宮崎県の神社
-
浦尻神社(うらしりじんじゃ)
市の北東部日向灘をのぞむ浦尻湾側に位置する。もと浦尻と記していたが、中世浦尻城ができてより浦城町と改めたという。
当社は、永正十一年(1514)松田栄清の創建したもので、若宮神社と称していたが、永正年間に大友氏と当時の領主松田氏との戦いの際、その兵火により古書類、全て焼失したと言う。しかし、勧請は康応、明徳の頃との石碑がある。その後度々造営再興が繰り返され、寛永十四年(1637)十月、延宝八年(1680)十月再興等の十三枚の棟札を有する(『宮崎県史蹟調査』)
応永二十一年(1414)十月八日豊後佐伯庄讃岐守大神惟世が神社に奉納した鰐口が現存する。
明治四年十一月、天神社(祭神、国常立命)、愛宕神社(祭神、軻遇突智命)、地神社(祭神、大己貴命)を合祀して浦尻神社と改称し、同五年村社に列せられた。電話番号(0982)43-0050郵便番号882-0095住所延岡市浦城町96番地 -
島野浦神社(しまのうらじんじゃ)
市の北東部南北浦海岸の福崎の東方海上約1.5㎞にある島野浦島内に鎮座する。
創建年月日は詳らかでないが、綿津見命を祀り、旧称を八竜王ともいい、綿津見神社とも称していた。
「島野浦沿革誌」では、正徳三年(1713)十一月五日と記す。その存在が確認できる最も古い記述は、延岡藩主が牧野氏から内藤氏へと交替した、延享四年(1747)に作成された「神社拝殿森境内書上帳」で、八大龍王を中心に、愛宕・塩釜大明神の三社を祀っている。
社殿は、天明元年(1871)正月晦日に発生した火災により、島内四十一軒の住宅と共に焼失したことが知られるが、いつの頃か再興され、明治四年十一月、字地下の恵比須神社(祭神、事代主命)、字地下の厳島神社(祭神、厳島姫命)、字白浜の愛宕神社(祭神、軻遇突智命)、字白浜の塩釜神社(祭神、塩土翁命)を合祀して、島野浦神社と改称し、村社に列せられた。
現存する社殿は明治二十年、再び火災のため社殿が焼失したが、拝殿の屋根を支えるように彫刻された力士の姿などからなる。明治二十九年の再興部分と、昭和五十六年(1981)の改築部分からなる。拝殿の社号標は、旧延岡藩主・内藤政擧が記したものである。電話番号(0982)43-0050郵便番号882-0096住所延岡市島野浦町観頭549番地 -
須怒江神社(すぬえじんじゃ)
市北東部、日向灘をのぞむ日豊海岸国定公園に属する。もと須怒江と記していたが、現在では須美江と称し、県北一の夏のレクリエーション地になっている。
当社は、もと天神社と称し、天正十六年(1588)八月頃の創建とも言われている。
明治四年十一月、字樋ノ口鴟尾神社(祭神、大山祇命、大神惟治霊)を合祀し、須怒江神社と改称し、村社となった。
大神惟治霊は、大友家に謀反の疑いで追われ、北浦町で自刃した佐伯城主を祀ったもので、北川町などでも根強い信仰があるといわれている。電話番号(0982)43-0050郵便番号889-0321住所延岡市須美江町樋口100番地 -
天下神社(あもりじんじゃ)
古来、天下大明神と崇めて、日向国五郡八院之分旧元集臼杵郡六大社の一つであって、天下天神社とも称した。
神徳は著しく、氏子の崇敬心は非常に篤く深いところで、天保七年(1836)六月延岡藩主、内藤能登守政義公が現在の社殿を再建した。
明治四年新政により、吉野鎮座の
水谷大明神(祭神・水波女命)
稲荷神社(祭神・倉稲魂、大田命、大宮姫命)
今山八幡社(祭神・品陀別命、息長足姫命、足仲彦命)
