宮崎神青ブログ - 自覚せよ
去る3月2日、大東亜戦争終結七十年事業として、県内の護国神社、慰霊碑を巡拝致しました。
趣旨
平成二十七年は大東亜戦争終結七十年の節目にあたり、全国において英霊顕彰事業が執り行われた。当会においても、県内護国神社並びに戦没者忠霊塔慰霊碑に、会員各々が現地に足を運び調査活動を行い、一冊の本にして発刊すべく準備を進めている。
この調査により、我々が住む地域からも家族と故郷を護るために戦地へ赴き、散華した御霊が数多おられることを改めて認識することとなった。また健在の遺族より、今なお忘れられない当時の記憶を聞くことができたのは、非常に貴重な経験となった。
しかしながら、終戦より七十年もの長き年月が流れた現在においては、遺族は減少し、戦争を知らない世代が大半を占め、御霊への慰霊と顕彰の念を継承することが困難になっている。今回の調査で地区慰霊祭の減少、中断、慰霊碑統合等の現状も垣間見ることができたのも事実である。
もとより神職の本分は祈りである。地区会員が一同に集い、巡拝を行うことで神職として祈ることの意義を再認識していただきたい。そしてさらには、遺族をはじめ地域住民の英霊に対する永遠の祈りに繋がることを願い、本事業を開催する。
当日は全員揃っての巡拝は難しいものがありますので、各地区において地区会員で
地区の慰霊碑等を巡拝していただきました。
県北地区 10ヶ所
児湯地区 10ヶ所
宮崎地区 25ヶ所
都城地区 18ヶ所
南那珂地区 18ヶ所
県内全慰霊碑とはいきませんでしたが、合計で81ヶ所をお参りさせていただきました。
日程は各地区に一任。早い地区は午前7時からの巡拝となったようです。
宮崎地区の昼食は、全員日の丸弁当。当然おかず無し!
普段は一口で食べてしまう梅干しも、この日ばかりはちびりちびりといただきました。
おそらく戦時中のお米は、今ほど美味しくなかったはず。
むしろ、お米すら食することが少なかったと思われます。
冷たいお米を噛みしめながら、改めて考えさせられる昼食となりました。
そして各地区巡拝を終え、午後6時に宮崎県護国神社に集合。
皆で御霊安かれと祈りを捧げました。
とある慰霊碑前の広場でサッカーをしている高校生に出会いました。
高校生達は、白衣で歩く私たちを見て「邪魔にならないですか?」と気遣ってくれました。
「大丈夫ですよ~」と言いながら、祈りを終えると、帰り際に高校生達が
「何の職業ですか?」と聞いてきました。
「どっからどう見ても神主やろ~!」と答えると、
「ふ~ん、そういう事をするのが仕事なんですね~」と不思議そうにしていました。
確かに仕事だ。
端から見れば、神主とは普段何をしているのか分かりづらい職業であります。
本事業の趣旨にもあるように、我々神職の本分は祈ることなのです。
戦時中においても神社の祭は執り行われていました。
空襲等の影響で予定されていた時間とは変わっても、欠かさず祭は行われており
言わば命がけで祈っていたのであります。
終戦当日のこんな話を聞いたことがあります。
宮司は県より終戦の事実を知らされると全職員を集め
「自分らが神職であることを自覚せよ、また、今後どのようにして大神さまの御心に
添い奉るかを各々充分に考へてその結論を報告せよ」
との話であります。
当時の神職がどのような答えを出したかは分かりませんが、この質問に答えることができる
青年神職が果たしてどれほどいるのであろうか・・・
これまでの、さらにはこれから先の奉仕を通して、その答えを見つけ出していただければと
思います。