宮崎県の神社
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八坂神社(やさかじんじゃ)綾町
当社は「祇園さま」ともいい、明治二十二年当時の氏子総代より県知事に提出した届書によると、建立は天正八年(1580)五月、綾地頭上井伝斉が社殿を造営したもので、祭神は素盞鳴命・稲田姫命 八柱 御子神三柱である。社殿は縦二間半、横二間、境内は十一坪である。
当時の神社所在地は立町の中央部旧亜梛駅跡の前の道路の北側であったという。明治四十年社地を立町の東端の現在地に選び移転改築を行った。境内は三畝十四歩で、海野満五郎、橋口財助の寄進によるものであった。本殿は四坪五合、幌屋八坪、神輿は青銅造りで縦三尺、高さ四尺五寸、横三尺、明治二十五年五月新調したものである。鳥居は明治四十一年六月の設立で、横内法七尺五寸、高さ一丈となっている。今でも鳥居、神輿は立派に使用している。電話番号(0985)77-1860郵便番号880-1303住所東諸県郡綾町大字南俣789番地 -
明見神社(みょうけんじんじゃ)
伊東尹祐の時代都於郡の伊東には種々の不祥事が続発した。文亀三年(1503)には旱魃と早霜によって大飢饉となり、翌年永正元年(1504)には都於郡の大火があった。領主尹祐はこの頃から国政を省みず、領民の苦しみをよそに女色にふけって、遂に綾城に悲話の原因をつくった。永正七年(1510)九月尹祐は綾城に立てこもる長倉若狭、垂水但馬を討つため、自ら軍勢をつれて宮原に出陣した。城主長倉若狭らは城を枕に自刃して果てた。尹祐は深く思うところがあり、家臣であった若狭らの霊を弔い併せて伊東家の家運隆昌を祈願して、明見神社を勧請したのであった。明治の初めまでは妙見神社と称していたが、後に明見神社と改称した。
その時に植えられたと云われるイチイガシは、天然記念物として町の指定を受けている。
(樹齢400年 樹高18㍍ 目通り幹廻り5.6㍍)電話番号(0985)77-1860郵便番号880-1301住所東諸県郡綾町大字入野4138番地 -
深年神社(ふかどしじんじゃ)
天正四年(1576)丙子十一月十三日、領主伊東義祐の命により、伊東修理亮藤原朝臣祐青、深年若宮八幡宮を創建し、天穂日命、豊玉姫命を奉祀する。当時、別当沙門成宝寺博舜、摂寺として南泉寺・玉泉寺・井上坊・中原寺・成宝寺・萩原寺を擁し、以来深年の宗廟として崇敬され、内外住民の信仰は篤い。以下当社の沿革について述べると、明和二年(1765)酉三月十三日、深年若宮八幡宮を再興する。天保二年(1831)一月八日、当社火災により炎上する。天保三年(1832)辰九月吉日、当社を再興する。明治三年二月、神社合併の令により、村内霧島原鎮座瓊々杵命・大国主命並びに高野原鎮座倉稲魂命を奉遷合祀し、村社に列せられ、深年神社と改称する。明治十五年四月三〇日、深年神社社殿を改築する。明治四十年二月、神饌幣帛料供進社に指定される。明治四十五年例祭を陰暦九月十五日から十一月十四日に変更し八代村村社となる。昭和五十四年十一月十八日、深年神社奉賛会を結成し、社殿を改築し境内を整備し現在に至る。
境内神社として、大将軍神社(祭神 菅原道真公)がある。
毎年七月二十九日の夏祭には、五穀豊穣を祈願して御神幸や神楽の奉納がある。電話番号(0985)75-5450郵便番号880-1224住所東諸県郡国富町大字深年768番地 -
源王神社(げんおうじんじゃ)
当社は天正三年八月十八日創建と伝える。元、当社は八代川の右岸本庄の内一丁田に接する字源王にあり、人々、源王様とも称したが、祭典その他氏子居住の地区と川を隔てているため、不便な点が多いということで、元禄六年(1693)秋月種政公により現在地に遷座されたと伝える。明治初年源王神社となり村社に列せられた。
『日向地誌』には「前田にあり、伊佐生神社、村社なり」とある。電話番号(0985)75-4334郵便番号880-1221住所東諸県郡国富町大字伊佐生83番地 -
諏訪神社(すわじんじゃ)国富町
古くは諏訪大明神と称した。天禄二年(九七一)七月二十七日、信濃国諏訪郡より現在の伊佐生森田に勧請された。以来、軍神として領主・領民より篤く信仰された。その後、大永三年(一五二三)癸未初秋吉日、伊東伊祐、祐長によって再興された。
その後、島津氏が日向全土を支配していた天正十三年(一五八五)乙酉七月二十七日に、武将福島佐渡介秀安の申し出により、郷中の約三〇〇名の人らが伊佐生森田から現在地に崇祀し、領主の武運長久、郷中の繁栄を祈願したと伝える。
この遷座を記念し始まったと伝わるこの地は、湧水豊な所であり神鎮まりますにふさわしい所、生活・農耕等に欠かすことのできない水を守り、汚されぬように神を奉ったとも云える。
同年七月二十七日銘の棟札には、「嶋津頭藤原朝臣義久武運長久国土安太諸願円満之故」とあり神社に残っている。
藩政時代、嶋津氏より崇敬され代参や神領の寄進があった。
八代村北俣の氏神社でもあり、北俣神社と称したが明治維新後、郷社に列す。その後、諏訪神社と改められた。※バラ太鼓踊り(県指定民俗芸能無形文化財、昭和37年指定)は、例祭当日、三軒宿と呼ばれる中別府三家からバラ太鼓踊りの行列が出発し、道鉦を鳴らしながら神社前につき、正午を合図に「お諏訪」と「大将軍」の二庭を納める。二日目は直会の後、「納め」の三庭が踊られる。
