宮崎神青ブログ - 活動報告カテゴリのエントリ
「沖縄出張に行ってくるわー!」
そう言うと、耳にするもの誰しも
「へー、沖縄旅行に行くんだー、いいねー!」
なんてやりとりになる、それが世の常のようです。
例に違わず私めも、家内に話しても上述のやり取りプラス「無駄遣いしてこないでよー」、
沖縄に住む妹に話しても同じ調子に加えて「お土産は地鶏の炭火焼ねー」
いやいや皆さん、普段(例年の?)の私ならば、そのリアクションも無きにしも非ず、
今回ばかりはいつもとは違っていたはずですよ。
なぜなら今回の沖縄出張は、5/8の懇親会・5/9午前中の神職総会もさることながら、
午後から行う「ひむかいの塔慰霊祭」がとても重要な位置づけにあるからです。
出発当日は、出発地の宮崎も到着地の沖縄も良いお天気で、
「いやー、沖縄は暑いなんて聞いていましたけど、あんまり宮崎と変わらんですねー」
と余裕の発言、しかし、バスガイドさんから「明日は雷雨の予報です」と聞かされ、雨男、
雨女、日頃の行いの悪いヤツ探し大会が始まる始末。
「ま、結局、なるようにしかならんでしょ」なんて答えになっているのかいないのか
分からない結論付けで夕刻からの合同懇親会に参加。
前述の、地鶏の炭火焼好きな妹から聞いていた「沖縄式(琉球式)?」の懇親会スタイル
で(本当に乾杯発声の前から飲み始めるんですね、例年の私みたいに…)始まり、
久しぶりにお会いする他県の先輩や後輩との再会に杯を進め、懇親会終了後の深夜に
及ぶと思われる先輩方からの有難いお誘いも、サッカーアルゼンチン代表のメッシの
ような華麗なステップでかわしながら、私史上初の「日付の変わる前の帰宿」という
見事な得点を決め、翌日に備え就寝。
近年まれに見ぬ目覚めの良さで外を眺めると…、やはり雨。
「せめて雷雨だけはご勘弁くださいませ」
と、遥か彼方の奉仕神社を遥拝し、総会・講演会と日程は進んで行き、その途中途中で
投げかけられる「お前の…、日頃の行いが…」等という、いわれの無い誹謗中傷に
その都度いちいち反論しつつ、総会に関する全行事が終了となるお昼前になると、
「ほら、やっぱり大丈夫でしょ、私の行いは!」
と言いたくなるほどの晴天に。
さて、ここからは珍しく真面目モードにギアチェンジ。
13時頃に糸満市の「ひむかいの塔」へ到着。慰霊祭の準備を手分けしながら整え、
参列する40名ほどの先輩神職も含めて慰霊祭開式
(ひむかいの塔詳細については4/22の記事を)
話は変わりますが、昨年9月、大震災後の宮城県・岩手県に先輩神主と巡礼させて
いただく機会を得たのですが、申すまでも無い見渡す限りの悲惨な視覚的状況と、
「よそのもが何をしにきたのか」と言われんばかりの第六感で感じる霊気、日々の
神社奉仕はひょっとして「見せ掛けだけの姿だったのか」と、己の奉仕年月を痛切に
思い返させられる精神的な葛藤に、ひたすら祈ることしか出来なかった経験を思い出し
つつ、今回の慰霊祭に臨みました。
ただ、現在の沖縄は、視覚に入り込んでくる表面的な状況は昨年の東北とは全く違い、
穏やかなものでした。
しかし、私たちが慰霊祭当日に立っていたあの場所は、様々な思いが錯綜しながらも、