若宮八幡社(祭神・足仲彦命、品陀別命、息長足姫命)
北山明神(祭神・水波女命)
北山神社(祭神・大山津見命)
稲荷神社(祭神・倉稲魂命・大田命・大宮姫命)
を合祀して、村社に列せられ、昭和四年九月神饌幣帛料供進指定神社となり、現在に至る。
地内には、縄文から古墳時代とされる今井野遺跡や国史跡の南方古墳の一部が散在する。
また、境内には柄鏡式古墳および光福寺址が境内の南側にあり、宗派は不明であるが、土持氏の祖先四名の霊を供養して文明十四年(1480)にたてた供養碑がある。電話番号(0982)21-4525郵便番号882-0071住所延岡市天下町709番地 -
三輪神社(みわじんじゃ)
本社は上古、大己貴命、豊葦原を巡狩して国家を経営される時、この地に来られ住まわれた、その処を青谷城山(あおぎやま)と言う。
此処に後人が命の幸魂、奇魂を祀って青谷城神社と尊称し、後に三輪大明神と号した。
吉野、天下等にも神領があり、霊験赫灼として守護されたが、余りにも村里にも離れていたため、高角折原という処に社殿を遷し、神戸神地を寄進して人々が広く厚く崇敬した。
元正天皇の御宇、大神大納言惟資卿が当国の守護となったが、三輪明神は大神氏の祖先であるので、深く本社を崇敬し、養老二年六月二十五日知門瀬前川原と言う所に宮地を卜し、神殿、拝殿、舞殿、楼門、鳥居等を修繕して大明神を遷座し、社運隆盛を極めた。依ってこの時を神社勧請の人定めたと言う。
その後、兵乱打続き、社殿も兵火に遭って焼失し、神宝、旧記等悉く烏有に帰して、久しき年月の間に野原と化してしまっていた。
三輪の里人等はこれを歎き、古の遙宮所(らんびどころ)に社殿を設けた。これが現在の三輪神社であって、明治四年大年神、宇食持命、罔象女命、市杵島姫命を合祀して三輪神社と改称し、村社に列せられた。明治三十九年四月神饌幣帛料を供進すべき神社として指定された。
本社は一郷の大社として、国司郡司の祈願所となり、天文年間の間は松尾城主、土持日向守親佐、同弾正少弴親成、寛永寛文の頃は有馬左衛門佐直純、同左衛門佐康純、それより下って延享の頃には延岡城主牧野備後守貞通、宝暦以降にいたっては内藤能登守政陽、同備後守政脩、同備後守政順等の各城主が社殿の再興、修築を行い、極めて崇敬深い御社であった。電話番号(0982)32-2520郵便番号882-0883住所延岡市三輪町1065・1066番地 -
永田神社(ながたじんじゃ)
市の中央部、市街地の西方で五ヶ瀬川北岸に位置し、地内西端には文安元年(1444)に土持全宣が創築した松尾城跡がある。土持氏はこの城にいること六世で、天正六年親成の時大友宗麟と戦って敗れ滅亡したという。この松尾城跡の東方に当社は鎮座する。
天平勝宝二年十月に勧請し、古来、善神王社と称していたが、明治四年神社改正の際、永田神社と改称し、明治五年村社に列せられた。
祭神武内宿禰命は神功皇后の功臣で品陀別命(応神天皇)など五朝に奉仕し、長命の人として知られ、鳥取県の宇部神社(もと国幣中社)の主祭神としてのほか、各八幡宮に祀られている。豊前国宇佐八幡宮大神を今山に勧請した際に立ち寄られ、一時遷座されたこの松山の地に、随神武内宿禰命を産土神として祀ってきたと言う。電話番号(0982)34-5623郵便番号882-0062住所延岡市松山町1171番地 -
小峯神社(こみねじんじゃ)
当社の創建は大同二年三月と伝えられ、市杵島姫神社と称し、また弁財天とも称していた。
