崎→那覇便はソラシドエア。
機内の飲料で依頼したスープのダシが、隣に座った飛行機マニアの当会相談役のうんちくによると、
なんと「トビウオ」らしく、これがなんとも美味。
搭乗された方は是非一度飲んでいただきたい。
さて、当日。
午前8時半の船で石垣港離島ターミナルから波照間島へ。意外と乗客が多い・・・
到着後、祭場へバスにて移動し、慌ただしく準備となった。
午前11時。全国より約50名の会員が集い祭典が開始され、私は伶人(龍笛)として
奉仕させていただいた。
この日は季節は秋といっても全国的に暑かったようで、この島も勿論非常に暑かった・・・
当然と言えば当然、残念と言えば残念ながら祭典中の写真撮影は禁止ということで、祭典の
写真は一枚もないが、厳粛裡に斎行された。
この島で祭典を奉仕できたことは、またとないであろう貴重な体験となり、また先輩諸賢が
培われてきた思いを感じ、益々今後の活動に邁進する思いを新にした。
その後は島内視察。
現在は277世帯、531の人が住んでおり、その景色は古き良き日本の風景がそのまま
残されているようであった。
学童慰霊碑にて、花束を捧げ会員一同拝礼。
のどかな島の景色を見ていると、戦場なった事が信じられなかった。
その後、夕刻の船で石垣島へ帰り、懇親会。
久しぶりに会う方、初めて会う方と交流を深め石垣島の夜は更けていった。
さて翌日。
かなり贅沢な昼食として石垣牛を食し、さとうきび畑が広がる大地をアクセルを踏んでは離し、またやたらポンピングブレーキの多いタクシーにイライラしながら揺られ、石垣空港へと向かった。
石垣空港14:45発、那覇空港15:40着。
那覇空港16:15発、宮崎空港17:35着。
乗り継ぎの待ち時間も少なく、完璧な予定。
しかし搭乗手続き中に、空港の方より思いもかけない言葉が。
「機材が遅れているために、宮崎行への飛行機に乗り継ぎはできません」
鹿児島空港行きの飛行機へ乗り換えを余儀なくされた。
旅の最後に、最近流行のあの言葉を初めて使うこととなった。
じぇじぇじぇ・・・
(甘ちゃん)