自分たちの大切なものの為に、多くの血が流れた戦地であり、未だに多くの亡骸が
その地中深くに眠っている慰霊の地であると思うとき、
「五感を研ぎ澄ますだけでは足りない…、第六感をも…」と、
目に見える状況が穏やかなるが故に、昨年の東北巡礼と同様、ひたすらに只ひたすらに
精神集中してご奉仕させて頂きましたが、はたして御英霊方はどのようにきこしめして
下さったか、その後訪れた沖縄戦最大の激戦地であり終焉地でもある摩文仁の丘で
個人的にお勤めしつつ、昨年の東北でもそうであったように、また大きな宿題を頂戴
したように感じています。
その宿題の答えに、いつたどり着けるのか、そもそも答えなどあるのかと、まさに
「地に迷い、天に通ず」であればと、様々な思いを背負い続けていくのも「我々に
課された務めなのかなー」と、内心は珍しく感傷的になりながらも、外見上はあくまで
”都城のハイサイおじさん”として、都城地区の先輩神職(一部宮崎郡支部の先輩)の
添乗業務を終え、やはり自宅で「あっり、乾杯!」と、麦酒をあおりながら
『沖縄出張』を納めました。
(都城のハイサイおじさん)
当日の写真はこちら
斎主 串間祥亮(小戸神社)
祭員 野迫武士(山宮神社) 永友郁央(平田神社) 楡田美浩(神柱宮)
黒木興輔(御年神社) 佐藤 豊(宮崎八幡宮)
伶人 鳳笙 緒方啓吾(宮崎神宮) 篳篥 串間慶士(宮崎神宮) 龍笛 鳥原浩之(宮崎八幡宮)
朝日舞は神職子弟による奉仕でした。
甲斐塔子、甲斐遼太郎(児原稲荷神社) 長友安興(青島神社)
串間諒徳(小戸神社) 中村恵宗(大塚神社)
諒徳くん! どんげした? みんな手を挙げちょっじ!!!
去る5月4日、第3回宮崎おいらん道中に当会宮崎市支部を中心として
雅楽の演奏で参加させていただきました。
当日、雅楽の装束を借りるため青島神社までドライブ。
しかし、時はゴールデンウィーク中!
予想以上の大渋滞(T-T)
バタバタしながら、どうにか集合の午後6時半に間に合いました。
その後着替えていると、なんと草履がない!私フリーズ!!
カメラマンとして来ていた英彦先輩に借りることに・・・
本当にありがとうございましたm(_ _)m
雅楽につきましては、大勢の観客の中「越天楽(えてんらく)」と「陪臚(ばいろ)」を演奏。
滞ることなく演奏を終えることができました。
先輩の中には自分の出来に納得がいかず、速くも来年にリベンジを誓った方も
おられました。
終了後は、直会(^ ^)/ ビールを飲んだら今日の失敗は忘れました。
これが私の良い所? ではないですね。
支部委員として段取りが悪く、また忘れ物をするなど大変ご迷惑をお掛けしました。
心から反省し、改めたいと思います。
(宮崎神宮権禰宜O)
太鼓 山田勇徳(宮崎県護国神社)
鳳笙 湯浅要作(宮崎天満宮)
緒方啓吾(宮崎神宮)
篳篥 佐藤貞和(宮崎八幡宮)
串間慶士(宮崎神宮)
龍笛 串間祥亮(小戸神社)
鳥原浩之(宮崎八幡宮) 以上の7名でした。
山田、湯浅両先輩、ご協力いただきありがとうございました。
久しぶりに酒を酌み交わせて、楽しかったです。
来年もどうですか???
