宮崎県の神社
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桑野内神社(くわのうちじんじゃ)
創祀の年代は詳らかではないが「建立の年歴は往古炎焼の砌諸宝物焼失相知不申、先年高千穂主大神氏再興棟札享禄三庚辰年(1530)霜月五日と有之候」」と延享四丁卯年(1747)七月の御書上帖に記してある。神社の創建は更に以前の事で、長禄四年(1460)及永正十八年(1521)二月の桑野内二上社宣命状(十社文書)によってその創建の古さがわかる。本社はもと三ヶ所宮の原の二上大明神の外宮として桑野内宮原迫村鎮座であり、古くから郷民の尊崇厚く、天文六年(1537)の宝物殿再興の時は大般若経を奉安した。此の般若経六百巻は応永十年(1403)より同十三年(1406)の間に書写されたもので豊後玖珠郡長野八幡に奉納されたものであった。その後永享四年(1431)桑野内二上大明神に移されたもので、後、内宮である宮の原二上大明神別当観音寺に移され現在浄専寺に保存されている(町指定古文書一号)。徳川時代の社殿は享保三年(1718)十一月五日再興であった。その後文化十四年(1817)四月より十二月にかけて豊後原浦の名匠槙彦兵衛實光以下十三人の番匠の建築したものであったが惜しくも焼失した。明治四年一村一社の令の時桑野内宮原のとかくに古戸野神社が鎮
電話番号(0982)82-1318郵便番号882-1202住所西臼杵郡五ヶ瀬町大字桑野内36番地 -
古戸野神社(ふるどのじんじゃ)
五ヶ瀬町北部の桑野内上組に鎮座する。同地には、南朝方の忠臣芝原性虎の居館跡、一族の五輪塔や菩提寺跡がある。
古くは熊野三社権現と称し、明治四年古戸野神社と改名した。電話番号(0982)82-0451郵便番号882-1202住所西臼杵郡五ヶ瀬町大字桑野内4668番地 -
三ヶ所神社(さんがしょじんじゃ)
奥宮は天孫降臨の聖地二上山にあり、今は里から祀ることが出来る様に現在地に移転。本殿は、文政元年(1818年)に建立、三間流れ造りで主要部が1本の大欅で作られた総欅造りで74体の彫刻があり、特に脇障子の中国司馬遷の史記物語「潁川に耳を洗う」・正面の海馬2体の彫刻は全国八万数十社ある神社で三社しかないと云われている。
また龍の彫刻も4体あり、日光東照宮の龍にも匹敵すると云われる。他に人物、霊獣、鳥類、植物、自然現象で専門家の調査で九州地方では稀少で全国的に見ても大変貴重なものであると高い評価を受けている。
春祭は境内に咲くしだれ桜300本、石楠花1万本が咲き誇る。春祭は境内に咲くしだれ桜300本、石楠花1万本が咲き誇る。※海馬守
脳の海馬は記憶に関する大切な所です。心理的なストレスは海馬を傷つけて物忘れやさまざまな障害を引き起こすと言われています。正面にある海馬ご守護の彫刻に因んで脳の保護に学業成就・スポーツ成就等に飛躍的な御守です。電話番号(0982)82-1513郵便番号882-1203住所西臼杵郡五ヶ瀬町大字三ヶ所8736番地 -
祇園神社(ぎおんじんじゃ)
創始の年代は詳らかでないが、欽明朝時代といわれ、曾男神蘇民将来・巨旦将来を合祀して祇園社と称し、疫病除け、厄難消除の守護神として知保郷の崇敬者が多かった。その後、文徳天皇の天安元年(857)肥後国曾男神に将五位下を授くと『文徳実録』にあり、祇園神社の曾男神であるといわれている。貞観十一年(869)に山城国八坂神社より素盞鳴大神を勧請して祭祀し、伊弉冉大神、大名牟知大神、奇稲田姫尊を合祀して五穀豊穣の守護神として、郡内並に阿蘇郡内の屈指の神社として現在に至っている。
