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江田神社(えだじんじゃ)
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「和名抄」宮崎郡条に見える江田郷に鎮座する古社で、承和四年(837)八月朔日に都農神・妻神・霧島岑神とともに官社に列しており、平安期にはすでに創建されていたことがうかがえる。
鎮座地一帯は古来いわゆる日向の橘の小戸の阿波岐原として、伊邪那岐大神の禊祓の聖蹟と伝承されており、命の上つ瀬は瀬速し下つ瀬は瀬弱しといわれ、中つ瀬で禊祓いされた、その中つ瀬は、本社から二町位東の海中である。
寿永年間(1182~1184)伊邪那美尊を配祀し、産母二柱大明神と称し、里人からは産母様として親しまれ、社領三十余町を有していた。仁寿元年(851)十月従四位下を授けられ、貞観元年(859)従四位上に進められ、その後天禄元年までに天変地妖兵革等の年毎に叙位八回に及び、正一位に昇階ありと伝える。醍醐天皇の延喜年間に於いて、延喜式内社日向四座の一社として「延喜式神名帳」に登載され、祈年・新嘗の奉幣を受けた。しかし、寛文年間に神社制度の変革をきたし、ついに一村落の産土神と同様の取扱いを受けるに至った。
明治六年五月二十五日社格は県社に列し、同四十年二月九日神饌幣帛料の供進を指定され今日に至る。
鎮座地一帯は古来いわゆる日向の橘の小戸の阿波岐原として、伊邪那岐大神の禊祓の聖蹟と伝承されており、命の上つ瀬は瀬速し下つ瀬は瀬弱しといわれ、中つ瀬で禊祓いされた、その中つ瀬は、本社から二町位東の海中である。
寿永年間(1182~1184)伊邪那美尊を配祀し、産母二柱大明神と称し、里人からは産母様として親しまれ、社領三十余町を有していた。仁寿元年(851)十月従四位下を授けられ、貞観元年(859)従四位上に進められ、その後天禄元年までに天変地妖兵革等の年毎に叙位八回に及び、正一位に昇階ありと伝える。醍醐天皇の延喜年間に於いて、延喜式内社日向四座の一社として「延喜式神名帳」に登載され、祈年・新嘗の奉幣を受けた。しかし、寛文年間に神社制度の変革をきたし、ついに一村落の産土神と同様の取扱いを受けるに至った。
明治六年五月二十五日社格は県社に列し、同四十年二月九日神饌幣帛料の供進を指定され今日に至る。

ご社殿

正面鳥居

みそぎ池
地図 [KML] [地図表示] | |
電話番号 | (0985)39-3743 |
郵便番号 | 880-0835 |
住所 | 宮崎県宮崎市阿波岐原町産母127-イ号・ロ号 |
御祭神 | 伊邪那岐尊(いざなぎのみこと) 伊邪那美尊(いざなみのみこと) |
旧社格 | 県社 |
御神徳 | |
社殿 | 本殿(流造)3.4坪 拝殿(流造)12坪 |
創立年月日 | 不詳 |
例祭日 | 11月22日 |
主な祭典 | |
文化財 | |
駐車場 | 有り |
最寄ICからのアクセス | 宮崎ICより一ツ葉有料道路にて約20分 |
最寄駅からのアクセス | 宮崎駅より車で約20分 |
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