明治四年十一月二十九日南方邑大字南方小字春於呂志に鎮座の八幡神社(祭神品陀和気命、足仲彦命、息長足姫命)を合祀して、社号を小峯神社と改称し、明治五年村社に列せられた。『日向地誌』によると、同地区に当神社と同じく大同二丁亥創建と伝える真言宗天福寺があり、別当寺だったのではないかとみられている。また、内藤時代には関所が置かれたところとされ、さらに北の山手には登り窯で陶器を焼いた小峰窯跡がある。電話番号(0982)34-5623郵便番号882-0061住所延岡市小峯町6983番地 -
大貫神社(おおぬきじんじゃ)
北を五ヶ瀬川、南を大瀨側が流れる中州の中央部大貫町に鎮座する。地内には、縄文前期の大貫貝塚や浄土寺山古墳、石槨式古墳が散在する。
本社は養老二年(718)の創建で、元熊野大神社、または若一王子権現と称していたが、明治四年、大貫村内文屋輔鎮座の天神社(祭神、国常立命)、丸山鎮座の天神社(祭神、国常立命)、丸山鎮座の雷神社(祭神、別雷命)、浄土寺鎮座の大将軍神社(祭神、大己貴命)、土ノ口鎮座の天神社(祭神、国常立命)、浄土寺鎮座の大明神社(祭神、大年神)、クダンガクボ鎮座の荒神社(祭神、火之加具土命)、柚木薗鎮座の霧島神社(祭神、彦火々出見命)の八柱を合祀し、大貫神社と改称した。明治五年村社に列格、さらに大正七年六月郷社に列せられた。
社地は前方後円式の古墳にして、本殿は後円部に建てられている。社地の脚底には所々に巨石が露出しており、文学博士鳥居龍蔵氏は、築設当時大なる岩石を以て四周を積立てたもので、ケールン式古墳であって、この地方における巨石文化盛行時代のものであるとしている。電話番号(0982)32-2520郵便番号882-0803住所延岡市大貫町1870・187 -
岡元神社(おかもとじんじゃ)
当社はもと、殿村大明神と称していたが、明治四年神社改正の際、字柴竹の今宮八幡神社、字柏田、字柴竹の年神社、字殿村の岡本大明神社、字柴竹の愛宕神社、字柴竹の熊野大明神社、字原、字柴竹の天満神社を本社に合祀して、岡元神社と改称したもので、明治五年村社に列せられた。
電話番号(0982)39-0219郵便番号882-0075住所延岡市岡元町229番地 -
高野神社(たかのじんじゃ)
当社はもと市杵島姫神社と称し、また弁財天とも称していたが、明治四年、天満神社(祭神 菅原道真公)をはじめ四社の祭神を合祀して、高野神社と改称したもので、明治五年村社に列せられた。
電話番号(0982)39-0219郵便番号882-0064住所延岡市高野町212番地 -
鹿越神社(かごえじんじゃ)
当社はもと、年神社と称していたが、明治四年神社改正の際、字平地、字大野、字猪原の天神社、字五領、樫谷の熊野神社、字長谷の若宮大明神社、字大野の年大明神社、字山地の今宮大明神社、字切畑の天満神社を本社に合祀して、鹿越神社と改称したもので、明治五年村社に列せられた。
電話番号(0982)39-0219郵便番号882-0885住所延岡市上三輪3715番地 -
細見神社(ほそみじんじゃ)
本社は元葛城神社と称していたが、明治四年神社改正の際に、天満神社(祭神 菅原道真公)をはじめ、二十社のご祭神を合祀して、細見神社と改称したもので、明治五年村社に列せられ、明治三十九年四月神饌幣帛料供進社に指定された。
一言主命は、奈良の葛城神ともいい、記紀とも雄略天皇の御代、天皇の葛城山での狩猟のとき現れになった神としている。電話番号(0982)39-0219郵便番号882-0076住所延岡市小川町4312番地