宮崎県の神社
剣柄稲荷神社(けんのつかいなりじんじゃ)
国富町の中央台地、本庄古墳群第38号墳の上に奉祀してあり、創建は景行天皇十二年壬午十一月とも、同天皇三十二年十一月ともいわれ、古くは剣柄稲荷神社、本庄稲荷神社と称したが、治承四年より現社名に改称したと言われる。
当社の鎮座する古墳墓剣の塚は、神武天皇の御兄彦稲飯命の陵とも、あるいは景行天皇の御妃の御刀媛命の陵とも言われる。また日本武尊が熊襲裊師を刺したる御短刀を埋蔵した塚とする。また日本武尊が剣玉の誓いをなせし時の御剣の柄を納めたものといわれる。あまりの古さに諸説が多い。境内には、樹齢約1000年と伝えられる樟の大木をはじめ、古杉が残り、元の天然記念物のイチイカシの古株と共に当社創建の古さがうかがえる。この樟の大木には、幹に巾着型の穴が空いており、5円玉を投げて1回で入れば金運・くじ運に恵まれると言われる。また樟の根元には、うつ伏せになった男性の姿に見える根っこがあり、不老長寿の木とも言われている。
本庄の地名の由来は、中世の荘園経営の中心「本所」にちなむといわれ、昭和九年、前方後円墳、円墳など五十七基が本庄古墳群として国史蹟に指定された。前方後円墳のほか、玉依姫陵墓伝説などとともに、剣塚古墳がある。そのほか県史蹟の横穴古墳もある。
御神饌は、三度の大祭には、それぞれの御祭神に大三宝に盛りつけをしてお供えをするという独特の珍しいものである。
尚、境内に豊国別命(とよくにわけのみこと:日向国造の祖)、老男命(おいおのみこと:日向国造)を祀る摂社(国造神社)がある。
旧二月の初午大祭には大力餅運びが競われる習慣がある。総重量百キロを越す紅白の餅を大きな三方に飾って運び、運ぶ時間の長さを競うものである。大人・子供の部とあり、苗木市も有名である。
夏祭には、歌舞伎人形を造り舞台に飾る。「ヨイマカ」は当社の夏祭りに担がれる神輿で、江戸中期以降繁盛した本郷の豪商、和泉屋、枡屋などが大阪あありから移入したと伝える勇壮な出し物である。おみこしの御旅所である六日町区の若者が少しでも永くおとどめしたいとの念願から、おみこしさまの御前にて暴れる様子は手に汗がでる。
霜月二十四日祭には氏子崇敬者参拝者には御供、おみきなどが社務所で振る舞われていたが、現在では車などの事情からその数も減った。初午当日に今はその趣きをとどめる程度である。
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)