宮崎神青ブログ - 試された覚悟
4月末のこと、東京出張中に後輩からとある文書を受け取ったと連絡が入った。
なんでも平成28年8月15日に当会が発刊致した
「大東亜戦争終結七十年誌~守ルベキモノ、伝ユベキモノ。~」を
恐れ多くも表彰してくださるとのことであった。
このことには素直に喜んだ。
ご理解ご協力をいただいた多くの方々、さらには尽力いただいた会員の想いの結晶が
目に見える一つの結果として表れ、そして何よりもご英霊より「まぁそれなりによくやったよ」との
お言葉を賜ったような気がしたからである。
とうことで、去る5月26日
空路東京へ。
東京大神宮マツヤサロンにて開催された表彰式に出席した。
当会を含めて5名の方が表彰され、その中には長野県神道青年会も含まれていた。
その表彰内容は、当会と同じ趣意。
調査開始より十年を経て、発刊に至ったそうである。
長野県神道青年会は、去る4月26日に開催された神道青年全国協議会総会において
めでたく”最優秀”広報賞を受賞された。(ちなみに当会は”優秀”広報賞・・・)
どちらが上だっただの何なのはさておき、同時期に同じ想いで発刊した両会である。
これを契機に情報交換等を行い、共に英霊顕彰はもとより諸活動に邁進していければと思う
ばかりである。
と、ここで終わりそうな今回のブログであるが、私には心にひっかかることがあった。
奇しくもそれは表彰式の数日前、とあるご相談を受けたことにある。
実家の庭に戦没者の慰霊碑があり、この度家を取り壊すこととなり、この慰霊碑を
如何すれば宜しいかとのことであった。
当初慰霊碑は近くのお寺に建立されていたようだが、その後お寺から離れることになり、
これを哀れに思われた相談された方のお父様が引き取り、現地に移設され個人的に
護ってこられたそうだ。
役所に相談されたところ、遺族会所有の慰霊碑付近に移設しても構わないが、移設費用は
自己負担とのことで、ご英霊への想いと板挟みになりその対応に苦慮されていた。
私には答えが出せなかった。
今回の様な場合を含め、これまでに様々な理由で消滅してしまった慰霊碑等、
そしてそれに刻まれていたご英霊の名はどれほどあるのだろうか。
冊子のあとがきにはこう記している。
我々は覚悟を持って氏神さまの祭を通して日本人の心を守り、次世代へと伝える使命が
あるのだと思います。
各地域の祈りが、ご英霊が願って止まなかった美しい祖国の繁栄はもとより世界の
共存共栄へと繋がりますことを節に祈念致します。
もちろん発刊した事が全てではなく、これから先が重要なことは分かっていた。
しかしながら、気の緩みがあったのだろう。
さっそく、その覚悟というものを試されたような気がしたのだ。