宮崎県の神社
今山八幡宮(いまやまはちまんぐう)
延岡市の中心部、市街地を一望する今山の山上に鎮座する。
当宮は孝謙天皇の御宇、天平勝宝二年、豊前国宇佐八幡宮を蓬莱山辰巳の尾上に社地を構えて勧請したもので、国司、郡司の崇敬最も深く、天平宝字二年(758)社領を加増されてから、当山は最も隆盛を極めたので、今盛んなる山、と言うので、今山と呼び、社号を今山八幡宮と称した。古代、臼杵郡内には、宇佐八幡宮に奉仕する神戸が六十戸あり、神戸の民のよりどころとして今山八幡宮が勧請されたのであろう。神戸の存在が、日向国に宇佐神領が設定される端緒になったという。
長承元年(一一三二)類焼、治承四年(一一八〇)には時の領主土持栄綱が宇佐神宮に準じて社殿を再建、とあり、以来、歴代の領主土持、有馬、三浦、牧野の諸氏相継いで崇敬し、社領の寄進、社殿の修築等を行っている。
寛喜二年(一二三〇)の火災や、正平元年(一三四六)肥後の菊池氏、天正六年(一五七八)豊後の大友氏等の兵乱により、その戦火の為、社殿、宝物、書物等が焼失してしまったのであるが、代々の領主の祈願所であったので復旧も他より早く行われたと言われており、内藤家に至っては延岡領内守護の神社として、最も崇敬篤く、造営はもとより、神事能の奉納等が常例となっていた。
明治四年岡富村内の小社を合併して郷社に列せられ、岡富神社と改称、さらに明治三十四年八月に今山八幡神社と改め、同三十四年に県社に列せられた。昭和四十九年、本殿拝殿等の造営事業竣工を機に、当初の今山八幡宮に社号を改称した。
城山にある内藤記念館には、明歴二年(1656)藩主有馬康純が当社に寄進したという梵鐘が保存されており、その地名に延岡が刻されている。これが延岡の名を記録した最古のものではないかとみられている。
今、延岡市はもとより、近郷近在、大分県、熊本県からも祈願の為、参詣多く、県北第一の大社として、広い尊崇の念を集めている。
特殊神事としては、水無月の大祓式がある。これは六月晦日五ヶ瀬川の岸辺に参集し、氏子崇敬者層参加による流し火行事で、各自、家庭の人数ほどのローソクに火を点けて形代と共に川から海へ流す祭礼行事である。
また、南正参道入り口にある末社今山恵比寿神社の祭礼「延岡十日えびす」は従来旧正月十日に行われていたが、現在では新暦二月十日に行われており、夜賑わう祭で、露天商の灯りに福笹が浮び、数万人の人垣が揺れ動き、九州三大えびすの一つといわれ、また、日向之国七福神の恵比寿神にて、遠方から福を求めて参詣社が多く独特の雰囲気のある祭りである。
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
事解男命(ことさかおのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
磐長姫命(いわながひめのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
武内宿禰命(たけうちすくねのみこと)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)