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山田神社(やまだじんじゃ)(華舞神社)
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当社の創建は詳らかでないが、記録に表れたのは、嘉慶三年(1289)上棟云々とあり、また奉納の手洗鉢(現存)の記録をみると、元弘三年(1333)とある。これ以前の創建であることは、その古さまた当地の人の尊崇厚いことを見れば明らかである。また当社は霧島六所権現の一つである。
当社に蔵宝する華字の掛軸は、旧領主島津忠相公の時代、文禄四年(1595)四月左大臣近衛信尹が豊臣秀吉の意に逆って、薩摩の坊津へ配流のおり、日向より大隅口へ下向の途次当社へ止宿され、衣の袖をおとされ、華の一字を自筆にて揮毫し奉納したものと記録に留めてある。このとき左大臣信尹は、大宮司桂木丹波良隆を召され揮毫された。これより後華舞権現と称したという。当時信尹に給仕したとの子孫永久本社に奉仕したという。
古来より領主・領民の厚く崇敬する社で、島津氏所領時代には、領主より祭米五斗四升八合、神領として一石七斗七升五合、祭田一反一畝が寄進されていた。また、宝永十一年(1714)の高帳には、華舞領として一石八斗五升九合の記事が見える。所蔵の棟札によれば、万治三年(1660)藤原朝臣久和公により再興され、さらに元文二年十二月、元禄三年十一月、享保十四年九月、文化十四年に再興されている。祭神は瓊々杵尊、木花咲耶姫尊、彦火火出尊、豊玉姫尊、鸕鷀葺不合尊、玉依姫の六神であったがのち月夜見尊、上筒男命、中筒男命、底筒男命の四神を合祀した。
明治四年小鷹神社と改称し、さらに同八年山田神社と改称した。明治四十年二月、神饌幣帛料供進の神社に指定された。
当社に蔵宝する華字の掛軸は、旧領主島津忠相公の時代、文禄四年(1595)四月左大臣近衛信尹が豊臣秀吉の意に逆って、薩摩の坊津へ配流のおり、日向より大隅口へ下向の途次当社へ止宿され、衣の袖をおとされ、華の一字を自筆にて揮毫し奉納したものと記録に留めてある。このとき左大臣信尹は、大宮司桂木丹波良隆を召され揮毫された。これより後華舞権現と称したという。当時信尹に給仕したとの子孫永久本社に奉仕したという。
古来より領主・領民の厚く崇敬する社で、島津氏所領時代には、領主より祭米五斗四升八合、神領として一石七斗七升五合、祭田一反一畝が寄進されていた。また、宝永十一年(1714)の高帳には、華舞領として一石八斗五升九合の記事が見える。所蔵の棟札によれば、万治三年(1660)藤原朝臣久和公により再興され、さらに元文二年十二月、元禄三年十一月、享保十四年九月、文化十四年に再興されている。祭神は瓊々杵尊、木花咲耶姫尊、彦火火出尊、豊玉姫尊、鸕鷀葺不合尊、玉依姫の六神であったがのち月夜見尊、上筒男命、中筒男命、底筒男命の四神を合祀した。
明治四年小鷹神社と改称し、さらに同八年山田神社と改称した。明治四十年二月、神饌幣帛料供進の神社に指定された。

ご社殿

入口鳥居

門守社
地図 [KML] [地図表示] | |
電話番号 | (0986)64-0594 |
郵便番号 | 889-4601 |
住所 | 宮崎県都城市山田町山田7506 |
御祭神 | 月夜見尊(つきよみのみこと) 上筒男命(うわつつおのみこと) 中筒男命(なかつつおのみこと) 底筒男命(そこつつおのみこと) |
旧社格 | 村社 |
御神徳 | |
社殿 | 本殿(流造)9坪 拝殿15坪 |
創立年月日 | 不詳 |
例祭日 | 7月18日 |
主な祭典 | |
文化財 | |
駐車場 | |
最寄ICからのアクセス | 都城ICより車で約15分 |
最寄駅からのアクセス | JR万ヶ塚駅より車で約5分 |
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