宮崎県の神社
榎原神社(よわらじんじゃ)
旧称は榎原大権現といい、飫肥3代藩主伊東祐久が鵜戸神宮のご分霊を勧請、地福寺境内を社地として創建した。鵜戸神宮とともに飫肥の御両社として、篤く崇敬された。社領ははじめ100石であったが、文化5年(1808)、11代藩主伊東祐民が150石に加増した。鵜戸参りと並んで榎原参りが近郷の信を集めていた。明治元年、榎原神社と改称、同6年郷社に列せられ、昭和5年8月1日県社に昇格された。
これまでの当社創建についての研究によると、万治元年(1658)の勧請説で固まっているが、『県史蹟調査第6輯』では、当社縁起によると「明暦2丙申年(1656)11月27日大和守祐久公供伊東勘解由参詣於榎原別当真誉(鵜戸山別当)同参也」とあり、創建年月日は不詳にしても再興説が有力としており、『日向地誌』も再興説をとっている。
※作祈祷神楽
神社建立以来の歴史があり、毎年3月下旬に斎行され、五穀豊穣や家内安全を祈る。
一時途絶えていたが、榎原神社神楽保存会により1983(昭和58年)に復活された。
ご社殿
楼門
鐘楼
電話番号
(0987)68-1028
郵便番号
889-3215
住所
日南市南郷町榎原甲1134番地4
FAX番号
(0987)68-1028
御祭神
天照大神(あまてらすおおみかみ)
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
彦火瓊瓊杵命(ひこほににぎのみこと)
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
鵜鷀草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
神日本磐余彦命(かむやまといはれひこのみこと)
配祀
天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)
国常立命(くにのとこたちのみこと)
国狭槌命(くにさづちのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
下照毘売命(したてるひめのみこと)
伊弉諾命(いざなきのみこと)
伊弉冉命(いざなみのみこと)
奥津彦命(おくつひこのみこと)
奥津毘売命(おくつひめのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
菊理毘売命(くくりひめのみこと)
健御名方命(たけみなかたのみこと)
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
彦火瓊瓊杵命(ひこほににぎのみこと)
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
鵜鷀草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
神日本磐余彦命(かむやまといはれひこのみこと)
配祀
天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)
国常立命(くにのとこたちのみこと)
国狭槌命(くにさづちのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
下照毘売命(したてるひめのみこと)
伊弉諾命(いざなきのみこと)
伊弉冉命(いざなみのみこと)
奥津彦命(おくつひこのみこと)
奥津毘売命(おくつひめのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
菊理毘売命(くくりひめのみこと)
健御名方命(たけみなかたのみこと)
御神徳
縁結び・安産祈願・学業成就・家内安全
社殿
本殿(八ッ棟造)43坪
現在の社殿は宝永四年(1707)に建てられ、当初は八幡造りであったものが寛政十年(1798)当時流行した権現造りに改造されたものと思われる。拝殿を入母屋屋根とし正面に千鳥破風、その前面の向拝に、唐破風を設けた。拝殿・相の間・神殿をつなぐ平面は八幡造りのままであるが、正面の姿は権現造りである。しかし従来関係者は、屋根の複雑さから、八ツ棟造りと呼びならわしている。
現在の社殿は宝永四年(1707)に建てられ、当初は八幡造りであったものが寛政十年(1798)当時流行した権現造りに改造されたものと思われる。拝殿を入母屋屋根とし正面に千鳥破風、その前面の向拝に、唐破風を設けた。拝殿・相の間・神殿をつなぐ平面は八幡造りのままであるが、正面の姿は権現造りである。しかし従来関係者は、屋根の複雑さから、八ツ棟造りと呼びならわしている。
創立年月日
万治元年(1658)12月23日
例祭日
11月8・9日
主な祭典
旧3月15・16日/縁日大祭
文化財
・ 鐘楼(県有形文化財)昭和54年指定
鐘楼は造形的にもこの神社の建造物の中では最も勝れており、県内でも少ない貴重な遺構である。
高さ11.41メートルで、細部(組物・蟇股・木鼻)の造りも入念な仕上げがされており、上部の鐘楼部の躍動感と、下部の黒板張りの袴腰の安定感とが好対照をみせている。
・本殿(県有形文化財)昭和58年指定
・楼門(県有形文化財)平成14年指定
この楼門は、1816(文化十三)年に神社境内と門前町を結ぶ位置に建立された。
構造は、楼門づくりという木造二階建で、高さ約11メートル、横幅約7メートル、奥行約4メートルで、一階の上に高欄の回廊を巡らせている。正面が三間からなり、中央が参詣者用の通用門(一戸)、両側二間にそれぞれ仁王像を、その上に随神像を安置して、八本の柱脚で建っていることから三間一戸八脚門という。
楼門の特徴としては、柱上にだけ二手先出組を置き、二階の軒に隅木を配して垂木を並べ、その本数で柱間を決める和様式と、礎石と柱の間に礎盤を置き、柱上に台輪を置いてその上に組み物を置くことや、垂木を扇形に配するなどの禅宗様式と、流派的な折束様式が用いられていることである。
このような建築様式は、古く神仏習合を物語る歴史上の貴重な文化財として、極めて価値の高いものである。
さらに、地場産の飫肥杉を柱等の材料とし、礎石や礎盤に榎原石と呼ばれる凝灰岩を加工して造る等、地方的特色が顕著であることからも、県下に類例のない古楼門である。
鐘楼は造形的にもこの神社の建造物の中では最も勝れており、県内でも少ない貴重な遺構である。
高さ11.41メートルで、細部(組物・蟇股・木鼻)の造りも入念な仕上げがされており、上部の鐘楼部の躍動感と、下部の黒板張りの袴腰の安定感とが好対照をみせている。
・本殿(県有形文化財)昭和58年指定
・楼門(県有形文化財)平成14年指定
この楼門は、1816(文化十三)年に神社境内と門前町を結ぶ位置に建立された。
構造は、楼門づくりという木造二階建で、高さ約11メートル、横幅約7メートル、奥行約4メートルで、一階の上に高欄の回廊を巡らせている。正面が三間からなり、中央が参詣者用の通用門(一戸)、両側二間にそれぞれ仁王像を、その上に随神像を安置して、八本の柱脚で建っていることから三間一戸八脚門という。
楼門の特徴としては、柱上にだけ二手先出組を置き、二階の軒に隅木を配して垂木を並べ、その本数で柱間を決める和様式と、礎石と柱の間に礎盤を置き、柱上に台輪を置いてその上に組み物を置くことや、垂木を扇形に配するなどの禅宗様式と、流派的な折束様式が用いられていることである。
このような建築様式は、古く神仏習合を物語る歴史上の貴重な文化財として、極めて価値の高いものである。
さらに、地場産の飫肥杉を柱等の材料とし、礎石や礎盤に榎原石と呼ばれる凝灰岩を加工して造る等、地方的特色が顕著であることからも、県下に類例のない古楼門である。
駐車場
有り
最寄ICからのアクセス
田野ICより日南方面へ約45km
最寄駅からのアクセス
JR榎原駅から徒歩10分