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宮崎県の神社

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  • 菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町上江6765-93

    菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町上江6765-93

    口伝に依れば天正年間豊後の国主大友宗麟、日向地に乱入の際数多の社、民家等を焼払った時、当神社も火災にあい宝物古器物、古文書等悉く焼失したと言われている。
    当社の歴史は古く、現在保管されている古文書中に記されている棟札に、奉再興天神宮一宇、施主市野山村中、大工金澤氏丈長、裏には大檀那種政公、宝永丙戌園霜月廿五日とある。従って宝永年以前の創立は明らかである。
    明治四十二年三月三十日、大字上江字中尾に鎮座の無格社、愛宕神社(迦具土大神)と境谷鎮座の牧神社を大字上江字市ノ山六千七百七拾七番地に鎮座の菅原神社に合祀する。
    地方庁の許可により大正三年九月十四日に前記菅原神社を松尾国蔵氏所有の山林を御奉納いただき、現在地の大字上江字市ノ山六千七百六拾番地ノ九拾三に御遷宮申し上げる。
    昭和四十五年秋大字上江新山(新山墓地の南隣)に祀られていた菅原の大神を合祀する。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0006
    住所
    宮崎県児湯郡高鍋町大字上江6765-93
  • 宮田神社(みやたじんじゃ)

    宮田神社(みやたじんじゃ)

    当神社の創建は古く天和年間以前の勧請と思われる。藩政時代には藩より神領等の一切を寄進賜った。時の藩主秋月種信公以来廃藩に至る迄二百年余神領七石二斗その他祭典費の一切を賜った。
    当神社は別段の格式をもち藩公の尊崇尤も厚く、例祭等の祭典には勿論、水旱、疫病等の祈願に於いては御直拝、或は代参ある等藩内の守護神としての信仰があった。
    古来より続けられている比木神社お里廻り(御神幸祭)の節は夜を徹して渡御が行われ其の盛儀を拝し近郷の氏子、崇敬者も列を並べていたが、御輿の担ぎ手や経費等の都合も重なり御輿は車を利用するので、時間は短縮化された。一泊されていた比木サンも、昭和三十五年頃から昼間の二時間ぐらいに短縮されたと古老等は寂しそうに語っている。
    宮田川の流れの変更に依り神社の立退きと共に昭和五十七年十月二十七日現在地にご遷座、今日に至っている。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0003
    住所
    児湯郡高鍋町大字南高鍋6780番地
  • 菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町上江3766

    菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町上江3766

    現存する書面に依れば宝永年間依然の勧請といわれ比木神社の大年御神幸(呼名を大年下りという)には必ず御旅所としてお立寄りの御事ありて今なお近郷よりの参拝者が多い。
    第119代、光格天皇の御代、寛政十二年三月二十五日社殿を改築。
    明治四十二年三月十八日地方庁の許可に依り無格社愛宕神社(火産霊大神)を合祀する。
    明治四年一月十五日地方庁の許可により同年四月二十五日、祝詞殿、拝殿を改築する。
    昭和三十八年十一月二十三日、本殿を改築遷座する。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0006
    住所
    児湯郡高鍋町大字上江3766番地
  • 熊野神社(くまのじんじゃ)高鍋町

    熊野神社(くまのじんじゃ)高鍋町

    本社は治承四年(1180)児湯郡長谷住、宇治弥平太兼通の時、長谷三所権現を移転遷宮した記録が寬文、延宝年間のものに見られる。社殿は文明より寛政八年まで二度再興し、現在までの社殿は、嘉永年間の改築にて、老朽化甚だしい為、昭和五十八年十一月氏子の総意を以て新築再興した。

    電話番号
    (0983)33-3452
    郵便番号
    884-0003
    住所
    児湯郡高鍋町大字南高鍋12026番地の1
  • 火産霊神社(ほむすびじんじゃ)

    火産霊神社(ほむすびじんじゃ)

