宮崎県の神社
鴟尾神社(とびおじんじゃ)
本社は天文二年六月十日の勧請で、鴟尾権現と称し、産土神として祀ってきた。
祭神三柱の神の勧請の由来は、権現建立当時、当村に悪病が流行し、そのうえ早魃打続いてたために村民疲弊し極度に苦しんだ。この時元権現所所在跡の梅木丸山一四四三番地に、不思議な神秘的兆候が夜ごとに現れた。その場所に住んでいた高橋須奈夫の祖先、甚之亟はこの不思議を区民にはかり、庄屋の意を得て三柱の神を郷土鎮守の神として祀った。氏子の尊崇厚く、高橋家を神主として祭祀を行わせたという。
寛永二年(1625)社格昇進により、梅木六四四七番地の現在地に遷宮し今日に至っている。
祭神大神惟治卿は豊後佐伯の栂牟礼城主の時、九州探題職を押領せんとする逆心あり」と告ぐる者があったため、大友氏の追討の軍勢が城に押し寄せたが、惟治は戦わずに日向に逃げ落ち、可愛嶽の山中に潜伏し、時を待ち冤罪を雪ぐつもりだったというが、大友軍の追及は山中にも及んだので、惟治公は同所を去り、拾町余の所にある当村の尾高智山中で逃れられぬ事を覚悟して自害したという。
その後、天文年中、鴟尾権現と尊称し、三川内梅木村の産土神と崇敬された。
当社は隣県大分県蒲江町丸市尾村の崇敬殊に厚く、御分霊を奉祀しており、本社の神主参向の上、祭典が行われていたという。
明治四年三川内神社に合祀せられたが、その後、氏子の請願により明治十四年十月二十日付にて旧社殿への復社が認可になり、明治十五年九月二十三日遷宮し社号も鴟尾神社に改称した。
『日向地誌』によると、尾高知岸橋ヶ谷の山腹に佐伯惟治の墓があり、新旧二基の墓碑には佐伯大神朝臣惟治墓とあり、新碑には戒名と大永七年自害の日が刻まれているという。
ご社殿
入口鳥居
ご社殿
電話番号
(0982)42-1222
郵便番号
889-0304
住所
延岡市北浦町三川内6447番地
御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
少名彦名命(すくなひこなのみこと)
大神惟治卿(おおがこれはるきょう)
少名彦名命(すくなひこなのみこと)
大神惟治卿(おおがこれはるきょう)
旧社格
無格社
社殿
本殿 5坪 拝殿(入母屋造)6坪
創立年月日
天文二年(1533)六月十日
例祭日
十一月九日
最寄ICからのアクセス
北浦ICより北浦町方面へ車で約15分
最寄駅からのアクセス
JR市棚駅より車で約30分