宮崎県の神社
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串間神社(くしまじんじゃ)
彦火火出見尊を主祭神として他に十二柱の神々を祀るので十三所大明神と称していた。山幸彦と呼ばれる主祭神が猪、雉などの雁ものの多いこの地を狩場として笠沙の宮から通われた仮宮所で、穂槵宮と称しその宮跡を斎きまつったと「神名禄」は伝えている。
「高鍋藩寺社帳」によると桓武天皇の時に平安京の朱雀院に鎮座しその後、順徳天皇の時に当地に安置したともいうが詳細はわからない。
永保六年(1563)領主島津忠親の奏請に依り神階宜下勅額を賜り、以後藩主、世々、福島総社として尊崇された。正平十四年(1359)には、野辺盛房が十三所大明神の社殿を再興されたことが記録されており、その後応仁元年(1467)には島津立久、永正十二年(1515)、天文十三年(1544)と相次いで島津氏が再興、秋月領となっても元和七年(1621)から慶應二年(1866)まで再興が続いている。
而して明治維新後は専ら福島、北方、大束、本城、都井、市木六ヶ町村の氏神として、維持運営された。
明治五年(1872)都城県管轄中、神社改革の際、串間神社と改称し郷社に列せられる。
明治四十年(1907)旧六ヶ町村の出資により社殿を改築されたが、老朽化し損傷が著しく御接遇出来得ない状態にあり、時あたかも平成元年、串間市が市制三十五年の記念すべき年を迎えるにあたり、奉祝記念事業として昭和六十三年六月改築奉賛会を設立し、平成元年六月、工事に着工、同年十月に竣工した。電話番号(0987)72-2442郵便番号888-0004住所串間市大字串間1410番地 -
南神社(みなみじんじゃ)
奈留外行組124戸の鎮守として旧称初熊大明神として崇敬されてきた。『日向地誌』によると、旧称熊野大明神といい、のち熊野大権現となり、事解男命、伊邪冉命、速玉男命を合祀していた。
近郊に五座の神社があり、
一、大平村広野の聖大明神(祭神、不詳)
一、烏帽子野の妙現大明神(同)
一、南方村田口の稲荷大明神(祭神、倉稲魂命)
一、中別府の蛇王権現(祭神、別雷命)
一、神花の神花大明神(祭神、木花咲耶姫命)、
この五社を明治5年遷して合祀、今の名に改めたという。明治39年神饌幣帛料供進神社に指定された。
各社とも創建を明らかにする文書なく由緒は詳らかでないが、社殿は、しばしば再建保存されてきた。電話番号(0987)72-2442郵便番号889-3531住所串間市大字奈留7588番地 -
大矢取神社(おおやどりじんじゃ)
『高鍋藩寺社帳』によると若一王子権現(現大矢取権現)は本地十一面観音、祭神は少彦名命で、永正2年(1505)乙丑盛泰再興とある。明治5年、村社北神社へ合祀されたので、社殿はそのまま保存され、大神宮ならびに北神社の遥拝所と定められた。しかし、地元氏子の強い請願により、明治15年復社が認められ、12月復旧遷座された。社殿はその後、修復が重ねられて来たが、昭和56年、神社を新築造営し、崇敬の誠をつくしている。
『日向国神祇史料』によると、祭神二座とあり、明治5年、北神社に合祀されたときの祭神は、『日向地誌』では大山咋命があげられている。電話番号(0987)72-2442郵便番号889-3534住所串間市大字大矢取164番地の3