「古事記」撰上千三百年を迎え、全国津々浦々にて様々な催しが企画されております。
此の佳節に、神武天皇御降誕の地に集う我が宮崎県神道青年会は、同じ神武天皇の御創業の地である奈良県神道青年会と、『姉妹神青』を締結いたしました。
これは、両神青会員共に、歴史の重みを再確認し、建国の古を偲び、国を愛する正しき心を養い、互いに助け合っていく為の絆を醸成することを目的としております。
締結の調印式は、神青協第六十四回定例総会に先立ち、神道青年全国協議会会長 大野清徳氏の立会いの下、心地よい緊張感の中で無事に絆を結ぶことが出来ました。
また午前十時三十分から始まった定例総会では、各種議案すべて承認され滞りなく終了致しました。
総会終了後、東北六県の各県神道青年会会長より震災に関する報告会があり、新聞やニュースなどで取り上げられる事の少なくなった東日本大震災被災地の生の声がとても心に残っております。
それは、東日本でまだまだおさまらない余震、町や村に帰れない人々、外で遊ぶことの出来ない子供たち、それによるストレスなど、波打つ数ほど溢れてくる困難。
そして、今でも仕えるお宮が崩れ損いながらも、氏子さんと以前と変わらず心を寄せ、困難に立ち向かう同志達の報告を聞き、後世の神青会会員に我々が結んだ絆が形だけではなく、どんな苦難にも立ち向かう糧にして頂ければと思います。我々が一人ではなく、一つであると…
(事務局長 黒木英彦)
当会串間会長署名
奈良県神道青年会持田会長署名
神道青年全国協議会大野会長署名
昨日(4月28日)午後7時30分より青島神社儀式殿にて「鴨就く島アーベント」が
開催されました。
このイベントは6回目になるそうです。
今回は通常の音楽イベントに加え、「古事記編纂1300年記念」を取り入れ
「雅楽」と「日向神話語り」と「クラシック」のプログラムになっていました。
開始に先立ち、青島神社長友安隆宮司によるお祓い。
その後「青島神社御神詠」と「越天楽」と「悠久の舞」を演奏し、
青島神社神職、宮崎雅楽会、宮崎神宮より神職と巫女が参加いたしました。
通常の祭典中に奉奏するのとは別物で、このような雰囲気で演奏するのは
慣れないもので、やはり緊張しました。
しかし緊張がほぐれてくると儀式殿の独特な雰囲気のせいでしょうか
心地よくも思え、滞りなく演奏を終えることができました。
素晴らしい経験をする機会を与えていただいたことに、感謝、感謝です。
次回の「鴨就く島アーベント」は、秋の夜長をJAZZにて・・・
平成24年11月3日(土・文化の日)19:30~(予定)から青島神社境内において
開催されるそうです。(※雨天時は儀式殿)
参道の灯篭ライトアップも行うそうです。
乞うご期待!とのことですm(_ _)m
宮崎神宮巫女による「悠久の舞」
昨日、平成24年5月9日に斎行する「ひむかいの塔慰霊祭」の習礼(しゅらい)を
午後6時30分より小戸神社にて行いました。
一般の方は習礼といってもピンとこないでしょうが、いわば予行練習みたいなものです。
ひむかいの塔は、沖縄県糸満市にあります。
昭和40年11月、日本本土の防壁となり苛烈を極めた沖縄戦最後の激戦地であり、
宮崎県出身の将兵が最も多く戦没された地に、沖縄戦での本県出身戦没者1,848柱の
御霊をお慰めするため「ひむかいの塔」が建立されました。
昭和45年には、沖縄戦以外の本県出身戦没者も合祀され、今では31,237柱の御霊が
お鎮りになられています。
当会では昭和45年11月、第4代佐藤宣久会長以下8名の先輩方が初めて奉仕されて
より多くの先輩方が携わってこられています。
沖縄本土復帰40周年の佳節にあたり、この慰霊祭にご奉仕させて戴くことに感謝し、
先輩諸賢がこの沖縄で繋いできた熱き思いを再確認し、慰霊の誠を捧げたいと
思います。
(宮崎神宮権禰宜K)
トップページに使用しているこの写真は、当会創立60周年記念事業として
平成21年に斎行した「ひむかいの塔慰霊祭」です。
普段は一緒に祭典を奉仕する事の少ない県内の神青会会員が集まり、沖縄の地で
慰霊祭を斎行するというこなので、次第、所役、作法等を入念に確認致しました。
祭典では、会員の子供たちが「朝日舞」を奉奏致します。
しっかりと練習してくれています!大丈夫だよね???
