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霊山「愛宕山」
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・愛宕神社
愛宕山はかつて、笠沙岬とか笠沙山と呼ばれていました。古事記上巻神代には「瓊瓊杵尊、笠沙の御前に麗しき美人(おとめ=木花佐久夜毘売)に遇ひたまひき」とあり、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会われた地である神話が残ります。
愛宕神社は往古は現在の城山に祭られていましたが、慶長年間(1603年)高橋元種が延岡城を築く際、現在の愛宕山の頂上付近にお遷しし、それに伴い旧称の笠沙山から愛宕山と改められました。一時期、恒富神社(現 春日神社)に合祀されましたが、崇敬者のたっての願いで現在地に複社しました。火伏の神様として信仰が篤い神社です。
・極天様
山頂は極天様(天空を極める聖地)と称して崇められた霊山で、男坂を設けて国主が直接斎主を務めたため、女人禁制とされていました。今でも奥宮とかごってんさんと呼ばれ参拝者が多く、また徳川家康公のひ孫である日向御前が女人禁制の禁忌を破り登頂した際、奉納した鳥居(笠木部分)が現存しています。
・御手洗水神社
極天様の少し下手の鬱蒼と茂った杉林の中に、御手洗水神社があります。かつては霊域(極天様)に参拝する際の清め処でした。現在は水神様としての信仰が非常に篤く参拝者が絶えず、参道には奉納の鳥居が立ち並んでいます。
愛宕山はかつて、笠沙岬とか笠沙山と呼ばれていました。古事記上巻神代には「瓊瓊杵尊、笠沙の御前に麗しき美人(おとめ=木花佐久夜毘売)に遇ひたまひき」とあり、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会われた地である神話が残ります。
愛宕神社は往古は現在の城山に祭られていましたが、慶長年間(1603年)高橋元種が延岡城を築く際、現在の愛宕山の頂上付近にお遷しし、それに伴い旧称の笠沙山から愛宕山と改められました。一時期、恒富神社(現 春日神社)に合祀されましたが、崇敬者のたっての願いで現在地に複社しました。火伏の神様として信仰が篤い神社です。
・極天様
山頂は極天様(天空を極める聖地)と称して崇められた霊山で、男坂を設けて国主が直接斎主を務めたため、女人禁制とされていました。今でも奥宮とかごってんさんと呼ばれ参拝者が多く、また徳川家康公のひ孫である日向御前が女人禁制の禁忌を破り登頂した際、奉納した鳥居(笠木部分)が現存しています。
・御手洗水神社
極天様の少し下手の鬱蒼と茂った杉林の中に、御手洗水神社があります。かつては霊域(極天様)に参拝する際の清め処でした。現在は水神様としての信仰が非常に篤く参拝者が絶えず、参道には奉納の鳥居が立ち並んでいます。

愛宕神社奥宮

ご社殿

参道
地図 [KML] [地図表示] | |
ホームページURL | http://0982.tv/2011/06/29/%e3%82%b9%e3%83%94%e3%83%aa%e3%83%81%e3%83%a5%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%83%e3%83%88%e3%82%92%e6%b1%82%e3%82%81%e3%81%a6%e3%80%80%e5%bb%b6%e5%b2%a1%e3%81%ae%e9%9c%8a%e5%b1%b1%e3%80%8c/ |
電話番号 | (0982)-32-2520※春日神社 |
郵便番号 | 882-0871 |
住所 | 延岡市愛宕山6112番地ロ号 |
御祭神 | 愛宕神社 伊邪那美命、軻遇突智命 御手洗水神社 弥都波能売神 |
御神徳 | 愛宕神社 火伏せ、縁結び 御手洗水神社 五穀豊穣、水難防止 |
社殿 | |
創立年月日 | 愛宕神社 1596年 御手洗水神社 不明 |
例祭日 | 愛宕神社・極天様 旧暦1月24日 御手洗水神社 旧暦3月10日 |
主な祭典 | |
文化財 | |
駐車場 | なし ※ただし近くに観光用の駐車場有 |
アクセス | 愛宕山登り口より車で1分で愛宕神社。そこからずっと登って行き、展望台を過ぎて道路の行き止まり(テレビ塔が立っている山頂、車で10分ほど)に極天様。そこから徒歩で5分ほど下ったところに、御手洗水神社 |
最寄駅からのアクセス | |
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