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宮崎県の神社

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  • 小八重神社(こばえじんじゃ)

    小八重神社(こばえじんじゃ)

    当社は西郷村大字山三箇字小八重に鎮座、旧社号を熊野権現と称した。創立年月日は不詳なるも、棟札に依れば元文五年(1740)とあり今より250年前となる。
     明治四年十一月小八重神社と改称し、同五年村社に列せられる。

    電話番号
    (0982)66-3044
    郵便番号
    883-1211
    住所
    東臼杵郡美郷町西郷山三ケ650番地
  • 野々尾神社(ののおじんじゃ)

    野々尾神社(ののおじんじゃ)

    当社はもと今宮八幡神社と称し、延宝三年十二月の創建と伝える。明治四年十一月、字島戸鎮座三島神社(祭神・大山祇命)字持田鎮座天神社(祭神・国常立命)字長岐鎮座天満神社(祭神・菅原道真公)を合祀して野々尾神社と改称、村社に列せられた。

    電話番号
    (0982)66-2696
    郵便番号
    883-1211
    住所
    東臼杵郡美郷町西郷区山三ケ4691番地
  • 尾佐渡神社(おさわたりじんじゃ)

    尾佐渡神社(おさわたりじんじゃ)

    本社は永正年間に八村大明神として鎮座。領主内藤氏の尊信篤く、以来尾佐渡の産土神として祭祀を怠ることなく、明治十五年より今日まで、毎年例祭に夜神楽の奉納を続けている。

    電話番号
    (0982)66-3044
    郵便番号
    883-1211
    住所
    東臼杵郡美郷町西郷区山三ケ2561番地ノ乙
  • 上円野神社(うえんのじんじゃ)

    上円野神社(うえんのじんじゃ)

    本社は寬永十八年辛巳年(1641)の創建であって旧愛宕神社と称した。明治四年十一月他の神社を合祀して、現在の社名に改め、翌五年村社に列せられた。
     七月七日の田代神社の御田祭と同神社例祭には、田代神社より御神幸がある。

    電話番号
    (0982)66-3011
    郵便番号
    883-1101
    住所
    東臼杵郡美郷町西郷区田代2221番地イ
  • 水清谷神社(みずしだにじんじゃ)

    水清谷神社(みずしだにじんじゃ)

     当社は、小丸川の支流水清谷川流域に位置し、周囲は九州山地の高山に囲まれている。地名の由来は、水清谷川の谷の入口に「みずし」の木が立ち並んでいたことにちなむという。旧称天神社と称し、第三六代孝徳天皇(645~654)神祗官、大政官、国司郡司に命じて国郡に神社を創立せしめ、天神地祗を祭らしむその時の鎮座なりと伝える。
     祭神天水分を祀り、第百五代後奈良天皇の天文十九年庚子年(1550)改築する。その後、棟札によれば、安永七年(1778)、文化八年(1811)に再興されている。明治四年、元鎮座、字囲・八幡神社(祭神・品陀和気命)字囲・古守神社(祭神・須佐之男命、稲田姫命)字猪之原・稲荷神社(祭神・大気津姫命)字小又・元森神社(祭神・大山祗命)字猪之原金比羅神社(祭神・金山彦命)を合祀し、同年社格「村社」に定められ水清谷神社と改称する。
     当社では、毎年、旧三月十一日、明治の頃より、本年二十歳になった氏子成人者の成人奉告健康祈願祭を地区行事として行い、当日、本人(本人不出者は親が代理)役員が酒肴を持ち集り社殿において式典、神楽、直会等を行っての成人祭が行われている。
    境内には300~400年の大杉が林立している。

    電話番号
    (0982)59-0085
    郵便番号
    883-0301
    住所
    東臼杵郡美郷町南郷区水清谷10-1
  • 神門神社(みかどじんじゃ)

    神門神社(みかどじんじゃ)

