宮崎県の神社
八幡神社(はちまんじんじゃ)南郷町
「県史蹟調査第六輯」によると、岡の城墟のくだりに、谷之口と脇本との界の山嶺にあり、湖雲が城ともいうとし、櫛間城主だった肝付省釣が、一時島津氏に降ったが、なおも飫肥藩との仲を疑われていたので、飫肥に在城していた伊東祐兵、佐土原にいた義祐に、偽りの戦いを持ちかけた。伊東側の承諾を得て、天正四年(1576)六月岡の城から大将薬丸以下肝付付兵が津屋野に出動した。肝付側は、無鏃矢、空砲で撃ちかけたが、飫肥側は、急だった為に命令がまだ伝わっておらず、真の矢銃で戦ったため、肝付側は大将以下、三百余人が戦死した。その後、薬丸孤雲(島津国史によると孤)の遺体は、城の真下の金連寺に葬った。その金連寺跡に墓が残っており、寺跡に薬丸以下の戦死をあわれみ、神社を造営、祭り始めたものという。副将だった十九歳の若武者安楽下総介の墓は同町津屋野の久保田にあり、「安楽さま」と呼び土地の人が慰霊のために建てたという。
薬丸ほか三百余人が戦死したのは、六月十五日(島津氏の記録によると冬十月)で、例祭はその翌日で、偽戦の姿をあらわす臼太鼓踊りが、慰霊のため奉納される。太鼓を前にかかえ、背に旗指物を負う伝統の踊りが長い間受け継がれている。
ご社殿
正面鳥居から
参道入口
電話番号
(0987)64-1989
郵便番号
889-3212
住所
日南市南郷町脇本3498番地19
FAX番号
(0987)64-1989
御祭神
薬丸湖雲(やくまるこうん)
旧社格
無格社
創立年月日
不詳
例祭日
六月十六日
最寄ICからのアクセス
田野ICより日南方面へ車で約1時間10分
最寄駅からのアクセス
JR南郷駅より車で約10分