元久二年(1205)那須大八郎宗久・宗昌参拝し栃の木を植えたと言い伝えられている。天正六年(1578)大友宗麟の兵により当神社他三社は焼失し、宝物文献等が焼失したが、御神体は北の殿に移し、享保五年(1720)まで百四十二年の間、北の殿にて祭祀されていた。享保五年(1720)神殿を再建し、さらにまた天保六年(1835)に北の殿の大ケヤキを以て神殿を再建、六月十五日に遷座祭を斎行したとの文書がある。もともと神殿の屋根は草葺で約十八年毎に葺き替えが行われていたが、昭和五十二年天皇陛下御在位五十年記念並びに宮崎国体山岳競技開始式場記念事業として、氏子崇敬者の寄進により神殿は銅板葺に改修、拝殿は銅板葺に増改修した。現在の社殿がそれで昭和四十九年に町文化財に指定された。『日向地誌』によれば、大己貴命、素盞鳴命を合祀し、旧称祇園大明神といったが、明治四年日陰神社と改めたとある。その後、明治四十三年に、明治四年まで熊野三社権現と称した折立神社(祭神:伊弉冉命、伊弉冉命、事解男命)、冠八面大明神と称した清水神社(祭神:八岐大蛇)、浜妙見と称した長司神社(祭神:水波女命)の三社を合祀し、昭和十年二月祇園神社と改称した。※特殊神事
当社の夏祭は延宝二年(1674)に始まったと伝える、蘇民将来の伝承とかかわりがあるという、荒谷地区の氏子による麦餅焼きがある。また、この地区に疫病が流行したことがあり、その平癒祈願をこめて麦餅を奉納したとも伝える。さらに疫病除けの信仰と結びついた茅の輪と意趣を同じくする森巻きの神事があり、スサノオノミコトの大蛇退治の伝承につながりがあるという。芸能では祇園神楽があり、近郷にその形態の神楽は見られない特殊な神楽である。又棒術がある。これは大車流棒術で神陰流である。それに子供薙刀、また平家の流れを伝える臼太鼓踊りがある。電話番号(0982)83-2008郵便番号882-1201住所西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡6066番地 -
小川平神社(こがわひらじんじゃ)
大宮姫命を五穀の守護神として崇め、今日に至るまで例祭日には五穀を供える。
『日向地誌』によると、旧称今宮大明神天満宮といい、大山祇命、菅原道真を合祀していた。明治四年小社を合祀して小川平神社と改称し、村社に列せられた。電話番号(0982)74-8239郵便番号882-0304住所西臼杵郡日之影町大字分城43番地 -
大川平神社(おおかわひらじんじゃ)
本文 古老の伝えによると、此の所は大山祇命ご鎮座地なるを以て字を大山といい、また命の剣を立てられた所を剣が塚という。天暦二年天児屋根命、菅原道真公を奉斎して大山大明神と称したと伝える。『日向地誌』によると、天児屋根命、菅原道真を祀り、旧称春日大明神といったとある。明治四年小社を合祀して大川平神社と改称し、村社に列せられた。
電話番号(0982)74-8239郵便番号882-0304住所西臼杵郡日之影町大字分城1057番地 -
小﨑神社(こざきじんじゃ)
菅原道真公を勧請し、天満神社と尊崇されていたが、明治四年、小社を合祀して小崎神社と改称した。
この社地は神代の霊地といわれ、猿田彦大神が留まられたため、字を猿山といっている。
この霊地を汚すことがないように後世菅原道真公を勧請したものと伝えられる。電話番号(0982)87-2751郵便番号882-0402住所宮崎県西臼杵郡日之影町岩井川3958-1 -
岩井川神社(いわいがわじんじゃ)