練習後は、子供達に容赦なくからまれて大変でした(ToT)
20,30年後は、君たちがしっかりと奉仕するんだよ!
その日がくるのを、おじちゃんは楽しみにしてます・・・
4月16日午後3時半より当会第63回定例総会を神宮会館にて開催致しました。
来賓として宮崎県神社庁より杉田秀清庁長(宮崎神宮宮司)、
本部雅裕副庁長(鵜戸神宮宮司)、玉置徳行参事、
また神道青年全国協議会長友安隆副会長(青島神社宮司)の
ご臨席を賜りました。
開会行事に引き続き、佐藤永周会員を議長として議事を進行しました。
今回は、7つの議題が上程され全て議決されました。
総会終了後は、懇親会。
4月は、出会いと別れの時期でもあります。
本年は新に9名が入会され、4名が卒会となられました。
2次会の最後では参加されていた鈴木先輩へ感謝と激励の意味を込め、
万歳を致しました。
今回卒会された先輩方の今後益々のご活躍をご祈念申し上げます。
また今回で卒会されるはずであった後藤倫太郎さんを偲び万歳を致しました。
倫太郎さん。いつまでもにこやかにお見守り下さい・・・
総会に先立ち、宮崎神宮、宮崎県護国神社を正式参拝致しました。
神宮会館にて懇親会。リニューアルということなので、この雰囲気も最後です。
2次会!鈴木先輩は誕生日でもありました。ケーキごちそうさまでしたm(_ _)m
成瀬くん恐いよ・・・
本日(4月3日)午前10時より、宮崎県護国神社(宮崎市神宮町鎮座)例祭が
斎行されました。
護国神社には戊辰の役をはじめ、過去幾多の国難に殉ぜられ、そのご存命中宮崎県に
密接なる関係を有せられた41,872柱の英霊が祀られています。
祭典では、香淳皇后御歌をいただいての「みたまなごめの舞」が奉奏されました。
「やすらかに ねむれとぞおもふ 君のため いのちささげし ますらをのとも」
私たちは今の日本が尊い犠牲の上に成り立っていることを決して忘れてはなりません。
慎んで御霊の安からんことと、世界の平和をお祈り致します。
宮崎県護国神社についてはこちら
当会会員も毎年ご奉仕させていただいております。
宮崎神宮巫女による「みたまなごめ」の舞
県内各地よりご参拝いただいております。
昭和38年の例祭の写真だそうです。
参列者も現在より、かなり多いように見受けられます。
去る4月4日午前11時より御田植祭を初めて川南の地で斎行致しました。
この神道青年会御神田行事は、昭和56年当会第7代長友隆二会長(現青島神社名誉宮司)時代に
始められてより、今日まで継承されております。
当日は、前日の強風より一転大変穏やかな日となりました。
宮崎県神社庁杉田秀清庁長をはじめ関係各位にご参列賜り、
祭儀を滞りなく厳粛裡に斎行できました。
大きな被害もなく稲が順調に育ち、無事に実りの秋を迎え、皆様お揃いで
抜穂祭(ぬきほさい)が斎行できますようお祈り致します。
児湯ブロック会会員の皆様をはじめ、関係各位に衷心より厚く御礼申し上げます。
早乙女は尾鈴農協、川南町商工会女性部、都農町の学生等にご奉仕いただきました。
直会は、ちょっとした花見の様な感じでした!
僕たち私たちも直会で~す(^-^)/
都農神社綿島会員による「都農神楽」奉納。
園児達は、昼食に夢中でしたね・・・
最年少参加!作務衣はママの手作り!
「とりはらちよです。2さいです。パパとママがお世話になってます。」
本日、宮崎神宮において神事流鏑馬が斎行されました。
昨日のブログで紹介しました安藤親子の写真がとれましたので
掲載させていただきました。
本日は台風なみの強風で大変だったと思われます。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
安藤宮司
安藤会員
安藤君の2回目は、3枚の的に全的中でした!