    当社の創建は不詳であるが、寛保二年(1742)九月再興の記録があることから、それ以前と思われる。古老の口伝によれば、高鍋の町筋は度重ねての大火に煽られるので、たまりかねた町民は、祇園様と一緒に祀られていた火産霊の大神様を勧請、平穏さを取り戻したと伝える。それより後、町民等は「こうじんサン」と呼び、今日も厚く崇め奉り肩をすり並べての参拝者もなお多い。
    明治四年村社に列格、同三十七年中川助三、渡辺新六、久保田鶴次の三名心を同じくして、佐土原町愛宕神社に伝わる大鼓台を真似造り、火産霊神社の祭りに奉納した。境内神社として稲荷神社(祭神、宇迦魂命)、事代主神社(祭神、事代主命、大国主命)がある。
    高鍋町商店街の中央に鎮座する当社の夏祭りは、七月二十六、二十七日の二日間にわたり行われ、鉢巻姿の若者に担がれた大鼓台が町内を練り歩く雄壮な祭典である。

    電話番号
    (0983)35-3499
    郵便番号
    884-0001
    住所
    児湯郡高鍋町大字高鍋町608番地
  • 刀比羅神社(こんぴらじんじゃ)南高鍋

    刀比羅神社(こんぴらじんじゃ)南高鍋

    大正元年八月三日無格社に列格、火産霊神社の氏子がお祀りする神社である。
    風光明媚な高台に鎮座され霊験あらたかな神様としてお祀りされている。

    電話番号
    (0983)35-3499
    郵便番号
    884-0003
    住所
    児湯郡高鍋町大字南高鍋6411番地
  • 八坂神社(やさかじんじゃ)高鍋町

    八坂神社(やさかじんじゃ)高鍋町

    当社はもと道路小路の南(元祇園、今の道具小路南公民館の近辺)に火産霊神社と一緒に祀られていたが、度重なる街筋の大火の為、災難除、厄除、開運等の守神として、慶長十三年(1608)現在地に遷座、「祇園さ」と呼ばれ、町民に親しまれてきた。
    旧藩主秋月氏並に領民共に厚く尊崇する社で、藩主より神領高十五石、例年要する祭典米、社殿造営、その他一切の費用が寄進され、六月十四日の祭礼には藩主の代参があった。明治初年高鍋県となり、祭典料米二石五斗、祠官給米三石、社当給与米二石が寄せられていたが、維新の改革により全廃となった。明治四年十一月高鍋町外四ヵ村の郷社となる。
    特殊神事として連合大神事がある。高鍋町八坂神社、愛宕神社、木城町比木神社、川南町白鬚神社、平田神社、新富町三納代八幡神社の六社連合の大神事で、六年に一度廻り来る。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0003
    住所
    児湯郡高鍋町大字南高鍋824番地
  • 菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町北高鍋4545

    菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町北高鍋4545

    元、菖蒲池天神宮という。同神社の『菅原神社系図』によると、延徳三年(1491)11月28日の財部城主財部太郎権守田部朝臣財部大明神縁起に、「土持田部興綱、財部太郎権守大宗綱公菖蒲池天神宮勧請延徳三年辛亥十一月二十八日」とある。その後大永六年(1526)12月16日源朝臣為由が再興し、寬永十一年(1634)6月18日大宮司湯前平右衛門造営、享和四年(1719)10月黒木重寬建立、大正十四年(1925)再造営と記されている。

    電話番号
    (0983)22-2700
    郵便番号
    884-0002
    住所
    児湯郡高鍋町大字北高鍋4545番地
  • 立花神社(たちばなじんじゃ)

    立花神社(たちばなじんじゃ)

