宮崎県の神社
尾末神社(おすえじんじゃ)
本社の祭神菅原道真公は尾末神社の主祭神であって、門川町五十鈴河の川口にある一小島に鎮座しており、同社地は古来如何なる洪水があっても、浸水することがないので、古名を生島と称していたが、其の後、次第に浮島と称するようになった。
堀川天皇の御世に、京都の黒木主計頭藤原朝臣重義という人が尾末村に来て住み、守神である北野天満宮の分霊を勧請して、浮島天満宮と称した。
祭神底筒男命、中筒男命、上筒男命の三柱は、もと、天満神社の境内に鎮座して、住吉大明神と称し、長治元年の勧請である。
同祭神軻遇突智神二座は、旧小字尾末に二ヵ所鎮座して、荒神社と称していたが、何れも寬文六年(1666)の勧請である。
祭神事代主神主神二座はもと、二ヵ所に鎮座して、蛭子神社と称し、一ヵ所は小字下納屋に鎮座していた蛭子神社で、元禄七年(1694)の勧請であり、他の一ヵ所は小字上納屋に鎮座していた蛭子神社で、享保元年(1716)の勧請であった。
祭神、綿津見神は、もと、綿津見神社と称して、小字下納屋に鎮座していた社で、慶長三年(1598)の勧請であった。何れも、明治五年、本社に合祀し、社号を尾末神社と改称した。
当社は旧藩時代延岡藩主有馬左衞門尉直純公の崇敬厚く、ご参拝ご詠歌の奉納等度々あり、その後内藤家領主も篤く崇敬した社であった。
『宮崎県史蹟調査』によれば、所蔵棟札として元文四年(1739)十二月、宝暦六年(1756)十一月、享保八年(1718)十二月、文化十二年(1815)七月、他七枚を有すると記されている。
特殊神事
一、太鼓台神事、例大祭御神幸随行として古来太鼓台三台(人員500名)出場。
二、茅の輪神事、大祓の行事であるが本社は古来より茅の輪神事を厳修し参拝者が多い。
三、漁祭(定期二祭り)門川港に船長百名出席。一名恵美須さん、また海津見祭と云う。
底筒男命(そこつつおのみこと)
中筒男命(なかつつおのみこと)
上筒男命(うわつつおのみこと)
軻遇突智命(かぐつちのみこと)(二座)
事代主命(ことしろぬしのみこと)(二座)
綿津見神(わたつみのかみ)
旧六月十五日 夏祭
十一月二十三日 秋祭
十二月三十一日 大祓