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宮崎県の神社

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島津稲荷神社(しまづいなりじんじゃ)

旧藩始祖島津豊後の守忠久の創建なり。
旧記忠久の母丹後の局(※1)懐妊の時、治承(※2)三年伊豆の国より日向の国へ赴任の途次、摂州(※3)住之江の里(※4)で、産時となった。当たりに産屋を探したけれども適当な所がなく、十二月晦日の夜住吉の杜より南樹の下の石の上に乗り、そこにてご出産の際大雨となり、もとより闇黒のため進退きわまったところ、畏くも神あり、火を灯して終夜補佐してくれた。
やがて忠久成長し、その霊験著しいことを感じ、十八歳にて薩摩・大隅・日向三州の守護職に任ぜられ、任に赴こうとし京より稲荷を奉り来て、薩摩国出水郡山門院に着任したのは建久(※5)七年(1196)丙辰八月二十三日であった。その後日州へ移り、領内を庄内と称し、北郷の安久村堀之内村へ居を構え、堀の内御所と称えた。後島津の庄郡元祝吉へ本拠を移し、祝吉御所と称した。初任の地安久には、八文字島津民部大輔と称する豪族が居住していたが、忠久公入所後土佐へ移住し、忠久公は島津民部の旧称を襲い、島津判官忠久と称し、これを不朽に伝えるに至った。居館も島津殿または島戸といい、或は稲荷の御立所で郡元とも称したと言う。
稲荷神社は、祝吉御所を西方に至る十町の地にあり、その創建は建久八年(1197)丁巳九月七日午の日に社柱立てをし、同月十九日の午の日に勧請する。当日をもって年中の大祭日と定め、今にこの日を奉祭施行している。以来島津家の産土神として殊更に崇敬を極めた。社殿の両側に大杉二本があり、これは忠久自ら植えおきしたもので、当社を往古は「島津稲荷」といっていた。また祭事には代参を恒例とし、さらに別当正覚院和光寺(真言宗鹿児島大乗寺の末派)を草創、山号命婦山と称した。神領は慶長十七年七月に二百三十石となり、その後元文元年には神領高五十三石に減じたが、領主領民の厚く崇敬する社で、参拝のたえることはなかった。明治維新後稲荷神社と改称し、村社に列した。明治四十年二月、神饌幣帛供進社に指定された。
境内社として、命婦神社(祭神 倉稲魂神)、御年神社(祭神 大年神、若年神)、神門神社(祭神 櫛磐牖神、豊岩牖神)、貴船神社(祭神 高龗神)がある。

※1 鎌倉初期の女官、高階栄子、浄土寺二位・丹二品と称す。後白河法皇に寵せられ、後白河院政の陰の実力者として威を振るい、関東の折衝にも当たった。
※2 高倉・安徳天皇の年号。1177年8月4日~1181年7月14日。
※3 摂津は今の大阪府、兵庫の一部。
※4 大阪市南部の住吉区から堺市北部にまたがる地名。仁徳天皇時代海上の守護神住吉の神を勧請して、墨江または住吉と書き「すみのえ」と称したが、平安時代に「すみよし」と生じた。
※5 後鳥羽・御鳥羽天皇朝の年号。1194年4月11日~1199年4月27日

ご社殿
大鳥居
鳥居
電話番号
(0986)23-3442
郵便番号
885-0013
住所
都城市郡元四丁目23番地17
FAX番号
(0986)23-3442
御祭神
豊受姫神(とようけひめのかみ)
大宮姫神(おおみやひめのかみ)
猿田彦神(さるたひこのかみ)
旧社格
村社
御神徳
商売
社殿
本殿(流造)2.25坪 拝殿(入母屋造)22.75坪
創立年月日
建久八年(1197)丁巳9月19日
例祭日
十月十九日
駐車場
有り
最寄ICからのアクセス
都城ICより都城市街地方面へ車で約15分
最寄駅からのアクセス
JR都城駅より車で約5分
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