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新田神社(にゅうたじんじゃ)
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新富町西部、一ッ瀬河下流左岸の新田原と呼ばれる台地麓に位置する。地内には一九八基の古墳からなる新田原古墳群があり、昭和十九年国の史跡に指定された。
当社は旧称、正八幡宮と呼ばれ新田郷の総鎮守として崇敬された。現在も八幡様として住民に親しまれている。当社の勧請棟札社領名寄帳等は、天正五年(1577)伊東氏の都於郡城落城の際兵火に遭い、本殿、宝物などとともに焼失したと伝える。現存する棟札によれば、慶長十一年(1606)三月吉日藤原朝臣忠就公修復とあり、その創建の古きことを知ることができる、その後延享四年(1747)7月19日島津忠雅公、明和五年(1768)7月7日島津久柄公、の棟札があり、旧佐土原藩主島津氏代々厚く崇敬した神社で、神領高十石宮司屋敷一ヵ所が寄進されていた。
維新の際石高除地となり、明治四年郷社新田神社と改称した。昭和五十三年二月には幣殿拝殿社務所の改築が行われた。
当社の春祭りや7月27日28日の御神幸祭には、五穀豊穣、無病息災を祈願して町無形文化財の新田神楽三十三番が奉納される。
当社は旧称、正八幡宮と呼ばれ新田郷の総鎮守として崇敬された。現在も八幡様として住民に親しまれている。当社の勧請棟札社領名寄帳等は、天正五年(1577)伊東氏の都於郡城落城の際兵火に遭い、本殿、宝物などとともに焼失したと伝える。現存する棟札によれば、慶長十一年(1606)三月吉日藤原朝臣忠就公修復とあり、その創建の古きことを知ることができる、その後延享四年(1747)7月19日島津忠雅公、明和五年(1768)7月7日島津久柄公、の棟札があり、旧佐土原藩主島津氏代々厚く崇敬した神社で、神領高十石宮司屋敷一ヵ所が寄進されていた。
維新の際石高除地となり、明治四年郷社新田神社と改称した。昭和五十三年二月には幣殿拝殿社務所の改築が行われた。
当社の春祭りや7月27日28日の御神幸祭には、五穀豊穣、無病息災を祈願して町無形文化財の新田神楽三十三番が奉納される。

ご社殿

参道鳥居

正面鳥居
地図 [KML] [地図表示] | |
電話番号 | (0985)72-0105 |
郵便番号 | 889-1406 |
住所 | 宮崎県児湯郡新富町大字新田10006 |
御祭神 | 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと) |
旧社格 | 郷社 |
御神徳 | |
社殿 | 本殿(流造)6坪 拝殿(流造)14坪 |
創立年月日 | 不詳 |
例祭日 | 十一月三日 |
主な祭典 | 七月二十七・二十八日 夏祭(御神幸祭) |
文化財 | 新田神楽 新富町無形文化財 |
駐車場 | |
最寄ICからのアクセス | 西都ICより車で約8分 |
最寄駅からのアクセス | JR日向新富駅より車で約15分 |
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