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宮崎県の神社

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  • 川水流神社(かわずるじんじゃ)

    川水流神社(かわずるじんじゃ)

    由緒は不詳であるが、古くから天満神社と称して川水流に鎮座していた。大日孁売命は字野黒に、品陀別命は字尾崎に、倉稲魂命は字中村に、それぞれ祀られていたのを、明治四年十二月に合祀して、翌五年十一月村社に列せられ、社号を川水流神社にと改称したものである。

    電話番号
    (0982)48-0721
    郵便番号
    882-0125
    住所
    延岡市北方町川水流卯1212・1213番地
  • 天満神社(てんまんじんじゃ)北方町

    天満神社(てんまんじんじゃ)北方町

    古来、菅原神は、字原に天満神社として、また大年神は字原に年神社として、須佐之男命、稲田姫命は字山林に古守社として祀られていた。これらの各社は明治四年十一月蔵田神社に合祀されたが、明治十四年十月六日復社願が許可され、旧社地に復社して、上崎天満神社と称している。

    電話番号
    (0982)48-0721
    郵便番号
    882-0126
    住所
    延岡市北方町上崎辰1130番地乙
  • 野田神社(のだじんじゃ)

    野田神社(のだじんじゃ)

    当社は聖武天皇の御宇、天平二年、豊前国宇佐八幡宮を日向之国吾田岡富村今山に勧請する時、豊後竹田、高千穂三田井を経て、高千穂通りに神輿をすすめられ、松山にて休輿の後、野田村野之口原に仮宮を設けご神輿を休められた。
     その時、にわかに雷鳴大雨があり、神主清田重麿は帛を捧げ奉って占いをしたところ、ご神居あるべき神託があり、二十一日を経て、今山へ遷宮のところ、至るに方位不潔の趣があり、野田の霊地を選び、ここより方位を定めて遷宮された。
     この霊地、神跡を方位達八幡大神と崇め、品陀別命を奉斎したもので、往古より八幡大神社と称していたが、明治四年南方村野田鎮座の水分神社(祭神、罔象女命)、同野田鎮座の熊野大神社(祭神、伊弉冉命、事解男命、速玉男命)を合祀して、社号を野田神社と改称、明治五年に村社に列せられた。

    電話番号
    (0982)32-2520
    郵便番号
    882-0801
    住所
    延岡市野田町4825番地
  • 野地神社(のじじんじゃ)

    野地神社(のじじんじゃ)

    当社は聖武天皇の御宇、天平二年、豊前国宇佐八幡宮を日向之国吾田岡富村今山に勧請する時、豊後竹田、高千穂三田井の地を経て、高千穂通りに神輿をすすめられ、松山にて休輿の後、五ヶ瀬川南方野田を通行の折、野之口原に仮宮を設けて御神輿を休められた。その時、雷鳴を伴う緒雨があり、神主清田重麿は帛を捧げ奉って占いをしたところ、ご神居の神託があり、当村永池にご休輿の後、今山へ遷宮されたので、その神跡に品陀別命を祀って屋敷八幡大神と崇め、村民が深く新興したため祭礼には領主より祭祀料が供えられた。
     往古より、その社号を八幡大神社と称したが、のちに社地の傍に祀っていた大将軍神社(祭神、大己貴命)を合祀、さらに明治四年字木の下鎮座の大将軍神社(祭神、大己貴命)をも合祀して野地神社と社号を改め、明治五年村社に列せられた。

    電話番号
    (0982)32-2520
    郵便番号
    882-0802
    住所
    延岡市野地町二丁目3814番地
  • 熊野江神社(くまのえじんじゃ)

    熊野江神社(くまのえじんじゃ)

    当社は市の北東端熊野江川流域に位置する。地内には弥生時代の箱式石棺六基があり、南浦古墳として昭和十七年に県史跡に指定された。いずれも千枚岩の棺に人体と弥生土器などの副葬品を入れ、棺の上を自然石を覆う積み石塚である。
    当社の創建は元亀三年(1572)の頃、見崎将監(現社家森氏の祖)が一夜の夢告に「吾は紀州熊野三社の神にして、頃日此の里丸山の地に遷れり、汝疑はば行きて、而して見よ」と託宣があり即ち奇と思い、早旦、地頭職の甲斐織部正と同行して見れば、逆さに立てた神の杖が生々として芽を発していたので、二人は驚いて、社殿を建立し熊野三社権現と称した。
    当時は村名を福村と称していたが、熊野三社の神霊を勧請したので、熊野江村と改めたと言われている。
    棟札によれば、元禄二癸酉年(1689)延岡城主三浦壱岐守が再興、その後も度々社殿の造営再興が行われている。
    明治四年別府の天神宮を合祀して現社名に改め村社に列せられ、明治三十九年四月神饌幣帛料供進指定神社に指定された。

