宮崎県の神社
神柱宮(かみばしらぐう)
第六十八代後一条天皇万寿三年(1026)正月二十日、島津荘開拓のため太宰大監平季基来都し館の門柱を大吉山より切り出し五百人で引いたが動かず、千人がかりでようやく引き出した。これを見ていた季基の六歳の娘はにわかに神がかりして「我は伊勢の内宮である。この地にいて人々を護ろうと思う。速に社を建てて祀り、神社の名を神柱神社と称するがよい。もし信じないならば伊勢の国に使いを出せ」といった。そこで季基は使者を遣して伊勢に赴かせた。時に伊勢神宮においても「日向の庄内に我を祭れ」との神託があり、伊勢の神宮より神霊を奉じ、万寿三年九月九日市内梅北町字益貫に創建勧請した。「万寿三年丙寅九月九日大願主平朝臣大監季基」の棟札を有する。季基は荒蕪地を拓いて墾田とし、自らは荘園の管理者として行政の任にあたった。旧藩主始祖島津忠久公以下二十余代都城藩主を始め、島津庄内の総鎮守神社として篤く崇敬され、仁安二年(1167)以降たびたび社殿が造営されたが、永正八年(1511)の火災で旧記宝物類を焼失したという。江戸期の神領は、寛永十年の高帳によると二十六石七斗余が座主房に与えられ、神官に十八石四斗が与えられている。享保十九年(1734)五月十三日神祇管領卜部兼雄宣旨を伝えて正一位の神階を授けられた。明治四年都城県設置に伴い都城総鎮守として、現小松原・元島津藩主別邸へ移転遷座が計画され、都城県廃止後宮崎県これを引継ぎ、明治六年五月県社列格、明治六年十月二十八日移転遷座祭が斎行された。現在、旧社地には黒尾神社が鎮座している。
昭和四十七年小松原遷座百年・御創建九五〇年、昭和天皇陛下御在位五十年記念事業として本殿・透塀・外玉垣・社務所を新改築、本殿は第六十回皇大神宮式年遷宮古殿舎古材下賜を受けた。昭和五十一年別表神社加列される。昭和五十七年三月三十一日神柱宮と社名変更。昭和六十年九月二十五日太宰府天満宮分霊を拝受し、さらに末社創健者平季基の神霊を祭神とする基柱神社を昭和六十年十月二十八日創祀する。
○大鳥居
表参道(神柱公園入口)には、昭和五十四年四月に宮崎国体を記念して建立した大鳥居を仰ぎ見ることができる。鉄筋コンクリート造りでは日本一を誇る。
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
[左殿]
天津彦火瓊々杵命(あまつひこほににぎのみこと)
天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
[右殿]
天太玉命(あめのふとたまのみこと)
天津児屋根命(あまつこやねのみこと)
萬旗豊秋津姫命(よろづはたとよあきつひめのみこと)
1月7日 七草詣
昭和50年3月20日 都城市指定有形文化財