宮崎県の神社
清水神社(きよみずじんじゃ)
一ツ瀬川支流の三納川、山路川にかこまれた平地に位置し、地内各所に古墳が散在し、二十五基が清水、西都原古墳として県史跡に指定されている。古老の伝説によれば、本社は火闌降命を主祭神と、父神瓊々杵尊と母木花咲耶姫命を合殿に奉祀する。命が上古清水字松本の地に住んだとして、いまなおこの地に命の御手洗または、神籬の里と称する遺跡を存し、古名笠狭の原中に大陵があり、命の山陵と伝える。
当社の創建は社伝によれば、建久二年(1191)松本の地に鎮座と伝えるが、「宮崎県史蹟調査報告書」によれば、天喜元年(1053)に字松崎に鎮祭したとあり、一定しない。石貫神社祠官であった横山家の古文書中、建久年間のものによれば、神領として九町四段三十歩を有し、年間四十二度の祭典が行われていたという。永和二年(1376)清水に遷座し、清水村宗廟若宮大明神と尊称した。
応仁二十二年(1488)伊東亮堯の代に神殿を再建し、供田を捧げ、妻第一の清水若宮大明神として崇敬された。古来より伝える祭日は、旧九月初午日を大祭とし、また七月七日都万神社で斎行される木花咲耶姫命が天孫にご入内の旧式を、この社殿においても同日行う。これを都万神社の御同神祭といい伝える。これは命の母神を祀りて尊敬する意である。また、小祭には旧二月初午日及び十一月の午の日の両度ある。元和二年(1616)九月十七日、延岡藩主有馬直純穂北の地を領する時、神殿を再建し供田を捧げた。有馬氏東国に転ずるに及び、牧野氏の所領となり牧野真俱の代に供田は旧来通り寄進され、さらに、徳川幕府の御料となっても旧来通り供田が寄進された。明治四年村社清水神社と改称し、明治四十円二月、神饌幣帛料供進神社に指定された。
また境内社として稲荷神社がある。
ご社殿
参道
境内社
電話番号
(0983)43-4326
郵便番号
881-0004
住所
西都市大字清水36番地
御祭神
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
火闌降命(ほすそりのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
火闌降命(ほすそりのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
旧社格
村社
社殿
本殿(流造)9坪 拝殿4坪
創立年月日
不詳
例祭日
十一月二十日
最寄ICからのアクセス
西都ICより車で約10分
最寄駅からのアクセス
JR佐土原駅より西都方面へ車で約25分