宮崎神青ブログ - 人生儀礼の重み

人生儀礼の重み

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執筆 : 
office 2013-11-17 20:12

実家神社の夏祭奉仕を終えた翌日の平成25年7月22日、

 

「おんぎゃあ、おんぎゃあ」

 

男!、男!!、男!!!。

 

三男坊を授かった。

当たり前のことだが、子供の誕生は何度経験しても非常に嬉しいものだ。

長男、次男も大喜び。

お陰様で3人とも元気に育ち、以前にもまして、ぎゃーぎゃー、わーわーと、

大変賑やかな日々を過ごしている。

 

子供の出生後に行う神事が初宮詣。

意味は言うまでもなく、初めてお宮に詣ること。

神様に出生を感謝し健やかな成長を祈るもので、地方によって多少の差異はあるが、

生後約30日を目安に行うのが慣わしであり、我が家は8月下旬を予定していた。

 

ところが8月13日、嫁から電話。

 

「三男坊が救急車で運ばれた」

 

「は・・・?」

 

前日から母乳をあまり口にせず、体調が少し悪そうだというのは聞いていたが、

突然のことに我が耳を疑った。

 

嫁は実家に帰省中であった。

顔が青白くなり、ぐったりしている三男坊を最寄りの病院まで

嫁の母親が「この子は絶対に死なせない」と強く思い、運転。

その後、最寄りの病院から大きな病院への搬送となったそうだ。

 

慌てて病院へと駆けつけると、救急車はまだ到着していなかった。

救急車が着くであろう場所で待機していると、医師や看護士が5,6名ほど出てきた。

余りに大勢出てこられると、そんなに危ないのかと逆に心配になった。

10分ほど待つと、遠くから「ピーポー、ピーポー」

救急車から小さな小さな息子が医師に抱えられ、処置室へと入っていった。

 

数分後。

「とりあえずは安心な状態になりました」

「しかし様子を見て、自分で呼吸できなければ人工呼吸器を付けます」 

 

数十分後。

「自呼吸が弱いようですので人工呼吸器を付けます。よろしいですか?」

よろしいも何も一刻も早く付けてあげてくれ。

 

 

後の説明によるとウィルス性の感染症で、痰が喉に詰まり呼吸不全となっていたそうで、

入院を余儀なくされたが、何はともあれ幸いにも一命を取り留めることができた。

 

今年の2月に他界した大阪の祖母が、三途の川の向こう岸より

「まだまだこっちに来たらあかんでぇ~。」

「お父さんお母さんの所に帰りや~。」

この世で出会うことが叶わなかった曾孫を、必死に追い返してくれたのではないか。

私はそう信じている。

ばあちゃん。ほんまおおきに。

 

入院後は毎日検査であったが、色々な数値も日々正常になり、約一週間ほどで

無事に退院できた。

昼夜を問わずお世話していただいた担当の医師、看護士の方々に、ただただ

心から感謝するばかりです。本当にありがとうございました。

 

 

あれから約2ヶ月・・・

先日、ようやく初宮詣をすることができた。

11月ということで、長男5歳、次男3歳の七五三詣も一緒に。

 

祝詞で読み上げられる3人の息子の名前を聞いて鳥肌がたった。

どこかで何の心配もなく、普通に健康に育つものだと慢心していた。

今回のような経験はあまりしたくないものだが、私の今後の神職としての人生に

大きな影響を与える出来事であることは間違いない。

 

 

人生の節目に行う人生儀礼のお祭り。

イベントではない、大切なことであること、意味も分かっている。

しかし医療をはじめ様々な技術が発達した今日においては、お祭り対する

感謝の思いが薄れているのではないかと思うことがある。

その本質を伝えることは、神職の大切な役目であることを改めて認識した。

 

神様、ご先祖様に今の自分があることに感謝し、何よりも健康に息子3人が若竹の如く、

すくすくと成長すること願うばかりである。

 

でも、少しはお父さんお母さんの言うこともちゃんと聞いてね・・・

(36歳男3兄弟しゃちんぼ)

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