宮崎神青ブログ - 知っちょる?宮崎の祭㉕
◯苗代田祭(ベブがハホ)◯
二月十八日に行われる五穀豊穣と子孫繁栄を願う神事です。
先づ春の訪れを喜び、種まきの道理を説き、水利を願う三種の神歌が奏上されます。
御神田に見立てた斎庭を造り、その中で親方の「太郎次」と田人衆によって、方言を交えた即興の田遊びの演劇が行われます。大げさな身振りで転げ回りながら田掻きを行い、世情風刺を交えたユーモラスなやり取りが交わされ、観客の笑いを誘います。
満を持して木彫りの牛(べブ)が「牛方」に引かれて登場すると、神田を大きく回って田を掻きます。ここが一つの見どころとなっており、よくテレビ等で紹介される場面です。
その後、太郎次の「ハホ―(母)」との掛け声で奥方を呼ぶと、臨月を迎えた身重の「ハホ」役が女面を付けた姿で登場します。ハホは頭に乗せた種もみの入った折敷を宮司に渡すと、宮司が種もみを神田に撒き、それに続いて田人たちも、神田を周回しながら「庭立の歌」を歌います。歌には子孫繁栄の願いが込められ、神事は納められます。
由来:べブは牛、ハホは妊婦を表す方言で、地元ではこの神事を「べブがハホ」と呼んでいます。
五百年前から続いており、方言を用いた問答で苗代を整える道理や田作りの要領を語り聞かせながら行う田遊び神事です。
五月の御田植祭、十二月の狭野神楽と続く年中行事の始まりで、御田植までの苗代の成長や水利の安全を願います。
以前は実際の御神田で神事を行っており、牛も氏子農家からおとなしい牛を連れてきていたようです。いつからか木彫りの牛が使われるようになりました。江戸時代の書物に、「噴火によって木彫りの牛が焼けたので作り直した」とあるように木彫りの牛も歴史が長いようです。現在の牛は昭和初期の作成で、先代の江戸末期の牛も保管されています。
時期:二月二十八日
神社:狭野神社 (西諸県郡高原町鎮座)
写真②
写真③
写真④