    由緒不詳、元霧島大神を祀る。天正年間(1575)に豊後領主、大友宗麟日向乱入時には社殿ありと云い伝える。天保四年(1833)『神名帳』、同五年の『高鍋藩寺社帳』、『比木寺社帳』に霧嶋(島)大権現(宮越村)とある。明治四年村社列格。『神名帳』、『日向国神社纂記』二ノ巻、『日向地誌』には霧島神社とある。明治四十一年(1908)四月二十一日、下宮越鎮座若宮神社(若宮大明神)小丸鎮座菅原神社(栗野原天神)畑田鎮座伊勢神社三社合祀、翌四十二年九月十八日、立花神社と社号変更す。昭和二十年、枕崎台風にて全壊、以後仮社殿にて祭礼斎行昭和五十四年七月、現社殿造営相成る。

    電話番号
    (0983)22-2700
    郵便番号
    884-0002
    住所
    児湯郡高鍋町大字北高鍋980番地
  • 毛比呂計神社(もひろげじんじゃ)

    毛比呂計神社(もひろげじんじゃ)

    小丸川河口近くの右岸と宮田川下流の右岸とに挟まれた、沖積地北高鍋の中津留に鎮座する。当社の由緒は、孝謙天皇の御宇、百済に福智王という人あり、乱のためにその父貞嘉王と日本に奔った。始め安芸の厳島に至り、のち児湯郡蚊口浦に来たり、海水に霑した衣冠束帯等を石の上に置いて乾かした。そこでここを毛比呂計(裳拡け)といい、神社を創建したのが始まりと伝える。また、付近に石船という地名があり、彼等一行の船が没したのでこの名がついたと伝える。
    棟札によれば、永享十二辛酉(1440)三月、田部金綱により再興され、その後、永禄十年正月再興、寬永元年十二月種孝公により再興、慶安二年十一月種春公により再興、貞享二年十月再興、寬永七年三月種政公により再興、享保十一年九月種弘公により再興、文化十一年種任公により再興されるなど、歴代領主からも篤く尊崇された社であった。明治四年村社に列格し、同四十年二月神饌幣帛料供進社に指定された。
    社名は、『高鍋寺社帳』には裳廣解大明神とあり、『比木寺社帳』には級纊大明神と記されていたが、現在は毛比呂計神社と書いている。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0002
    住所
    宮崎県児湯郡高鍋町北高鍋2015-イ
  • 高鍋護國神社(たかなべごこくじんじゃ)

    高鍋護國神社(たかなべごこくじんじゃ)

    明治元年戊辰の役から大東亜戦争までの戦死者九二四柱を祀る。
    明治二年、戊辰の役に戦しされた官軍戦没者慰霊のため、東京九段に招魂社(現靖國神社)が建立された。各藩でもこれにならい高鍋藩では明治三年、城跡中断の東端に八代を建立し、官祭高鍋招魂社とし戊辰の役戦死者鈴木来助以下十一柱を祀った。初代宮司は飯田清年である。その後逐次神霊を合祀した。昭和十五年紀元二千六百年記念祝典が斎行され、勅令をもって高鍋護国神社に昇格され、現在地にご遷座、昭和三十四年四月護国神社改築奉賛会を設立し、昭和三十八年神殿を改築し現在に至っている。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0003
    住所
    児湯郡高鍋町大字南高鍋6940番地
  • 多賀神社(たがじんじゃ)高鍋町

    多賀神社(たがじんじゃ)高鍋町

    由緒不詳。口碑によれば天正年間(1675)頃社殿ありと伝う。天保四年(1833)『神名帳』には、白鬚大明神とあり、延宝七年(1680)九月二十九日再興、宝暦六年(1756)八月二十二日再興、天明七年(1787)九月吉祥日再興とある。天保五年(1834)『高鍋藩種寺社帳』には、白鬚大将軍(道具小路)とある。明治四年(1871)村社列格、『日向纂記』三之巻、『日向地誌』に、多賀神社とある。明治四十一年(1908)七月十八日、北高鍋字元祇園鎮座無格社八坂神社を合祀する。

    電話番号
    (0983)22-2700
    郵便番号
    884-0002
    住所
    児湯郡高鍋町大字北高鍋1176番地
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