宮崎神青ブログ - 行ってきます!
本年は大東亜戦争終結より七十年の節目にあたります。
畏くも天皇皇后両陛下におかせられましては、去る四月八日から二日間の日程で帛琉共和国を公式訪問されました。ご訪問に際し「太平洋に浮かぶ美しい島々で、悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と述べられ、全ての戦没者の御霊を慰められ平和を祈られました。
日本から三千キロ余り離れた帛琉共和国は、太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国であります。戦前約三十年に亘り日本の統治下であった為、多くの日本人が住んでおり、私の祖父もその一人にあたります。宮崎神宮旧社報「美あかし」を紐解くと、昭和十八年六月一日発刊の記事に、「新に官幣大社鵜戸神宮主典を命ぜられた氏は宮崎市の社家に出生、鵜戸神宮宮崎神宮の出仕より先年新に御鎭座の官幣大社南洋神社出仕に轉じ、南方第一戦に近き社頭に精勵奉仕今春退職歸鄕中であった」とあることからも、その事を伺い知ることができます。
官幣大社南洋神社は、南洋群島総鎮守として昭和十五年、紀元二千六百年記念事業の一環として帛琉共和国コロール島に創建され、天照大御神をお祀りし、敷地は九六、二四八坪にも及ぶ壮大なものでありました。日本人はもとより現地住民にも篤く崇敬され、また南方の戦地に赴く部隊、兵士が武運長久の最期の祈りを捧げた神社でしたが、本殿は戦後(昭和二十年九月十一日)に米国の了解の下、日本側の手で奉焼、その後平成九年に小さな祠として再建され現在に至ります。
本年六月には、神道青年全国協議会主催の海外慰霊祭が帛琉共和国にて斎行されます。参加が叶うのであれば、聞くことのできなかった、日本と歴史を共有した国において、祖父が如何なる思いで如何なる日々を過ごしたのか、空気、歴史、文化、人に触れ、その一端でも感じ取りたいものであります。
祖父が帰幽してから二十数年。
祖父のトンビコートは現在私が愛用しています。
身体だけは大きくなった私に、孫ではなく神職としての私に、今ならば人一倍大きかったあの声で何を語ってくれるのでしょうか・・・
本年五月発刊の宮崎県神道青年会に掲載したこの文書。
大変有難いことに参加が叶いました!
明日から行ってきます<(_ _)>