    当社はもと神門(三門)大明神と称し、養老二年の創建と伝える。特殊な神として百済の禎嘉王を合祀している。社殿によれば、天平勝宝八年(756)百済大乱により禎嘉王一族日本に逃れ、二年後美々津金ヶ浜に上陸し神門に留り澄んだが、追討軍があり次王子華智王は東郷町伊佐賀にて戦死(伊佐賀神社合祀)、禎嘉王は矢傷が元で崩じ塚原に葬り当社に合祀したとある。なお、妃は高鍋町鴨野大年神社に合祀、王子福智王は木城町比木神社に合祀している。明治四年田爪若宮八幡神社、落原地主神社、仮屋愛宕神社、黒岩天満神社を合祀し、神門神社と改称、翌五年郷社に列せられた。さらに大正二年には境内三社を合祀した。
     宝物として禎嘉王が持って来たといわれる須恵器の甕や有馬公寄進の甕の他、古鏡三十三面、板絵著色観音菩薩御正体、馬鐸、馬鈴等を有している。中でも古鏡三十三面は、漢・隋・唐式鏡から平安以降各時代の鑑鏡で、すべて出土の痕跡のない伝世鏡として、応永八年(1401)神門大明神社御正体として描かれた板絵著色観音菩薩御正体とともに、県の有形文化財に指定されている。
     当社の特殊神事に師走祭りがある。王の眠る神門に王子や王妃らが訪れ、年に一回の対面をして親しみ合うもので、旧十二月十四日より九泊十日で行われていたが、現在は二泊三日の行程になっている。伊佐賀神社で比木神社を出迎え出合神楽を奉納、その後禎嘉王の御陵である塚原を三周し、神門に到着。当社鳥居前に至り祭典・神楽奉納をし、本殿に両祭神奉鎮する。翌日、御衣替えののち、禎嘉王を助け協力した土地豪族どん太郎の森塚(県指定文化財)に行き、将軍舞、山宮社で田植え神楽を奉納し、小丸川では野焼きとお洗濯の神事がある。夜は夜半過ぎまで高鍋神楽が奉納される。最後の朝は、古式の食事をし、別れを惜しんで墨(現在は白粉)を顔につけ合い御還幸となる。見送りの人等は炊事用具を持ち「オサラバー」と見えなくなるまで見送る。比木神社が神門に着くのを「上りまし」帰るのを「下りまし」という。
     その他、十月十七日の例大祭には臼太鼓踊りが奉納される。

    ○神門神社本殿(国指定重要文化財:平成12年12月4日指定)
    棟札より寬文元年(1661)の建立と考えられ、自然石の礎上に建つ、宮崎県内唯一の七間社流造で、平面は身舎のうち桁行五間・梁間二間を板敷の内陣とする。屋根は厚板葺目板打で、正面・背面とも段違いとする。
    簡素で装飾の少ない流造であるが、類例の少ない平面形状に特色がある。本殿各部の形式や意匠は、一部変更はあるが旧規が明らかである。
    中世的な技法や要素を残しながら、近世の手法も備えたところに特徴があり、九州南部に於ける本殿建築の発展を知る上で重要である。

    電話番号
    (0982)59-1134
    郵便番号
    883-0306
    住所
    東臼杵郡美郷町南郷区神門68番地・69番地2
  • 渡川神社(どがわじんじゃ)

    渡川神社(どがわじんじゃ)

    境内には樹齢350年といわれる夫婦杉、夫婦イチョウの木がある。秋季例大祭には神楽、臼太鼓が奉納され区内外より多くの参拝者が訪れる。
     当社は元禄四年十月二十八日の創建にして、平田(幣田)大明神と称した。安永七年(1778)文化八年(1811)の棟札を有している。明治四年十一月字今村鎮座正軍八幡社(祭神、品陀和気命)上古園鎮座天神社(祭神、菅原道真公)中渡川鎮座鹿倉社(祭神、大山祗神 倉稲魂命)を合祀して渡川神社と改め、翌五年村社に列せられた。更に大正二年十月樫葉鎮座白水神社(祭神、弥都波能売命)を合祀した。
     当社には、天正の頃大友宗麟が戦いに勝った時の戦捷の喜びとしたのがその始まりと伝える臼太鼓踊りは九月の秋祭りに奉納される。また、十一月の大祭には、神楽三十三番が奉納される。

    電話番号
    (0982)59-8324
    郵便番号
    883-0303
    住所
    東臼杵郡美郷町南郷上渡川1409番地イ
  • 鬼神野神社(きじのじんじゃ)

    鬼神野神社(きじのじんじゃ)

    本社は寛永7年(1630)平家残党の追善供養のため、平家の祭神市杵島姫命を祀ったのが創建という。文化5年(1808)11月の棟札1枚を有する。神田明神と称せしを明治4年11月、八幡神社(字小村鎮座・祭神、息長足姫命)天満社(字市谷鎮座。祭神、国常立命)若宮社(字田出原鎮座・祭神、伊弉那岐命)稲荷社(字折立鎮座・祭神、保食命)この4社を合祀して、鬼神野神社と改称し、社格村社に定められる。明治40年2月、神饌幣帛料供進社に指定された。
    例祭日には、神楽、臼太鼓踊が盛大に奉納される。
    昔当地は深い草地で秋冬になると黄色い野原になることから黄地野といわれ、それが転化したものとも、あるいは雉が多くいたことから雉野と呼ばれ、鬼神野と書き改められたとも伝えられる。