    電話番号
    (0982)43-0050
    郵便番号
    889-0322
    住所
    延岡市熊野江町1741番地
  • 浦尻神社(うらしりじんじゃ)

    浦尻神社(うらしりじんじゃ)

    市の北東部日向灘をのぞむ浦尻湾側に位置する。もと浦尻と記していたが、中世浦尻城ができてより浦城町と改めたという。
    当社は、永正十一年(1514)松田栄清の創建したもので、若宮神社と称していたが、永正年間に大友氏と当時の領主松田氏との戦いの際、その兵火により古書類、全て焼失したと言う。しかし、勧請は康応、明徳の頃との石碑がある。その後度々造営再興が繰り返され、寛永十四年(1637)十月、延宝八年(1680)十月再興等の十三枚の棟札を有する(『宮崎県史蹟調査』)
    応永二十一年(1414)十月八日豊後佐伯庄讃岐守大神惟世が神社に奉納した鰐口が現存する。
    明治四年十一月、天神社(祭神、国常立命)、愛宕神社(祭神、軻遇突智命)、地神社(祭神、大己貴命)を合祀して浦尻神社と改称し、同五年村社に列せられた。

    電話番号
    (0982)43-0050
    郵便番号
    882-0095
    住所
    延岡市浦城町96番地
  • 島野浦神社(しまのうらじんじゃ)

    島野浦神社(しまのうらじんじゃ)

    市の北東部南北浦海岸の福崎の東方海上約1.5㎞にある島野浦島内に鎮座する。
    創建年月日は詳らかでないが、綿津見命を祀り、旧称を八竜王ともいい、綿津見神社とも称していた。
    「島野浦沿革誌」では、正徳三年(1713)十一月五日と記す。その存在が確認できる最も古い記述は、延岡藩主が牧野氏から内藤氏へと交替した、延享四年(1747)に作成された「神社拝殿森境内書上帳」で、八大龍王を中心に、愛宕・塩釜大明神の三社を祀っている。
    社殿は、天明元年(1871)正月晦日に発生した火災により、島内四十一軒の住宅と共に焼失したことが知られるが、いつの頃か再興され、明治四年十一月、字地下の恵比須神社(祭神、事代主命)、字地下の厳島神社(祭神、厳島姫命)、字白浜の愛宕神社(祭神、軻遇突智命)、字白浜の塩釜神社(祭神、塩土翁命)を合祀して、島野浦神社と改称し、村社に列せられた。
    現存する社殿は明治二十年、再び火災のため社殿が焼失したが、拝殿の屋根を支えるように彫刻された力士の姿などからなる。明治二十九年の再興部分と、昭和五十六年(1981)の改築部分からなる。拝殿の社号標は、旧延岡藩主・内藤政擧が記したものである。

    電話番号
    (0982)43-0050
    郵便番号
    882-0096
    住所
    延岡市島野浦町観頭549番地
  • 須怒江神社(すぬえじんじゃ)

    須怒江神社(すぬえじんじゃ)

    市北東部、日向灘をのぞむ日豊海岸国定公園に属する。もと須怒江と記していたが、現在では須美江と称し、県北一の夏のレクリエーション地になっている。
    当社は、もと天神社と称し、天正十六年(1588)八月頃の創建とも言われている。
    明治四年十一月、字樋ノ口鴟尾神社(祭神、大山祇命、大神惟治霊)を合祀し、須怒江神社と改称し、村社となった。
    大神惟治霊は、大友家に謀反の疑いで追われ、北浦町で自刃した佐伯城主を祀ったもので、北川町などでも根強い信仰があるといわれている。

    電話番号
    (0982)43-0050
    郵便番号
    889-0321
    住所
    延岡市須美江町樋口100番地
  • 天下神社(あもりじんじゃ)

    天下神社(あもりじんじゃ)

    古来、天下大明神と崇めて、日向国五郡八院之分旧元集臼杵郡六大社の一つであって、天下天神社とも称した。
    神徳は著しく、氏子の崇敬心は非常に篤く深いところで、天保七年(1836)六月延岡藩主、内藤能登守政義公が現在の社殿を再建した。
    明治四年新政により、吉野鎮座の
    水谷大明神(祭神・水波女命)
    稲荷神社(祭神・倉稲魂、大田命、大宮姫命)
    今山八幡社(祭神・品陀別命、息長足姫命、足仲彦命)
    若宮八幡社(祭神・足仲彦命、品陀別命、息長足姫命)
    北山明神(祭神・水波女命)
    北山神社(祭神・大山津見命)
    稲荷神社(祭神・倉稲魂命・大田命・大宮姫命)
    を合祀して、村社に列せられ、昭和四年九月神饌幣帛料供進指定神社となり、現在に至る。
    地内には、縄文から古墳時代とされる今井野遺跡や国史跡の南方古墳の一部が散在する。
    また、境内には柄鏡式古墳および光福寺址が境内の南側にあり、宗派は不明であるが、土持氏の祖先四名の霊を供養して文明十四年(1480)にたてた供養碑がある。