古老の口碑によれば、当地は古来、檍原大日止と称し、後世、大人(おおひと)と改めた。皇孫瓊々杵尊、日向国高千穂の久志布流多気に天降坐して笠沙の御前に国求め通り給う時、御留りありたるにより大日止と名つけ、この霊地を保存する意味にて天津神三神を勧請し、太子大明神と尊崇して今日に至る。永正六年(1509)甲斐和泉守重久再建の棟札があるという。
明治四年、付近の山野にあった小社を合祀して岩井川神社と改称された。旧暦十二月三日に行われる高千穂神社(十社大明神)の猪々掛祭には、特に岩井川の村人が奉仕し、当地でとれた初ものの猪が神前(鬼八塚)に捧げられた。社殿に通ずる石段は、長い間に風化がひどく参拝に支障が生じたため、鳥居から下部の部分は改修されたが、上部には当時の石工の技術をうかがわせる二百段の石段が残っている。
石段の総数は三百七段あり、神社の石段としては特に長いものである。電話番号(0982)87-2751郵便番号882-0402住所西臼杵郡日之影町大字岩井川2422番地ノ1 -
大人神社(おおひとじんじゃ)
皇孫瓊々杵尊国求めの節、御留りなされた所であることから「大日止」と言ったと伝えられる。その由緒から汚穢の恐れ無からん事を祈って、応神天皇を勧請し八幡宮と称した。文禄四年(1595)甲斐宗摂を合祀、明治四年、大人神社と改称した。
『日向地誌』によると、旧称を宗摂八幡宮といった。豊臣秀吉の九州攻めの行賞で、臼杵郡は宮崎地方とともに高橋元種に与えられた。三田井家の実力者で、岩井川村の庄屋だった甲斐宗摂は、大人にもその開削と伝える「おも井手」と呼ばれる古い用水があるなど、領民に善政を施したが、高橋氏に攻められ、鶴の手で自裁した。その地に五輪塔、大人には供養塔が建てられたという。
当社の十月九日の例祭に奉納される大人歌舞伎は、古来、高千穂の鬼八法師の所に娘を生贄として捧げる慣わしがあったのを宗摂が改め、猪を供えることにしたこと、および地域開拓に力を入れた功績に感謝して奉納したのが始まりという。電話番号(0982)87-2751郵便番号882-0402住所西臼杵郡日之影町大字岩井川2109番地の1 -
下顔神社(しもつらじんじゃ)
社伝によれば、高千穂の人田尻壱岐守旭則信に依頼し、勧請したと伝える。
旧称を天満宮と称した。明治四年付近の小社を合祀して下顔神社と改称、村社に列せられた。電話番号(0982)74-8239郵便番号882-0401住所宮崎県西臼杵郡日之影町七折2995-1 -
舟ノ尾神社(ふねのおじんじゃ)
社伝によれば、慶安元年(1648)十二月津隈越後正宣という者が、筑前の築浦天満宮を勧請したのが始まりと伝える。
享保十七年(1732)再興の記録がある。
八戸・舟ノ尾・阿下・新町・笠戸五区の中央に位置している。もと、天満宮と称していたが、明治四年、他所にある小社を合祀し、舟ノ尾神社と改称、村社に列せられる。電話番号(0982)87-2751郵便番号882-0401住所宮崎県西臼杵郡日之影町七折2303-1 -
中川神社(なかがわじんじゃ)
寛文三年(1663)十月の勧請で、神号を武大明神と称したと伝えるが、定かではない。
社伝によれは貞享三年(1686)十二月社殿を建立、安穂冨貴寿命を祭る。旧称嶽大明神と称した。後大山祗命・彦穂々出見命・開耶媛命・及び中川内前の守清兵衛家族五人の木像を作り共に合祀したと伝える。
『日向地誌』によると、旧称嶽大明神といい、素盞男命を祭る、明治四年今の名に改めたとある。電話番号(0982)87-2751郵便番号882-0401住所西臼杵郡日之影町大字七折4628番地