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宮崎神青ブログ - 最果てのウルマの島

最果てのウルマの島

カテゴリ : 
活動報告
執筆 : 
office 2013-10-23 12:40

ウルマとは沖縄の方言で珊瑚礁のことである。 

北緯24度3分33秒 東経123度46分57秒

沖縄県の石垣島より南へ船で約1時間の所に、日本最南端の有人島「波照間島」がある。

 

去る平成25年10月10日、

神道青年全国協議会(以下神青協)創立65周年奉告祭が波照間島にて斎行された。

神青協では、昭和33年より沖縄県の本土復帰運動に取り組み、昭和47年には復帰記念として

全国の名石を持ち寄り、波照間島に波照間の碑、国旗掲揚塔、聖寿奉祝の碑の建立、

更に周年毎には奉告祭を斎行している。

 

前日に宮崎空港から那覇空港を経由し、石垣島へと降り立った。

宮崎→那覇便はソラシドエア。

機内の飲料で依頼したスープのダシが、隣に座った飛行機マニアの当会相談役のうんちくによると、

なんと「トビウオ」らしく、これがなんとも美味。

搭乗された方は是非一度飲んでいただきたい。 

 

さて、当日。

午前8時半の船で石垣港離島ターミナルから波照間島へ。意外と乗客が多い・・・

到着後、祭場へバスにて移動し、慌ただしく準備となった。

 

午前11時。全国より約50名の会員が集い祭典が開始され、私は伶人(龍笛)として

奉仕させていただいた。

 

この日は季節は秋といっても全国的に暑かったようで、この島も勿論非常に暑かった・・・

当然と言えば当然、残念と言えば残念ながら祭典中の写真撮影は禁止ということで、祭典の

写真は一枚もないが、厳粛裡に斎行された。

この島で祭典を奉仕できたことは、またとないであろう貴重な体験となり、また先輩諸賢が

培われてきた思いを感じ、益々今後の活動に邁進する思いを新にした。

 

その後は島内視察。

現在は277世帯、531の人が住んでおり、その景色は古き良き日本の風景がそのまま

残されているようであった。

 

学童慰霊碑にて、花束を捧げ会員一同拝礼。

のどかな島の景色を見ていると、戦場なった事が信じられなかった。

 

その後、夕刻の船で石垣島へ帰り、懇親会。

久しぶりに会う方、初めて会う方と交流を深め石垣島の夜は更けていった。

 

さて翌日。

かなり贅沢な昼食として石垣牛を食し、さとうきび畑が広がる大地をアクセルを踏んでは離し、またやたらポンピングブレーキの多いタクシーにイライラしながら揺られ、石垣空港へと向かった。

 

 

石垣空港14:45発、那覇空港15:40着。

那覇空港16:15発、宮崎空港17:35着。

乗り継ぎの待ち時間も少なく、完璧な予定。

 

しかし搭乗手続き中に、空港の方より思いもかけない言葉が。

 

「機材が遅れているために、宮崎行への飛行機に乗り継ぎはできません」

 

鹿児島空港行きの飛行機へ乗り換えを余儀なくされた。

 

旅の最後に、最近流行のあの言葉を初めて使うこととなった。

 

 

じぇじぇじぇ・・・

(甘ちゃん) 

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