宮崎神青ブログ - 知っちょる?宮崎の祭㉒
◯牛越祭り◯
境内に直径25cm、長さ4mの丸太を50cmの高さに設置し飛び越えさせます。祭事に参加する牛は身軽な子牛であり、赤い毛布を腹帯で背中に乗せ、藁束に白い布を巻いたものをその上に背負い、首にはカンコビをつけます。このカンコビとは、赤・青・黄の布でアゲ鼻を作り、先を30cm程垂らしたものです。この様子は童謡界の三大詩人と謳われた野口 雨情(のぐち うじょう)が「威徳天神 祭りの日には 牛も化粧して いそいそと」と詠んだ記録が残っています。
意味としては、本来は、田植え後の牛の健康を神様に見てもらうための行事であったが、現在は農耕で牛を使役することも少なくなったため、畜産牛の体育状態をみせる品評会の役割を担っています。また、祭事の歴史も長く平成四年三月二十一日付で宮崎県の無形民俗文化財に指定されています。
由来:神社の由来としては、菅原道真(みちさだ)の子孫の道正(みちまさ)が京都の北野天満宮から、馬関田郷(現・えびの市の一部)に道真の分霊を迎え威徳天神とし、現在の菅原神社となりました。後に馬関田郷を治めた道正の子孫が農業や畜産が奨励され、役牛を守る神として豊受神社を建立し祭りました。現在は菅原神社の境内に現存しています。
祭りが行われるようになったきっかけは諸説あるが、貞享(1684)頃といわれており、徳川綱吉の時代であり、「生類憐み」の世俗的風習があったとされている。祭りの名前の由来は、農耕で疲れた牛を静養させる為の牛の肥育を意味する牛肥えから来ているとされる。
時期:七月二十八日
神社:菅原神社(えびの市西川北鎮座)
写真②
写真③