    電話番号
    (0982)21-4525
    郵便番号
    882-0071
    住所
    延岡市天下町709番地
  • 三輪神社(みわじんじゃ)

    三輪神社(みわじんじゃ)

    本社は上古、大己貴命、豊葦原を巡狩して国家を経営される時、この地に来られ住まわれた、その処を青谷城山(あおぎやま)と言う。
    此処に後人が命の幸魂、奇魂を祀って青谷城神社と尊称し、後に三輪大明神と号した。
    吉野、天下等にも神領があり、霊験赫灼として守護されたが、余りにも村里にも離れていたため、高角折原という処に社殿を遷し、神戸神地を寄進して人々が広く厚く崇敬した。
    元正天皇の御宇、大神大納言惟資卿が当国の守護となったが、三輪明神は大神氏の祖先であるので、深く本社を崇敬し、養老二年六月二十五日知門瀬前川原と言う所に宮地を卜し、神殿、拝殿、舞殿、楼門、鳥居等を修繕して大明神を遷座し、社運隆盛を極めた。依ってこの時を神社勧請の人定めたと言う。
    その後、兵乱打続き、社殿も兵火に遭って焼失し、神宝、旧記等悉く烏有に帰して、久しき年月の間に野原と化してしまっていた。
    三輪の里人等はこれを歎き、古の遙宮所(らんびどころ)に社殿を設けた。これが現在の三輪神社であって、明治四年大年神、宇食持命、罔象女命、市杵島姫命を合祀して三輪神社と改称し、村社に列せられた。明治三十九年四月神饌幣帛料を供進すべき神社として指定された。
    本社は一郷の大社として、国司郡司の祈願所となり、天文年間の間は松尾城主、土持日向守親佐、同弾正少弴親成、寛永寛文の頃は有馬左衛門佐直純、同左衛門佐康純、それより下って延享の頃には延岡城主牧野備後守貞通、宝暦以降にいたっては内藤能登守政陽、同備後守政脩、同備後守政順等の各城主が社殿の再興、修築を行い、極めて崇敬深い御社であった。

    電話番号
    (0982)32-2520
    郵便番号
    882-0883
    住所
    延岡市三輪町1065・1066番地
  • 永田神社(ながたじんじゃ)

    永田神社(ながたじんじゃ)

    市の中央部、市街地の西方で五ヶ瀬川北岸に位置し、地内西端には文安元年(1444)に土持全宣が創築した松尾城跡がある。土持氏はこの城にいること六世で、天正六年親成の時大友宗麟と戦って敗れ滅亡したという。この松尾城跡の東方に当社は鎮座する。
    天平勝宝二年十月に勧請し、古来、善神王社と称していたが、明治四年神社改正の際、永田神社と改称し、明治五年村社に列せられた。
    祭神武内宿禰命は神功皇后の功臣で品陀別命(応神天皇)など五朝に奉仕し、長命の人として知られ、鳥取県の宇部神社(もと国幣中社)の主祭神としてのほか、各八幡宮に祀られている。豊前国宇佐八幡宮大神を今山に勧請した際に立ち寄られ、一時遷座されたこの松山の地に、随神武内宿禰命を産土神として祀ってきたと言う。

    電話番号
    (0982)34-5623
    郵便番号
    882-0062
    住所
    延岡市松山町1171番地
  • 小峯神社(こみねじんじゃ)

    小峯神社(こみねじんじゃ)

    当社の創建は大同二年三月と伝えられ、市杵島姫神社と称し、また弁財天とも称していた。
    明治四年十一月二十九日南方邑大字南方小字春於呂志に鎮座の八幡神社(祭神品陀和気命、足仲彦命、息長足姫命)を合祀して、社号を小峯神社と改称し、明治五年村社に列せられた。『日向地誌』によると、同地区に当神社と同じく大同二丁亥創建と伝える真言宗天福寺があり、別当寺だったのではないかとみられている。また、内藤時代には関所が置かれたところとされ、さらに北の山手には登り窯で陶器を焼いた小峰窯跡がある。

    電話番号
    (0982)34-5623
    郵便番号
    882-0061
    住所
    延岡市小峯町6983番地
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