宮崎県の神社
小戸神社(おどじんじゃ)
第12代景行天皇の勅により創建と伝わり、太古伊弉諾大神が禊祓をされた〝祓いの神事〟由縁の神社である。。
創建当初は大淀川河口付近に祀られていたが、寛文2年(1662年)の西海大地震により海没し、上野町(現在の橘通西2丁目付近)に遷座する。
その後昭和9年に橘通拡張工事により、現社地に遷座する。
当社は景行天皇の勅によって創建したものという。紀元七百四十年代であろう。古来より、今の大塚地区と下北方地区より下流域、すなわち旧市街地全域を小戸と称し、大淀川河口小戸町小戸の瀬は小戸神社鎮座の清浄の地として祀られ、今も夏祭の名越歌に
港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬、宝浮く
と歌いつがれ、三千年来、尊び敬われて来た。いわゆる、祓詞の筑紫の日向の橘の小戸という地目をそのままに、太古伊弉諾尊が禊祓をされたゆかりの地であり、皇祖天照大神をはじめ諸神ご誕生の聖地の神社であると伝える。
此後、文明五年(1471)癸己三月一八日社殿造営、延徳二年(1490)庚戌八月社殿修復、天文一五年(1546)丙午四月一四日ついで永禄九年(1566)丙寅十二月二十六日社殿の改築がなされたが、永禄、天正の乱により、ご神領の三十町も断絶多くの神宝及び旧記等も滅亡した。
その後寬文二年(1662)九月十九日西海大地震の際高潮の災厄により下別府より大渡の上に奉還し(元、元宮町)、同年上野町に社地を築いて遷し奉った。その後正徳五年(1715)と享保二年(1717)に修理ご造営される。この年神祇管領卜部朝臣兼敬卿の筆になる「正一位小戸大明神」の八字を彫書した神額が奉納され今に現存する。
延宝三年(1675)橘三喜は『一ノ宮巡詣記』に
日向なる小戸の渡の浦こそは 青人草の初めなりけれ
とうたっている。
さらに昭和七年一月橘通りの拡張に伴い、橘通り二丁目四四番地より、元鎮座地に移転を決し、昭和九年五月二十七日竣工、正遷座祭を執行し現在に至る。