・歌詞は「お諏訪に参りて見てやれば四方泉水あらみごと」、「東のおもてを見てやれば杉に芭蕉に川菖蒲」などと祝意の歌詞。電話番号(0985)78-1668郵便番号880-1222住所東諸県郡国富町大字八代北俣2230番1 -
川上神社(かわかみじんじゃ)
淳和天皇の御代天長八年(831)辛亥九月十五日、肥後国佐賀郡川上村鎮座の川上大明神より、御祭神淀姫命(與止女神)の神霊を旧八代村宮田の地に勧請し鎮座した。旧称川上大明神という。その後天明八年(1788)戊申八月十六日、日向国高岡郷浦之名鎮座の川上大明神より神功皇后他八柱の神霊を合祀する。
棟札によれば、文明四年(1470)三月二十七日藤原(伊東)祐堯同祐国公、永正六年(1509)十二月十八日藤原尹祐公、天文十九年(1550)藤原義祐公より造営再興が繰り返されており、都於郡城主伊東氏の厚く尊崇する神社であった。明治九年六月十八日旧八代村宮田の地より、現在の川上の地に遷宮鎮座、川上神社と改称し、明治四十年二月神饌幣帛料供進社に指定された。
境内神社には、肥後の菊池より勧請と伝える大将軍神社(祭神 武甕槌命、経津主命、大山祇命)がある。
特殊神事としては、例祭日の神楽、秋祭りには五穀豊穣の感謝の意味をこめ、氏子たちが踊りを奉納する。
○御社殿について
昭和十五年二月二十日、新しく御造営なされたのでありますが、六十年余りの年月を経る間に老朽化がすすみ、また白アリの被害も目立つほどになり、幾度となく話し合いをなし、平成十二年九月、建設委員会を設立し、同年十月、氏子二百八十八戸の同意を得て、一戸当り拾万円を出資していただき拝殿のみ改修という事で決定したのであります。
平成十四年十一月 改修奉告祭(秋の大祭後)
平成十五年十一月十四日 竣工祭(秋の大祭にあわせて)電話番号(0985)75-8267郵便番号880-1223住所東諸県郡国富町大字八代南俣2087番地 -
市野神社(いちのじんじゃ)妙見神社
通称妙見神社と呼ばれる。詳細不詳。
電話番号(0985)75-6544郵便番号880-1106住所東諸県郡国富町大字森永4287番地 -
菅原神社(すがわらじんじゃ)国富町
宮田氏一族の氏神として太宰府天満宮を勧請した事に始まる。棟札に正和三年(1314)丙十月吉日奉天神拝殿以下不明の文字がある他、終戦の混乱により古文書散失して詳細不明。昭和二十七年六月九日、宗教法人法による設立登記をし、現在に至る。
電話番号(0985)75-8806郵便番号880-1108住所東諸県郡国富町大字須志田1777番地 -
森竹神社(もりたけじんじゃ)
国富町の南部、本庄川下流域左岸に開けた平地である字森永平城に鎮座し、もと大王大明神と称した。その後、森永(守永)神社と改称し、村社に列格され、明治四十年二月、神饌幣帛料供進社に指定された。大正二年六月二十二日もと村社竹田神社、及び田之神社を合祀して、竹田との境付近に遷座、現社名森竹神社と改称した。元禄四年(1691)の棟札があることから、それ以前の創建と思われる。
現在の社殿は、昭和五十一年十二月八日改築落成されたものである。
境内神社として、八坂神社(素盞鳴命、大己貴命、稲田姫命)、大土神社(猿田彦命)がある。電話番号(0985)75-6544郵便番号880-1106住所東諸県郡国富町大字森永1727番地 -
大土神社(おおつちじんじゃ)
当社度重なる火災によって焼失、そのつど再建縮小、現在は六回目であると伝えるが詳細は不明である。昭和二十七年六月九日宗教法人法による設立登記をし、今日に至る。境内神社として昆虫神社がある。
電話番号(0985)75-8806郵便番号880-1108住所東諸県郡国富町大字須志田1157番地 -
宇津野神社(うづのじんじゃ)
由緒は不詳であるが、宇賀魂命・経津主命・武甕槌命三柱は本庄町字川床に鎮座の深島神社と称していたのを、明治三年二月神社合併の際当社へ合祀したものである。『高岡名勝志』には文禄三年(1594)に社殿建立の記事が見える。
電話番号(0985)75-2259郵便番号880-1104住所東諸県郡国富町大字田尻442番地 -
御年神社(みとしじんじゃ)国富町
本庄川下流右岸に開けた農業地帯である大字向高前田に鎮座し、五穀豊穣を祈る年神を祀る。また、御年神、若年神は百日咳病に霊験あらたかなことから、参拝の絶えることがないという。『日向地誌』によれば、諸県郡高岡郷向高村・御年神社として「村社なり 前田にあり 社地五畝二十三歩旧称年野大明神と云 明治の初今名に改む例祭陰暦九月九日」とある。また、『高岡名勝志』には文禄四年(1595)向高平大明神社一宇造立の棟札を収めるという記述があることから、この頃の勧請とも思われる。『日向国神祇史料』によれば、同村字大坪に鎮座していたところ、明治三年二月、地内の秋葉神社(祭神 火産霊神)、大将軍神社(祭神 経津主命、武甕槌命)を合祀し、同村前田に遷座したとある。
電話番号(0985)75-6544郵便番号880-1105住所東諸県郡国富町大字向高175番地