宮崎県の神社
宮崎県護國神社(みやざきけんごこくじんじゃ)
当社の祭神は戊辰の役(慶応四年・明治元年に行われた官軍と旧幕府側との戦役)を始め、過去幾多の国難に殉ぜられ、そのご存命中宮崎県に密接なる関係を有せられた人で、すでに靖國神社に合祀された神霊である。
宮崎県においては、従来国家の危急に殉ぜられた英霊を県民挙って祭祀する護国神社がなく遺憾とするところであったが、大東亜戦争勃発により戦没者の数は著しく増加し、これ等護国の英霊に対する県民の勧請と敬仰の念はいよいよ熾烈となり、ここに県民の要望に応えるため、当時の宮崎県知事の職にあった永船克己をはじめ58名が代表者として、昭和十八年四月二十三日内務大臣の許可を得て宮崎県護国神社創建に着手した。しかしながら建設途上において、昭和二十年八月十五日の終戦を迎え、日本が連合国軍の管理下に置かれると共に、当時の軍政部長官の言明により建設を放棄するの余儀なきに至った。その後独立国家として更正するに及び、再び護国神社建立の要望が澎湃として起こったので、昭和二十八年四月、田中長茂(当時の宮崎県知事)を総裁に、日高弥一(当時の県議会議長)を会長とする宮崎県護国神社再建奉賛会を組織して、県民の浄財を募り神社再建に着手した。昭和二十九年六月十三日、役員会で本神社運営上、一応宮崎神宮の境内神社として設立することに議決し、同年六月三十日付を以て神社本庁統理の承認を受け、宮崎神宮境内神社として創立した。翌昭和三十年(1955)三月十日竣工、同日鎮座祭を行いここに始めて国家公共に尽くした人の神霊を奉祀申し上げることができた。その後、本神社を宗教法人法による宗教法人として設立するのを適当と認める議が起こり、同年十一月二十六日神社本庁統理の承認を受け、同十二月二十一日宮崎県知事の認証を受け、昭和三十年十二月二十四日宗教法人設立の登記を完了した。爾来神社創立の日(3月10日)を例祭日と定め祭祀を行ってきたが、諸般の事情に依り昭和五十三年二月十八日神社本庁統理の承認を受けて例祭日を四月十日に改めた。
毎日11時 命日祭