    電話番号
    (0982)59-80728
    郵便番号
    883-0304
    住所
    東臼杵郡美郷町南郷区鬼神野2320番地
  • 田野神社(たのじんじゃ)

    田野神社(たのじんじゃ)

    当社は、古来の伝説によれば、天文二十一年(1552)田野集落に悪病流行し、集落民ほとんど病臥しその上食糧の不作が続き、集落民餓死寸前に至り、時の弁差士集落民を集め妙見神社を祭り、毎年旧暦十月二十五日を例祭日とし盛大に祭祀を行うようになったと伝える。その後社殿が老朽化したので、現在地に鎮座地を移転、昭和十一年に社殿を新築した。当地には火照命が鎮座されていたが、妙見神社移転新築と同時に当社に合祀され田野神社と改め、祭日も十一月二十三日となる。

    電話番号
    (0982)69-3435
    郵便番号
    883-0105
    住所
    日向市東郷町山陰己1052番地丙
  • 天神社(てんじんじゃ)東郷町

    天神社(てんじんじゃ)東郷町

    当社の由諸沿革について古老は「往古より人民ら少彦名命・大山祗命の二柱を斎きまつる本社を、篤く尊崇し奉り来りしが、永禄三庚申利(1560)社殿を改造して、十一月二十四日遷宮式仕えまつりし以来、十一月二十四日を大祭日と称して、毎年盛んなる祭典式を仕え奉り来れり。天正年間(1573~91)豊後国の大友宗麟日向国に乱入の際、社殿及び宝物、古文書類等兵火にかかり、ことごとく皆焼失せしなり」と言い伝えている。『日向地誌』によれば、祭神は少彦名命・大山祗命を合祀す、とある。
     所蔵の棟札によれば、延享二年、寛延庚午年、明治四年、明治七年に再興されている。

    電話番号
    (0982)59-0590
    郵便番号
    883-0213
    住所
    日向市東郷町下三ケ1483番地
  • 福瀬神社(ふくせじんじゃ)

    福瀬神社(ふくせじんじゃ)

    当社社宝とする棟木に養老元年(717)の文字が見えたが腐蝕甚だしく判明できない。天文三年(1524)十一月代官天氏弘吉が再興して社殿を営んだ。しかしこの社地は洪水毎に流失するので永禄三年(1560)二月現在地に遷座した。創建以来890年余年崎山字に鎮座された。以来400余年を経て今日におよんでいる。その間度々社殿の改築をみたが、就中永禄三年の神社改築に当っては伊藤義益(義祐の嫡男)は武運長久を祈願して神殿一字を奉献建立した。此の神殿は昭和四年(1926)の改築に至る迄390年余年間神殿としてあったもので、現在境内神社八坂神社の神殿として保存され藩主の定紋を止めている。以来大名武人の信仰厚く、天正四年(1576)十二月代官天氏弘実上屋を営み、享保五年(1720)十一月川越諸左衛門花崗岩鳥居を建立。寛政九年(1797)上屋改築、弘化三年(1846)十一月拝殿を延岡内藤能登守政義が寄進し、明治四年(1871)神殿表屋改築を内藤備後守政挙が寄進し、昭和四年現神殿の改築を以て今日に至る。天正の兵乱により社殿が損壊し、宝物を失った。更にその後の文書類も明治十年の役に福瀬神社地周辺が薩軍の屯所だったため兵火の中心になり散逸してしまった。
     明治初年頃まで「白鳥大明神」と称したが、明治四年十一月他の神社を合祀して現在の社名に改め、明治四十年二月、神饌幣帛料供進社に指定された。

    電話番号
    郵便番号
    883-0101
    住所
    日向市東郷町山陰乙2014番地
  • 坪谷神社(つぼやじんじゃ)

    坪谷神社(つぼやじんじゃ)

    本社は、天正6年(1578)豊後臼杵の城主大友宗麟の兵火にあい一切を焼失、一時廃社となるも、後に社掌の祖先である日高蔵人丞が再興した。古来村民天満宮を尊崇し、天満大自在天神社天満宮と称したが、明治初年坪谷神社と改称した。
    元禄10年(1697)、享保9年(1724)4月、寛保2年(1742)12月再興の棟札がある。

    電話番号
    (0982)69-7868
    郵便番号
    883-0211
    住所
    日向市東郷町坪谷955番地
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